~斎宮に群行した最後の斎王「榿子内親王(やすこないしんのう)」~

日本遺産のまち「明和町」の魅力発見
後嵯峨天皇の皇女で、亀山天皇の斎王として14歳でト定され、16歳で斎宮へと群行。
後嵯峨上皇崩御により、24歳のとき斎王の任を解かれ、11年斎王を勤め上げました。斎宮にいたころの様子が、鎌倉時代の宮廷・貴族の生活や歴史、皇室と北条氏との争いを物語風に記述した「増鏡(松本本)」に記されています。
「増鏡」によると、任を解かれたあとすぐには帰京せず、3年たったあと帰京するほど神の御心にかなった斎王であったと伝えられています。帰京後、西園寺藤原実兼との間に一女が生まれますが、36歳の若さで亡くなりました。
榿子内親王以降の斎王は、戦が多くなり斎王がト定されても群行は行われず、斎宮は次第にさびれていったといわれています。