FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年3月17日放送

今回のお客様は、文化やアートに関するイベントを企画している『ひらのきかく舎』の平野昌さん。
平野さんが32年間勤めた三重県庁を退職されたのは3年前。
現在は、平野さんが好きなこと、わくわくすることを企画しています。
前田憲司さんとの出会いは歴史街道フェスタのときで、もう16年の付き合い。
それからずっといろんなことを一緒にやってきました。

脈が大事

長年、職員として県民の方に大変お世話になり、ご飯を食べさせてもらっていました。
自分が大切にしてきた人脈を閉じ込めておくのではなく、県民のみなさんに紹介したいと考えました。
興味を引くような文化講座をして・・・割り勘でやっているみたいな感じなんですけど、それが自分の役割だと思っています。

 

刺1枚でどんな人にも会えるのが利点だった県職員時代

僕は防災の頃から林先生や川田先生にお世話になり、今もかわいがってもらっているのですが、その時って1995年なんですよ。
阪神淡路大震災のとき。
あのときに助けていただいた方と、今も一緒に研究会をしたりしています。
それから『歴史街道フェスタ』では前田さんにもお世話になり、世界遺産のときには宗教人類学者の植島先生にも懇意にしていただいて、本当にありがたいです。
県職員時代にとてもお世話になったということで、いまだに続いているお礼だし、お互いの気持ちが通じているという感じですね。

前田 それってとても大事ですよね。
組織を離れると、それまで友だちが多かったつもりが、ピタッとなくなってしまったり。
つまり、個人で付き合っているのではなく、後ろにあるものと付き合っていただけなのかなと思います。
僕も仕事を変わるたびにきっかけや接点、縁がなくなったという人もいるし、逆にそんなに親しくなかったのに、ずっと続いている人がいます。
そういう意味では、平野さんは『三重県』というバックを背負って仕事をしていたのではないんだなと。
個人の面白さで仕事をしていたんだな、と。

入り口は県の職員で、ありがたいことにマスコミの方と同じで、名刺一枚で誰とも合うことができるんです。
それが本当に助かりました。
防災のこと、世界遺産のこと、図書館のこと・・・困っていて、どうやって課題を解決していくかという時に、自分で一番良い答えを見つけるためにその分野のトップの人たちと、名刺一枚で渡り歩けるわけなんです。
それと僕は、人の懐にすっと入ることが得意なんですよ。
わからないことはかっこつけずにわからないという。
そうすると先生たちは分かるように付き合ってくれるんですね。

前田 でも入り口はそうだったかもしれないけど、後はやっぱりちゃんと付き合って・・・何人かは自宅に遊びに来たり、泊まったりしていましたよね。

冒険で写真もやっている石川直樹くんは、泊まっていきましたね。
いろいろな人が泊まりに来たり、飲みに行ったりしていますね。

 

れまでに開催してきた講座

最初は植島先生、田中利典さんという方の修験の話・・・それから藤代冥砂さんという写真家の方に来ていただいたり、松本貴子さんという、草間彌生さんの映像をずっと録っている監督に話をしてもらったり。
また三重県出身で世界のトップパティシエである杉野英実さんという方に来ていただいたり。
その時は紅茶と焼き菓子付きで、良かったです。

鈴木 すごい、コアな人の名前が。

よくお客さんも来てくれると思います。
来てくれたら絶対に損はさせない、面白いという自信はあります。
しかし有料(2500円ほど)ですし、その分野では著名であっても、ビッグネームというわけではない人もいます。

前田 関西学院大学教授の西山克先生もそうですよね。
おばけの権威なんだけど、メディアにあまり露出する先生ではないですね。

西山先生、面白いです。
そういった先生たちに来てもらって、楽しんでほしいんです。
でも、その後がまだあって。
話を聞いて勉強してほしいのですが、もう1つの狙いは先生とお客さんとのつながりを作りたいんです。
最初は僕と先生のつながりですが、次は来てくれたお客さんと先生がつながってくれたら、また違う展開が生まれます。
またお客さん同士がつながることもあります。
結局、『人』が一番面白いので、そのためのきっかけづくりをしているんですね。

