FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年6月30日放送

今回は、津市久居二ノ町にある八起もの蔵、『下駄の蔵 鈴友はきもの店』の鈴木郁子さんがお客様です。
もともと鈴友は、大正12年、東京神田で創業。
ご主人のお父さんが始めました。
そして久居で開業。
楽しそうに下駄をすげる先代の姿が鈴木さんの心に残っています。

正12年に東京神田で創業、昭和19年に久居に戻り開業

ここはニノ町一丁目といって、江戸時代は職人さんが軒を連ねていた場所だと聞いています。
先代が東京で店をしていたところ、終戦前の昭和19年に戦火が激しくなったため、久居に帰ってきて開業したそうです。
私は継がなくてもよいということで嫁いできたのですが、先代がちゃきちゃきの江戸っ子で東京弁で話すような楽しい人だったので、先代がすげるのを横で見ていました。
鼻緒と台が別々にあるということすら知らないくらい、何も知識がなかったので、見ているうちに面白くて、いつの間にこうなっていました。
先代は晩年、糖尿病で目が不自由になっていたので、穴に紐を通すことができないんですね。
私がお腹が大きくて2階で休んでいると呼んできて、代わりにすげてくれと頼まれているうちに私もするようになりました。
『すげる』というのは、穴のところに細いものを入れることを表現した言葉。
この言葉、覚えておいてもらいたいですね。

 

の高い人、足が細い人、その人に合わせてすげる

鈴友では、台と鼻緒を選んで、下駄を作っています。
鼻緒は今、本当に色とりどりで、素材も正絹や木綿などいろいろあります。
履きやすい鼻緒はやはり、裏地も上等なものが使われています。
鼻緒は一本たりとも同じものがないので、それが楽しくて。
鼻緒に魅せられてここまできたのかもしれません。
下駄と聞くと、痛くなるから苦手という人もいますが、そうではありません。
職人さんたちが考えて、柔らかくて太い鼻緒というのが考え出されたんです。
だからこそ、和服のときだけではなく洋服や普段の暮らしの中に、下駄を取り入れてもらえるようになってきたのかな、と思います。
選ぶ人のキャラクターがあって、私から見てどうかなと思っても、その人が履くとピタッとくるというか。
不思議なもんだなと思います。
鼻緒だけ見るのとすげたものを見るのと、履いたものを見るのと、どれも顔つきが全く変わるんですね。
足の甲の高い方などにも合わせてすげるということも、40数年してきていますので、気持ち良いと言ってもらえると嬉しいです。
下駄をすげる道具、鼻緒の結び方、下駄に触れている時間が幸せな時間です。

 

本歯の下駄は、身体に良い

二本歯の下駄は今も人気で、私も履いています。
二本歯の場合は後ろにゴムが付かないので、音を楽しみたいという人に向いています。
それから、私も最近履いていて気づいたのですが、身体にとても良い・・・ストレッチ効果があるような気がするんです。
普通の右近下駄では感じられない気持ち良さがあります。
二本歯の下駄の歩き方は、前の歯に重心を持っていって着地するようになっています。
靴の癖がついていると、どうしても後ろの歯に足を下ろすという歩き方になっていまいますが、前の歯に重心を掛けるということに慣れると、足腰やインナーマッスルが鍛えられると思います。
二本歯は危ないという人もいますが、慣れると逆に気持ちがいいものとわかってきますよ。
『浮き指』といって、靴の中でキチッと底にくっつけないで歩いている子どもさんが多いそうですが、鼻緒のあるものを履くことによって、足の指で掴むようになるんですね。
そうすると足の指の第一関節に皺が寄ることになります。
その動作をできるのが鼻緒の履物なんです。
日本人以外はわからない宝物を持っていると思ってもらえたらいいかな。

 

戸時代の浮世絵にも下駄姿が描かれている

私自身も下駄屋になったものの、廃れていくものだと思っていた時期がありました。
しかしこうして好きな方がいらっしゃって、若い人が見向きもしないと思っていたらそうでもなく。
好きな人がずっといるということは、日本人のDNAに合ったものがあるのかと感じています。
ところで、浮世絵をみるときに、つい足元を見るクセがあるのですが、江戸時代はほとんどの人が下駄や草履を履いていました。
よく見ると、浮世絵師さんは足の指の先までキチッと描き分けているんです。
この第一関節にシワを寄せて台を掴んでいることころまで見えるので、お客さんにもこうしてみてと伝えています。
江戸時代からあるものが、今の時代も残っていくものなのかな、と嬉しく思います。