FM三重『ウィークエンドカフェ』2017年12月30日放送

一年の締めくくりは、オーナーの鈴木洋子さんと前田憲司さん、伊東将志さんの3人でお送りします。
1年の終わりに、こうして顔を合わせてお話ができるのも、それぞれ、いい一年だったということでしょうね。
前田さん曰く、年齢という分母が増えると1年の時間の経過は早くなるさ~とのこと。
今年もたくさんのお客様をこのカフェにお迎えしました。
初めての方も2回目の方も、みなさんいつも楽しいお話しをしていただいて「なるほど~」「すごいな~」と、素敵なトークを繰り広げていただきました。
伊東将志さんは、初めてのチャレンジがあったそうです。

の仕事で聞き上手になった!

伊東 最近、聞き上手になった気がしますね。
喋るのが上手なだけではなく、聞くこともとても大事じゃないですか。
特にこの番組ではゲストのみなさんに話していただかないといけないので、『合いの手』というのが大切だと感じました。
あんまりいやらしくなく聞くというか。
いつの間にか自然に身についたんですけど、最近「しゃべりやすい」と言われることが多いですね。

鈴木 私はどちらかというと「待つ!」って感じです。

前田 確かに僕らが無茶苦茶よくしゃべっても、放送聞くとほぼカットされてるもんね(笑)。

 

東さんは今年、作詞にチャレンジ!

伊東 今年も相変わらず西へ東へと行きましたが、新しいチャレンジもしました。
シンガーソングライターの人と出会って、縁あって作詞をしました。
もともと書いたりすることが嫌いではなく、新人賞を狙って角川に小説を送ったこともあるくらいなんですけど、ずっと書いてなかったんですよ。
でもなんか妙に影響を受けて、書き連ねてお渡ししたところ、曲になって帰ってきて、ビックリしました。
インディーズですがアルバムになり、CDも発売されました。
印税は入らないんですけど、いい経験になりましたね。

鈴木 書きながら、思い描いているフレーズとかあるんですか?

伊東 あります。
しかしまさか曲になると思っていなかったので、それが形になって帰ってきた時は不思議な感覚ですね。

前田 メロディが付くと、また印象が変わりますからね。

伊東 そうですね。
「もともとこういうものだったのかも!」と思える感じでしたね。
聴いていて最初は恥ずかしかったですが、しっくりくるというか。
一文字も変わらず曲になったんですよ。

前田 曲にしてもらおうと思っていなかったんでしょ?

伊東 そうなんですが、歌っている人に伝えることなので、なんとなく意識して書いたのかもしれません。
自分が思っていたところが、ちゃんとサビの部分になっていました。

 

田さんは『吉本興業百五年史』が完成

前田 私は今年、8年がかりで作っていた『吉本興百五年史』という本が完成しました。
100年で出そうとして、その前から着手していたのですが、結局いろいろなことが重なって、こんなに分厚い本になりました。
105年でやっと完成。
10月5日を発売日にして、105年にかけて。
定価も10500円。
そうしたら10月からちょうどNHKでも吉本興業の創始者を描いた『わろてんか』という連続ドラマが始まって。
吉本興業は最初から105年にするつもりだったのかなというタイミングでした。
写真をたくさん使ったため、そのチェックに時間がかかったんです。
著作権や、どの芸人さんがどれくらい載っているか・・・そのバランスとか。
原稿自体は3〜4年前に上がっていたのに、そこからずっとチェック。
吉本興業の芸人さんと一緒に写っている、よその事務所の芸能人もチェック、それから古いものになるとプロレスの興行も・・・。
吉本興業は昔、プロレスの興行もしていたんですね。
そうなるとその調印式とか。
ああいう興業物は、今で言う反社会的なことが勝っていたりするので、そのあたりが大丈夫だろうかとか・・・そんな確認を全部したのです。
吉本興業の通史と呼ばれている社史、見解は私が全部書いたものの、ある意味、自分の表現ができないじゃないですか。
事実を淡々と書いているというか。
これはなかなか難しかったですね。
あと今年は、大阪にある落語家さんの魂をお祀りする『高座生國魂神社』の石碑にいわれの文章を書かせてもらいました。
そこに名前を刻まれるようなものではなく、一般的に「この神社とはどういうものだ」という内容です。
石碑なので文字数に制限があり、改行がきちんと収まるように・・・組み合わせるような、パズルのような文章で、しかも入れるべき内容も押さえなければならない。
自由に散文的に書けないので、伊東さんの作詞を見ると羨ましくなります。

