FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年3月24日放送

長きにわたり、この番組のアシスタントを務めてくれた前田憲司さん。
今日が最後のご出演となりました。
ということで、前田さんが番組でじっくりとお話ししたい人、四日市大学学長 の岩崎恭典さんをカフェにお迎えしました。
岩崎学長が推進していることが地域連携授業。
地域の課題を学生たちとともに考え、取り組んでいます。
四日市にある大学が、四日市のことを真剣に考えています。
グローバルな視点で四日市をそして三重県を語っていただきます。

重の舞台づくりの企画が出会いのきっかけ

『三重の舞台づくり』というプロジェクトがあって、お会いしたのが初めてだと思います。

前田 そうですね。
先生ご出身は、もともと・・・

京都です。
東京の大学に行って2001年までずっと東京で勤めていました。
たまたまご縁があって、四日市大学に総合政策学部ができる時にこちら移ってきて。
本当に三重のことはなにもわからなかったので、『三重の舞台づくり』という会議に呼ばれた時、三重県を知る良い機会だと思い参加したところ、前田さんと出会ったわけです。

 

日市まつりの大入道に関わっている

前田 四日市には夏に『大四日市まつり』という市民フェスティバルがあり、そこに200年以上前から伝わっているからくり人形の『大入道』というのが出ます。
しかし本当にそこは小さな町で、人手不足で困っていまして。
で、先生が学生の授業の一環として、手伝うというか実地研修を行っているんですよね。

お手伝いですね。
始めてから10年くらいになりますが、最初にお邪魔したときには、首の上げ下げをする技術を持っている人形師の方が、山車を引っ張って練り歩いて。
A地点からB地点に行って練を固定したら、また首の上げ下げ演技をして、そしてまた移動すると。
それくらい人手不足であったことは確かでしたね。
なんとかならないだろうかと、窓口となっていた僕のところへ話が来て、じゃあお手伝いをしましょうと。
ただ、学生は体力はあるけど、4年で変わってしまうでしょ。
山車を引っ張るくらいは協力させてもらうから、彼らにとってのメリット・・・おまつりに参加することで得られるものが多分あるはずなので、そこに期待しました。
つまり、空いた時間があったら、首の上げ下げなどの技術を伝える研修などを、地元の方で行ってほしいと。
そういう話で始まってから、もう10年。
学生はやっぱり4年で全交代していっちゃいます。
けれど多分、学生にとっても大観衆の中でおそろいのハッピを着て、それで参加するということは、初めての経験なんですね。
「おまつりは決して見るものではなく、参加するものだ」と思ってくれたら、卒業して四日市にとどまることはなくても、定住したところで地域のおまつりに参加してくれるのではと思っています。
それが四日市大学が積極的に勧めている『地域連携授業』の最初に近いものです。
それがどんどん発展してきて、去年から四日市大学で動き出しているカリキュラム『地域志向科目』が全部で40科目くらい用意されています。
卒業までに最低2科目は取ることが条件。
場合によっては4〜5科目取っても構いません。

 

崎先生の専門は地方自治

僕は『地方自治』を勉強しています。
2000年に大きく法律が変わり、地方自治体でいろいろなことができる仕組みになったはずなんです。
それまでずっと僕は東京にいて、制度改正のお手伝いをしていました。
しかし、これから地方でいろいろなことができるようになるなら、東京にいる必要はないと思っていたところ、たまたま四日市大学に総合政策学部を作るという話があったので、三重県でがんばってみようとこちらに来ました。
しかし、制度は変わったものの、国は権限も財源も手放さず、今でも何をやるにしても国のしがらみがあって、納得いかないことも確かにあります。
ならば地域の住民のみなさんの力で変えていけるところからやっていこうと。
こちらに来てすぐに、当時69あった三重県内の市町村を全部回ってみようと考えました。
最終的には、今の南伊勢の部分だけが回れませんでした。
僕は三重県民には珍しく、車の免許を持っていないんですよ。
東京だと不便がなかったので。
こちらに来る際、絶対に免許が必要だと言われましたが、地方自治とか行政学を勉強していたら、免許や道交法が面倒くさくなっちゃって、自動車学校を中退したんです。
もういいや、と。
でもそうすると公共交通機関を使わないと行けないので、志摩半島の南側が難しくてね。

