FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年3月10日放送

今回は『鳥羽市温泉振興会』の事務局長、奥野和宏さんがお客様。
前回、お越しいただいたときは、前田さんとのトーク。
今回は伊東将志さんと洋子さんと一緒に真珠婚や観光についてのお話をしてくれました。
今回のお話しも真珠婚を中心に。
毎月30日に行われる真珠婚では、結婚30周年を鳥羽の町でお祝いしています。
その真珠婚に携わってもう15年以上。
たくさんのご夫婦を見てきました。
その奥野さんが思う結婚30年、真珠婚とは・・・。

羽の真珠婚

鳥羽の真珠婚は観光協会を中心に15〜6年になるかな。
鳥羽で一番長く続いている、小さくてもキラリと輝いていて、前会長の思いに合ったイベントだと思っています。
ずいぶん形は変わってきましたが、素晴らしいものだと自負しています。

 

珠婚の30年は慈しみ

結婚してから一年の節目にお互いに何を贈り合うかというのを調べていくと、1年目の紙婚式はペーパーナイフ。
では30年めは何をプレゼントするかというと、時間と慈しみ。
一番の効果があるのは、クルージング。
船の上で何もしなくて、30年の想いを語り合ってね。
だから時間というものが非常に大切な贈り物になる。

伊東   とかく忙しないですものね。
日々、本当に。

子育てが終わったりと、物理的な時間の余裕ではなくて、ようやってきたなあと。
一番大切なのは、夫から妻への感謝。
もちろん妻から夫への感謝もあるけど、旦那さんが一番涙をこぼします。
案外奥さんはケロッとしている。
大変だったけど今は楽しいからと、サラッとしているの。

伊東   これ、男女でいうと、男の人のほうが節目を感じるということですか?

いや、節目というものの中に、さっきも言った感謝があるんですよ。
新しい道を作るとか再生していくとか、新しい人生を鳥羽からと言いますが、とにかくお互いの感謝。
よくやってきた、これからもがんばろうよ、と。
渋沢栄一っているでしょ。
彼からすると、40代や50代はハナタレ小僧だと。
僕みたいに古希を迎えた60、70代は働き盛り。
90が迎えに来たら追い返せというのが彼の人生論。
そう思うと僕も頑張らないかんな、と。

 

番会いたいのは御木本幸吉

伊東 30年って長いですよね。

でも、参加しているみなさんが言うのは、「短かったな」と。
いかがでしたか?大変だったでしょう?・・・と協会の人たちが聞くんですけど。
充実した人たちが集まってきているのか、それとも現時点でハッピーな人が集まってきて、真珠婚祝福式を受けられているのか・・・。

鈴木  でも、今ハッピーじゃないと、真珠婚には来ないでしょう?

いや、基本的にはみなさんハッピー。
ご家族も含めてハッピー。

伊東  そういう思いになれるということですもんね。
節目を感じられるというか。

『節目』という旅を、今年の鳥羽市温泉振興会のテーマに、鳥羽のお湯に浸かってもらって、日々の癒やしを謳い文句にやってみようかなと。
そうすると伊勢志摩というのは、ずいぶん要素のあるところだと思うんです。
二見浦、伊勢、熊野・・・ここは人間模様があっての町です。
神話の世界ではなく、現実に真珠を作られた御木本幸吉ご夫妻もいます。
その方たちの愛のストーリー性を置き換えただけなんですけどね。
奥さんの梅さんは真珠を付けたことないんですよ。
御木本幸吉と奥さんは、できすぎたドラマですよ。
私がいま一番会いたい人は、御木本幸吉ですね。
会いたいですね。

 

域の人が行きたいと思う場所に

地域の人にやはり知ってもらわないと。
地域の人が行きたくないところに、お客さんは呼べません。
だから、地域の人々がいいなと感じること、その思いを膨らませていって、その人たちがメッセンジャーで、鳥羽や熊野の情報を発信してくれる人を増やす!
ファンは外にあらず、まずは地域の中にファンを増やす。
で、私たちの塾の今年のテーマは『ローカル トゥ ローカル フォア グローバル』。
世界的だとか幅広く広めていくためには、地域と地域、ローカルで力をしっかりと認めあっていかないとインバウンドできない。
ローカルの力こそ、まわりを動かしているというテーマで、今年の振興会は行こうと思います。

鈴木  いなかからいなかへ

そうです。
伊勢海老やアワビも大事ということで、『日本の祝い肴』を宣伝もしました。
築地の『堺周商店』さんが、今、鳥羽の漁協と連携を組んで、日本の祝い肴の話を築地で広めています。
漁協さんはひょんなことから観光課に行って、おつきあいするようになった。
伊勢海老やアワビ、タイの干物をお祝い商品として作っているそうです。
つまり、その地域の持っている大切なところから、発展性があります。
地域力。
地域の人が認めていないのに、来てくださいとは言えないでしょ。
僕も熊野古道をハアハア言いながら歩いたけど、達成すると気持ちが良いですね。

 

島での真珠婚は大漁旗を掲げた船が並走

通常の真珠婚は毎月30日、鳥羽市内のホテルで行われていますが、鳥羽にとって記念すべき年には、場所を変えて行う事もありました。
セントレア、愛知万博、にっぽん丸の船の中で桂三枝を招いたり・・・真珠婚はいろいろな場所で行いました。
鳥羽では神明神社、菅島など、違ったパターンの真珠婚をしました。
その時の市長が第5代市長の井村均さん。
あの人は偉かったですね。
菅島での真珠婚では大漁旗が並走してね、感動しました。

伊東  船はやっぱり、グッと来るものがありますね。

赤いハンカチも作りました。
私、生意気を言うわけではありませんが、いろいろなことをしてきました。
今、鳥羽で続いているものはほとんどそうじゃないかな。
地球塾、赤いハンカチ、真珠婚・・・アイデアはどこからと聞かれますが、適当なところから出てくるんですね。
まだまだ働き盛りと思って、96歳で亡くなった渋沢栄一や御木本幸吉を見習って。
僕は渋沢栄一さんの結婚披露宴のときの言葉を、今まで何十回も使ってきました。
英語で言うと『yet but』という言葉があるんだけど、『今日の良き日はこれだけではない もっと先に素晴らしい日が来るんだよ』というお祝いの言葉。
高砂の席に座った新郎新婦がちやほやされていますが、一番お祝いをもらうのは両親なんです。
新郎新婦に言うお祝いの言葉の中で、渋沢栄一が言うんです。
「あなた方が翁の席に座って、娘息子が高砂の席に座るときこそ、最良の日がもう一度来る」というスピーチなんです。

伊東  いいスピーチですね!

 

先でどんな人に会いたいか

熊本の温泉地、由布院の『玉の湯』の会長溝口薫平さんから教えられた言葉、「旅はどんな人に会えるか、どんな人に会ったか、また次に会いに行きたいか、その繰り返しなんだ」。
だから私がホテルにいた頃の、新館オープンのキャッチコピーは『会いたい人になりたい』。
それをみんなで共有しあいました。
だからこそ、ホテルに勤めているときから現在まで38年間、私に会いに来てくれる人たちがいます。
私の大切な宝物です。
鳥羽を愛してもらうためにも、鳥羽がもっともっといい町になってほしいと思ういます。