~歌の才能あふれる「源氏物語」の六条御息女のモデルとなった斎王~

□■日本遺産のまち「明和町」の魅力発見■□
醍醐天皇の皇孫、重明親王の娘として生まれた平安時代の斎王「徽子女王(よしこじょおう)」。
朱雀天皇の御代、8歳で斎王にト定され、母親の急死を機に退下するまで、11年間斎王を勤めました。三十六歌仙の一人に選ばれるほど、歌の才能にあふれていた徽子女王。退下から2年後、叔父にあたる村上天皇と結婚し、斎宮女御とも呼ばれ愛されました。その後、村上天皇との間に生まれた規子内親王(のりこないしんのう)が27歳で斎王に卜定されると、天皇の命令に背き、娘とともに再び斎宮へと赴きます。

源氏物語「賢木」巻では、六条御息所が娘の斎王(=後の秋好中宮)に同行して伊勢へ向かいますが、まさにこのモデルとなったのが、徽子女王と規子内親王母娘だったといわれています。
明和町にある「歴史の道」には12本の擬木が並んでおり、斎宮に関する代表的な和歌が24首刻まれています。
このうちの4種が徽子女王の歌になります。ぜひ、見つけてみてください♪