~斎王に選ばれ恋人と離れ離れになった悲恋の皇女~

日本遺産のまち「明和町」の魅力発見
醍醐天皇の第10皇女に生まれた雅子内親王(まさこないしんのう)。
三十六歌仙にも選ばれるほどの和歌の名人、見栄えも良く、エリートであった藤原敦忠(ふじわらのあつただ)と恋仲であったとされています。しかし、22歳のときに斎王に選ばれ、離れ離れになってしまいます。6年後、母親の死によって28歳で退下しましたが、藤原家の権力者である師輔に求められ結婚。父が故人の敦忠と、現役の摂政の息子である師輔の権力の差は明らか。それから約4年後、敦忠は失意のうちに世を去り、ついに結ばれることはありませんでした。「敦忠集」には、2人の情熱的で切ない恋の和歌が多く残されています。

小倉百人一首043
『逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』

あなたと遂に逢瀬をとげることができた後の苦しく恋しい気持ちに比べれば、逢いたいと思っていた昔の恋の苦しみなど何もなかったに等しいほどのものです。

こんな切なく苦しい恋心をこめた歌を女性に送るくらい、藤原敦忠は感受性が豊かなロマンチストな人物のようです。