FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年4月14日放送

春、熊野市紀和町丸山地区。丸山千枚田の棚田では畔作りが始まっています。
斜面に幾重にも描かれた棚田、日本の棚田100選にも選ばれ、その原風景は
懐かしい気持ちにさせてくれます。
今回は、丸山千枚田の保全に取り組む『熊野市ふるさと振興公社』の長野秀信さんと和平憲一さんがお客様です。
先人たちが作り上げた素晴らしい棚田を長野さんに紹介していただきます。

                                                                     長野さん、和平さん

よそ400年前にはもう棚田があった

野 今から400年前、1601年頃にはもう棚田があったとの記録が残っています。
その頃は2240枚の田んぼがあったそうです。
現在は1340枚となっていますが、やっぱり日本でも有数であり、日本の棚田百選でも日本一とも言われています。
枚数では日本で5番目。
面積については60番目となっています。
1枚あたりの平均面積はおよそ10坪。
いかにい小さい田んぼが多くあるかということで、ひと目で見える田んぼの数としては日本一と言われています。
平成初期には530枚まで減ってしまいました。
それまでは紀和町は鉱山で栄えていましたが、閉山後は人数の減少もあり、丸山千枚田が興隆の要ということで、平成元年から約4年間かけて復田を開始し、約840枚。
そして現在の1340枚まで増えました。
すでに田んぼに植林されていたため、一度根を抜き掘り起こして、また田んぼの『床がため』という水が貯まるようにする作業を一から、みなさん手作業でやってくださいました。
とても大変な作業でした。
一枚一枚所有者がいるのですが、やはりみなさん高齢化で、どうしても工作できなくなってしまった田んぼを、くまの振興公社がすべて無償で借り上げて、それを地元の『丸山千枚田保存会』の人たちと守っていっています。

 

育園の頃から田んぼ作りをしている紀和町の子供たち

和平 普段の作業は保存会の方が、男性女性各5名で行っています。
それに付け加えて、私どもは全国にいる丸山千枚田のオーナーさんを集める仕事と、丸山千枚田保存会の作業の工程を指導しています。
だいたい毎年、130組で750名ほどのオーナーさんがいます。
今、一番遠いのは北海道の方です。
やはり日本の宝を守ってくださいということで、ご協力してもらっています。
三重県内の北部の方が多いですが、意外に関東の方が多いですね。
普段田んぼに接することのない方ですね。
それから丸山千枚田は相模女子大学が、学校でオーナーになってくださていますし、OGの方もオーナーになっていただいています。
田植えや稲刈りには50人以上の人が来て、みんなで一斉にします。
全国のオーナーさんが一気に400人くらい来ますので、そのための指導が大切になってくるので、地元の小中学校の生徒さんに協力してもらっています。
地元では保育園から田んぼをお貸しして、小学校・中学校と千枚田で稲刈りをしているので、中学生になると指導役ができるようになっているんですね。
なので中学生の子たちがボランティアで指導を行ってくれています。
子どもたちにも、地元にこんな宝があるということを知ってほしいですし、社会に出た時に、丸山千枚田をPRできるようになってくれると嬉しいですしね。

 

送りは毎年1000人近くの人が!

長野 5月、水が張られた田んぼに夕日が反射している風景が好きだという人が多いですが、僕は2月の、草刈りが終わって田んぼの形がくっきり見えたときが好きですね。
ラインがくっきり出て、空気もスッキリしているので、非常にきれいな光景だと思います。

和平 僕は秋ですね。
秋の稲刈りが終わった後が、稲の匂いとかやりきったという雰囲気がいいですね。
僕も農家なので、ホッと一段落できる時期なので・・・秋が好きですね。

長野 みなさんそれぞれ、好きな色があると思うので、年間を通して色を大切にしたいという思いがありますね。
『虫送り』なんですが、今年も6月に開催することになっています。
この行事も年々、参加者が増え、今では1000人近く訪れてもらっています。
昭和30年くらいまでは、実際『虫送り』はしていました。
しかし高齢化によって衰退し、『虫送ち』もなくなっていたのですが、平成16年に地元の『ふるさとボランティア』が虫送りを復活させました。
日本全国各地で虫送りは行われていますが、丸山千枚田は大掛かりに日本一の虫送りにしようと、田んぼの枚数に合わせて、1340本の松明を立てました。

和平 田んぼ仕事は大変だけど、普段、かけないような汗をかけるという声を聞きます。
疲れ切ったときの爽快感が楽しかったという意見も多いですね。