伊東 歴史に残る仕事をするというのには憧れますね。

前田 それはありがたいことだと思います。
これまでに、僕の名前が刻まれている石碑は3つくらいあると思いますが、そういうのもちゃんと子どもに伝えないといけないのかな、と。
娘はほぼ、お父さんの仕事に関心がないので(笑)。

 

田さんが教える『日本学』とは

前田 今年三重大での授業で前期は230人いたんです。
むっちゃ大変、顔も覚えられません。
毎回出欠確認も兼ねてレポート書いてもらって、試験もしているんですけど。
僕が教えている『日本学』とは、芸能を通じて日本らしさを学ぶものなんですが、学生とは親子以上に年が離れていて感覚が違うでしょう。
逆にこっちが勉強になりますね。
もちろん採点はしないといけないんですけどね。
しかしもう感性や感覚の問題なので正解がないんです。
ただその子がちゃんと自分が伝えたかったことを1つでも2つでもピックアップできていたらそれでいいと思うし、その子が感じる『日本らしさ』が別のところにあってもかまわないと思います。

鈴木 前田さんは皇學館大學と三重大学で教えていますよね。
たくさんの学生がいる中で光ってくる子っていますか?

前田 いますよ。
レポートとか、挑戦的なことを書いてくるんです。
「先生はこうおっしゃいましたが、私は違うと思います」とか。
こっちが言ったことをそのまま書いていたら、それは丸写しになります。
そういう子は毎回授業ごとにレポートを書いてもらうんですが、やっぱり質問や細かい部分を気にしたり・・・興味を持っているんでしょうね。
三重大学の場合一般教養なので、医学部から人文から教育から建築からも、来るわけです。
和風建築に携わっている子から、畳の扱い方や歩き方を見ていて感じることがありました、とか言われて嬉しかったですね。
見栄えだけでなく本来の使い方や歩き方を理解した上で設計してくれたら、僕の授業も建築に役に立つんだと、こちらも勉強になりました。

 

っともっと自分の考えを押し出してほしい

伊東 僕は日本のいろんな町で、町づくりに取り組んでいる若者たちとふれあっています。
最近はとても頑張ってやっているというか、素直な子が多く、その半面、言われたことをそのままやってしまうような傾向がありますね。
生真面目というか。
それが個性を消しちゃっているみたいなところがある気がします。
殻を破ったりする瞬間があるといいのですが・・・。
いろいろな町に行っても滞在するのはだいたい1日なので、その中の何時間かを共有することで、何かが変わるようなきっかけになると嬉しいです。
なかなか難しいですが・・・。

前田 今年一番印象に残った町や人は?

伊東 北は北海道、南は沖縄に行きました。
最近は離島も多いですね。
壱岐にも行きました。
そういう周辺地区は面白いと思いますし、小さな町のチャレンジも多いです。
離島の文化は面白いですね。
島なのである意味、隔離されたような閉鎖的な部分もあります。
その中であがいているような人たちは、僕がこれまだあったことのないタイプで、なおかつ尾鷲のような小さな町で親近感も覚えるので、印象深かったです。

日市の『こにゅうどうくん』はゆるキャラ4位

前田 三重県は伊賀・伊勢・志摩・紀州の4つからできているので、三重県の個性というより、それぞれの地域の個性が強いと思いますね。
全体足すと真ん中へんというか、ゆるくなってきますね(笑)。

伊東 でも最近、良いところですねと言われる機会が増えてきたように思います。
こんな仕事をしているからかな?
ありがたいというか、嬉しいですね。
三重をほめられると嬉しいというか。

前田 僕も生まれも育ちも四日市なので、ご当地キャラクターの『こにゅうどうくんが『ゆるきゃらグランプリ』で4位という結果を残しました。
4位というのは非常に中途半端というか・・・。
でも四日市ですからね、4で・・・。

伊東 四日市と4をかけてきましたね(笑)!