FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年10月20日

今回は『天満浦百人会』の代表、松井まつみさんがお客様です。
今からおよそ30年前、天満浦を元気にしようとPTA活動で集まったお母さんたちが会を立ち上げました。
天満浦百人会の活動拠点が天満荘。
ここでカフェの運営や、大広間を使ってイベントなどを行っています。

動を初めて30年、ようやく花が開いた

30年前は今ほど高齢化も進んでいなく、寂しい町ではありませんでした。
それでも当時の人たちは『天満を賑やかな町にしようらい』ということで、一念発起して百人会を立ち上げました。
その後、『まちづくり』という言葉が流行ってきて、それからずっとまちづくりという一点で活動を続けていました。
やっと今、花が開いたかなと思っています。
まちづくりはとても地味な活動なので、1年や2年ではできません。
長く続けないと結果は出ないので、ぼちぼちと続けるところに意味があります。
その間、借金をして厨房を建てたり、借金をして天満荘を防災拠点として買うということになりました。
その借金が『夢古道おわせ』のバイキング調理をやめる前月に全部終わったという気楽さもあり、今こそやめるときだと決断しました。
決断は正しかったと思います。
あれから4年たち、世の中は大きく変わってきました。
人口も1年に400人ずつ減っていく。
だんだんと本当に寂しくなってくる町で、百人会の活動は大事な一つの活動です。
いつまでも続けていきたいし、続けなければならないと思っています。

 

重大学の東紀州サテライト、産業振興学舎として運営

この時代の変わり目を生きる楽しみもあります。
天満荘ではカフェの運営や、大広間を使ってイベントなどを行っています。
また、ここは三重大学の東紀州産業振興学舎になっています。
先生方は私たちの息子ぐらい、学生さんは孫くらい。
尾鷲の産業に関することや、海に関すること。
特に海の中の藻場の再生の研究や実習をしているようです。
今の時代はスピードが早いので、彼らから今の時代を教えてもらっているのが現状です。
学生さんが藻場のことなどを私たちに話をしてくれるのですが、非常に大切な仕事。
私は潜ることができませんが、『潜ってみたいなあ』と思うような研究も多いですね。
私は年齢的にずいぶんいっていますが、歳のことは忘れて、若い人たちと同じくらいの感覚で毎日暮らしています。

 

漁旗を100枚ほど飾り、魚の町として尾鷲をPR

11月のはじめからは、2週間ほど大漁旗を展示します。
町にも飾り、天満荘にも100枚ほど飾り、尾鷲は魚の町だということを内外にPRしたいですね。
新しいものは新しいなりに、使い古したものもそれなりに値打ちがあるので、大漁旗の魅力は海の町ならではの展覧会だと思います。
尾鷲で作られたものや九州で作られたもの、その他の地域で作られたもの・・・全然違います。
尾鷲のものは総じてシンプル。
他の地方のものは、一富士二鷹三茄子の絵などもありますが、尾鷲の大漁旗は魚を描く、漁師を描く。
シンプルな中に際立つ美しさがあります。
大漁旗を見ると、ワクワクしますね!

とても魅力があって、勇気をもらうことができる大漁旗は、尾鷲の文化として大切にしていきたいです。

 

日も住めば天満の人

天満浦百人会の天満荘には、若者、よそ者が集まってきます。
地域によっては、何十年住んでもよそ者扱いされるところがありますが、天満浦の場合は、10日くらい住んだら朝晩声掛けをしてもらったり、ちょっとした差し入れとかしてもらえるような・・・もう天満の人になれるような土地柄です。
他所から来た人に対して、あまり違和感を持たない土地柄やと思っています。
東京のレストランは、1日限りの野外レストランを天満荘の庭で行いました。
私たちと若者たちで、地域のことを考える若者会議も行っています。
天満荘にはお金儲けではなく、するべき仕事があるように思います。
それをずっと、ぼちぼち、こつこつやっているという感じですね。

こんな楽しい人生はちょっとないと思います。
今日も若い人に「私ぐらい幸せ者はないと思うわ」と言ったら、その人も「ハイっ」って言っていました。
毎日、嬉しい嬉しいと言って暮らしています。