FM三重『ウィークエンドカフェ』2017年11月11日放送

相可高校食物調理科を卒業後、料理の道に進み、そのあとは自分探しの旅へ。
2011年に大台町を出発し、全国をぐるりと回ってきました。
いろんなことに触れ、感じ、今は故郷、大台町に戻ってきました。
その旅で気づいたことが、食に携わる仕事に就きたい。
1年半ほど前から、道の駅おおだい農園で研修生として頑張っています。
数年かけて回った旅は、奥田さんの宝物。
多くの人とたくさんの出会いがありました。

会った人の生きていく力がすごい

愛媛の八幡浜のあたりのみかん農家さんや、農業とは違うのですがノリの養殖とか・・・いろいろな縁でつながりました。
日本全国でお世話になった方が多いです。
住み込みで農的な暮らしをしているところも多かったので、非常に勉強になりました。

どの人も生きていく力がたくましく、2011年の3.11のあとで、発信したいという人や自分たちのことをわかってほしいと活動している人たちがたくさんいて、お金じゃないパワーと生き方を学びました。

地元に帰ってきて、農業の後継者不足の話をたくさん聞きました。
本当に素晴らしい仕事をしているのに、今の代で途絶えてしまうということを本人たちも歯痒い思いをしているということで、
自分はいろいろなところで派遣や住み込みで働きました。
そこで見える経営学もありましたし、みかん作りひとつにしても、トロッコを引くために必要なものなど、そこから広がり、『百姓』という言葉通り『百の仕事がある』ということで、非常に勉強になりました。
そういうところをもう少し自分たちも引き継いでいかなければと思いました。
そしていろんな田舎を見て来て大台町に帰ってきた時、とても良い田舎だと素直に感じました。
学んできたことを100%役立てなければいけないとは思っていませんが、人と話していく中で、「あの人が言っていたこととつながるな」と感じることもあり、今までのことが生きているというか、もっとやれるんだと確信しました。

 

許をとって狩猟もしている

野菜づくりはまだ安定していなくて、いろいろな作柄を作っては試行錯誤している状態。
ほうれん草とかはお客さんから美味しかったよという声をいただいています。
まだまだ研修の身なので勉強させてもらいながらという感じですね。
教えてくれているのは役場の指導員や、農業経験のある道の駅の駅長さん、生産者の方も毎日入れ代わり立ち代わり来てもらっていて、みなさんに育ててもらっているという感じです。
作物が育ってくるのは非常に面白いですし、僕はその場で生のままバリバリ食べちゃうんで、一緒に働いて方によく怒られます。
でも採れたては、調理の現場にいた時は味わえなかったような旨味があるんですよ。

かつては調理をしていましたが、今は長靴を履いて作業して、帰るともうクタクタになってしまうので、そこまでは・・・。
しかし農業をやっている中で『獣害』もあり、狩猟免許も取ったので、獲ったものを食べるということもしています。
包丁は、今は鹿をさばいたり猪をさばいたりのところで活かしています。
獣害というとマイナスなイメージがありますが、高い技術を持った加工者が大台町にはたくさんいるので、それで調理されると、本当に美味しいお肉になります。
個体差がさまざまなため、流通の安定が今はまだ難しいのですが、マイナス面で引っ張り上げるのではなく、美味しさという面で見せられるのではと思います。

 

鹿

はローストで、猪はカツがオススメ!

これから猟期に入って、猪も脂が乗ってくるので楽しみな時期です。
意外なんですが、昔は流通や加工技術が未熟だったためか、地元でも嫌がる人が多いんですよね。
ウチの母親に黙って食べさせたら美味しいと言っていたので、あとで鹿だと教えたら、驚いていました。
やっぱり固定概念といか先入観でものを食べていることがありますね。
鹿は牛肉に似ているのですが脂がほとんどないので、火入れの仕方が丁寧にする必要があります。
今は生では食べないので、ローストする方法で、じわっと中に火を通すのが美味しいと思います。
猪も部位によって旨味や食感が違うので、猪カツ・・・トンカツのように食べたり、味噌とも合うので炊いても美味しいですね。
旨味が本当に強い肉なので、まだまだ調理の幅があるのではないでしょうか。
猟師の師匠に言わせると、養豚場で育った豚ではなく、旬のものしか食べずに山を駆け回っている猪がまずいわけがないと。

 

匠がたくさんいる大台町

自分一人でできることは知れています。
自分だけでは収まりきらない知識量や技術量を持った仙人のような師匠たちがたくさんいるので、自分が若い人たちや移住者との間に立てるようになるのが、僕のしたいことです。
地域に絞った派遣みたいのがあったら面白いですよね。
田舎には突出した方々がいるので、そこに若者がつながれば良いなと。
もちろん一筋縄ではいかないと思うし、正直、頑固な人もたくさんいます。
しかしそこに自分がちょっとでも関われたら、面白いなと思います。

 

援してくれた家族に感謝

2ヶ月で帰ってくると言って家を出て、結局働きながら5年ほどになってしまいました。
その時応援してくれた家族、特に母親には、非常に感謝しています。
しかし旅先で会ったおっちゃんによると、「まだ思い出にふける歳ではない」と。
もっと年を取ってから付けた日記を見て思い出に浸ってニコニコしてればいいんだから、と。
学んだことを全部役立てようと考えるな、あちこち回ってあの時は楽しかったな・・・と思うだけで、今はいいんだぞ、と。
そう言われたときにめちゃめちゃ気持ちが楽になって。
あの時の4〜5年は本当に今でも宝なんですが、これからますます大きな宝になるのかなと思います。