前田 南島、南勢は難しいですね。
宇治山田駅からバスは出ていますけどね。

バスで行くしかないし、行ったら帰ってこられないこともあるし。
それ以外はだいたい回りました。
地方自治を勉強していたため、市町村合併話にどうしても巻き込まれてしまい、桑名・多度・長島、伊賀の大きな合併、伊勢の合併などに関わったため、そのあたりは丹念に回りました。

 

学校の学区の広さがコミュニティを形成するいい大きさ

市町村合併の時につくづく思いましたが、市町村の枠が大きくなったわけです。
大きくなったけれども、それぞれの地域で暮らしている人たちの生活は何も変わっていません。
むしろ大きくなったときのメリットを活かしながら、小さい地域でいろいろやっていくという仕組みを、合併の時に作っておく必要があるのではないかと思いました。
伊賀の合併の時にはその仕組みづくりが少しできたと感じました。
伊勢のときにも『まちづくり協議会』をつくり、それを強力に進めていくべきだとずっと主張していて、こちらもできつつあります。
『まちづくり協議会』とは何かというと、小学校区くらいの範囲で
阪神淡路大震災を機に、日本のボランティア人口の多さがわかり、またそれを機にNPO法ができ、NPO活動が一気広がりました。
そういったボランティア団体やNPO団体などがバラバラに動いてしまっていたんですね。
これから日本全体が人口が減り高齢化していく中で、バラバラに動いていると無駄が多いわけです。
そういう人たちが一同に介して、課題を解決するために協議をする場が必要なのではないかと。
しかし、例えば四日市全体だと大きすぎるんです。
昭和の大合併のときの区域ぐらいがちょうど良いんです。
それが小学校区くらいの範囲。
今、四日市市内で24地区あるので、それぞれで『まちづくり協議会』を作って、今後出てくるさまざまな課題・・・例えば、最初に話したおまつりの担い手不足など・・・を真正面から見据えて、どんな困難が生じてくるのか、その時に自分たちのNPOや町内会、自治会は何ができるか、などを検討する。
そのための場を作っていくことが自分の使命だと思っているし、そういう場に学生たちが参加してくれると嬉しいですね。
去年は、この大学がある八郷地区で、地元の連合自治会さんが毎年開催している『八郷フェスティバル』に、大学として参加しました。
私が持っている『コミュニティ論』という授業を履修している学生に、テントでエビボールを作ってもらったり、八郷地区の住民に、ハンカチにこれからの希望を書いてもらい、伊坂ダムのダム湖をぐるっと一周つないでみようということをしました。
これらに学生を参加させることで、地域の一員なんだと自覚してもらい、その上で地域にどんな課題があるのかを学ばせる、良い機会だと思いました。
今はこういったことが主になっていますね。

 

重県の資源は今後もあり続ける それを次にどう伝えるか

三重県の資源は昔からあり、今でもあり、今後もあり続けるものがあります。
伊勢神宮に代表されるように、20年に一度とは言いませんが、形を変えてでも残るものがあるから、それを活かしながら次の世紀にどうやって伝えていくか。
20年に一度生まれ変わるということを、みんなが知っているのも大きいかもしれませんね。

前田 今回でも全国的には20年に一度の遷宮のときしか言いませんが、三重県に住んでいると、常に次のことが始まっているわけですから。

そういう生き方、伝え方が三重県民の特性としてあるのかもしれません。

前田 ただぼうっとしていて、穏やかで、競争心がないとかよく言われますが、それは良い意味でとらえれば良いと思います。

今までは三重県は地の利が良かったでしょ。
東京と大阪の中間にあって。
国道軸にも乗っているので、新幹線以外のすべての道は、ここを通過するしかなかったわけです。
それでついでにその恩恵を受けてきたと。
その「ついでの恩恵」が、穏やかで争わない県民性を育んできたと思います。
20年に一度、世の中が変わっていくことと、うまく連動できるような知恵が生まれていけばいいなと思います。

前田 四日市市も、 一時はシャッター街でしたが、マンションが建ち一応百貨店も入って、なんとか歩いている人が増えたような・・・。

確かにアピタのところとふれあいモールのところは、人通りが戻りましたね。
ああいう街にしていかないとと思いますし、欲を言えば、駅の反対側の市役所の方に、昼間、人が行ける何かがほしいところですね。
三重県は気候も気質も穏やかでとてもいいところです。
のんびりとしていて温厚な気質のためか、一人一人の貯蓄額は他県と比べて
多いというデータもあります。
お金がある人はため込まずにもっともっと使いましょう!