 

籍と一緒にヒッピームーヴメントを語る

書籍と一緒にカウンターカルチャーを語る会を開催しました。
60年代のヒッピームーヴメントを語る中で、いろいろなエポックメイキング的な本を紹介しながら、ソロの本を紹介したりしながら進行しました。
僕も勉強になったし、とても面白かったですね!
あの頃の音楽って、グッと来るものがあります。
カウンターカルチャー・・・ロックって要は、体制に対して歌詞でみんなに語りかけているじゃないですか。
当時の歌詞をもう一度紐解いて、こういうことを言っていたんだよねと語ると、お客さんも頷いたりしてくれます。
3時間くらいのイベント時間でしたが、みんなとても楽しんでくれましたね。

前田 今は、芸能などのジャンルは何にしても、マスとか大衆というカテゴリがなくなって、細分化されていますよね。
それを考えると、何百人集めましたとか大きなホールをいっぱいにしました・・・ではなく、そのジャンルに興味のある人たち3〜40人でカチッとしたものを作っていくほうが、楽しいし、奥深いんでしょうね。
また、それができる時代なのかもしれませんね。
みんなが知っている曲、みんなが知っている何かは、なくなりつつあるというか。
それからもう一つ。
レコードをかけるということは、音楽自身は何も変わっていないけど、自分が変わってきているから。
年を取ったから懐かしいということだけではなく、深みがわかってきたというかね。

それはありますね。
例えば『ホテル・カリフォルニア』の歌詞でも、あの当時はわからなかったんですよ。
『1969年のスピリット(酒)はないか』という歌詞があるのですが、それって実は、『69年のウッドストックの魂(スピリット)・・・あの時の気持ちはもうないのか』と言ってるんです。
それを「ない」と言っているんです。
つまりロックは終わったと。
そうだったんだ!とハッとしました。
『スピリット』はダブルミーニングで『酒』という意味と『魂』という意味があり、かけていたんです。
うまいよね!

 

遺品を預かることも多くなった

若い時に買えなかったLPレコードを漁っています。
あれをもう一度LPで聞きたいなって。
自宅には数千枚のLPレコードやCDがあります。
東京や名古屋、大阪、京都の中古レコード屋に行くのですが、時たま、まとめて同じシリーズのものが大量に出てくることがあるの。
なぜかわかりますか?

前田 コレクターのご遺族が手放されたとか・・・。

まさにそうなんです。
だから、自分でピンとくるLPがあったら、連鎖的に次々と出てくるんです。
それってある意味悲しいですよね。

前田 ご遺品を預かる時に、「必要なものがあったら持って行ってください」と言われることがけっこうあるんですが、それが逆に悲しくてね。
ある落語家さんのご遺品を預かった時のことですが、森昌子さんのファンだったようでシングルレコードが全部あったんです。
でも何百万枚と出ているものなので、商品的には価値はありません。
しかし落語家さんがコンプリートした森昌子のシングルなら、そのまま、まとめて置いても意味はあるわけです。
なので、そういうときは全部預かってきます。
それが無条件に出されたら、価値がないからって10円で引き取られてしまうかもしれないじゃないですか。
それが悲しいんですよね。

悲しいね。
自分がいずれ、そうなる可能性もあるわけですよね。
妻からも、もう言われていますよ。
考えておいてって。
前田さんもそうかもしれませんが、多分日本に数枚しかないものも持っていると思います。
自分が嬉しいだけで、価値のわからない人には二束三文なんですよね。
悩ましいですよね。

 

レクションをプレイバックしている

コレクションってプレイバックできて楽しいですよ!
今は時間がいっぱいありますから、講座をするときのネタづくりするときに。
今ね、ネットでいろいろ調べられるし、調べる時間もあるし、それをみなさんにお伝えして、文化講座のときは人と人、この頃は音楽と人をつなぐっていうのもやらせてもらって・・・楽しい・・・至福ですね。