FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年6月23日放送

美しく染め上げられた絹糸、その一筋一筋が交わり合い独特の風合いを醸し出す伊賀の組み紐。今日は元祖くみひも『廣澤徳三郎工房』三代目、伝統工芸士
廣澤徳三郎さんがお客様です。
初代が伊賀の地で江戸組紐を始めて110年あまり。
帯締めなどの和装小物などで親しまれてきた『伊賀組紐』は、昭和51年伝統的工芸品に指定されました。
伊賀の産業として、その技法は現代へと受け継がれています。

代が江戸組紐を伊賀へ持ってきたのが明治35年

初代が明治35年に『江戸組紐』として東京から持って帰ってきた。
それを二代目である父からさらに私が継ぎ、三代目となっています。
もともと伊賀にも組紐があったということで、藤堂高虎公の時代に忍者の武具や刀のさげ用、鎧の紐として使われていたという文献が残っています。
祖父が東京から持ってきたのは、今で言う『帯締め』の分野で、伊賀の帯締めの歴史としてはその頃からになります。
お茶の道具や神社の飾りなどは、日本のどこでも作られていました。
江戸から持って帰ってきたのは『高台』と呼ばれる大きな台。
その技術を持ち帰ってきたんです。
『丸台』は京都の方から入ってきたと言われています。
伊賀の古墳からも丸台が出土したこともあり、歴史的には丸台の方が古いのではないかな。
昔は『組手組』と言って、指を使って組んでいたんですよ。
台が開発されて、今はそれを使って組まれているということです。

 

東大震災で江戸の職人が減ったのと伊賀の人の気質が合っていたことから盛んに

江戸でも盛んに作られていましたが、関東大震災で作り手が減ってしまいました。
その頃ちょうど伊賀が盛んになってきた頃だったんですね。
なぜ伊賀に定着したのかというと、その頃は米とか豆などを作る農産業しかありませんでした。
そこに『組紐』という綺麗な世界が入ってきて、農閑期に集中してできるということで広がっていったんです。
さらに伊賀の人は忍びということで、忍耐力もあるので、コツコツコツコツと積み上げて行くのが得意なんですね。
働き場所ができたことと、忍耐力があるのでこの仕事に向いているということで、傘屋さんなど、いろいろなジャンルの人が組紐をはじめました。
輸送の麺でも小規模で安価で送ることができることが大きかったんです。
傘100本と帯締め100本だったら、全然輸送料が違いますからね。
さらに、京都に近く大阪に近い。
いろいろなことがマッチして、定着したんですね。

 

台でつくる繊細な作品は92の玉を使って組む

高台は玉数がたくさん使えるので、いろいろな柄のバリエーションができますが、丸台は幾分玉数が少ないので、地柄などになってきますね。
高台だったら菊の柄を出そうと思えば出せますし。
今、皇太后さまに母が見せたときの紐を献上したのですが、十六菊という菊の御紋、それだと92玉使います。
だからもう、このコマ一杯ぐらいに使います。
高台は、玉数が多いほど目が細かくなるんです。
目が詰まるので、締めたときにシワが寄ったりしないんです。
締め味がいいというか。
柄も玉が多いほどに細かく出てきますからね。
高級なものになってくるとハイレベルな技術が必要になってきます。
自分で柄を作ってデザインして、糸に落とし込んで台書きを作るという作業も出てきますね。
着物はいろいろな柄がありますよね。
そういう柄を模写しながら、この細い紐にデザインしていくんです。
例えば桜の花が散っている着物なら、その続きみたいな形で桜を描いていくとか。
デザインは兎にも角にも、売るための手法。
色のコーディネートも売るための手法なんですね。
基本の特徴は、帯を緩まないようにするのが帯締めの役目。
だからいちばん、組味が大事なんです。

 

賀にこだわらず、全国の方々に教えている

埼玉県から来た五十代の女性は、初代徳三郎が工場を持った上林の出身でした。
おばあさんが組紐をされていて、その方も子どもの手が離れたので、習いに来ました。
こちらで40日修行をし、ほぼ商品にできるくらいのレベルまで上がってきました。
ただまだ、高級品が組めるというわけではないですね。
そのくらいから、さらに徐々に教えているところです。
もうひとりは静岡から伊賀に移住してきたご夫妻で、奥さんが30すぎかな。
その方が組紐の魅力に惹かれてこの工房へと来ました。
同じように40日くらい教えたので、そこそこになりました。
この6月に全国から12〜3名、毎週土日に3〜4名の生徒さんが来ます。
その人たちに今、教えています。
なぜかというと、日本のどこでもいいので、工芸品として残さないといけない。
ですから伊賀だけにこだわらず・・・むしろ伊賀は高齢化が進んでなかなか後継者がいない状況です。
だから全国の人に教えることにしています。
全国には、趣味でしている人たちがたくさんいます。
そして教室などにも通って、高い技術も持っていて作品も作ることができます。
しかし基礎をまだわかっていないので、生徒さんたちにそれを教えているところです。
そういう方が増えてくれれば、また伊賀にも恩恵があるかもしれませんよね。
そんな気持ちでやっています。

帯を緩めなくするためにあるもので、それが基本なので崩さないように。
そして技術が廃れないように、いかに広く人に教えるかを大事にしています。