FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年11月10日

津市美杉町太郎生。
地区の中央を流れる川は名張川、言葉や文化も津というよりは名張かな・・・そうおっしゃるのは、今日のお客様、美杉町太郎生にある『丸八酒店』の奥村久子さんです。
奥村さんの周りには、色々な趣味や特技を持った人がたくさんいました。
それをまちづくりに生かそうとボランティアのグループができました。
ひとりでは大変なこともみんなでやれば、楽しい。
活動が始まりました。

が穏やかで素晴らしい景色がある

以前は大洞山と倶留尊山の間に『東海自然歩道』というのが通っていて、いっときはたくさんの人が訪れ、観光バスも来たり、普通のバスも2〜3台待機するほど賑わいました。
しかし、今はお客さんも少なくなってきています。
それでも山を訪れるお客様に少しでも良い思いをしてもらい、ここの良さを知ってもらおうと、一生懸命村おこしを頑張っていました。
この地域は人柄が良く、他の地域から来た人たちをもてなすという気持ちの人が多いです。
なんにもない場所ですが『太郎に生まれる』と書いて『太郎生(たろう)』なので、津市の一番端っこの、その土地を活かした活動に取り組んでいます。

 

ランティアグループ『太郎生道里夢』のこと

みんなで村おこしをしないかと声をかけたところ、集まったのが18人くらい。
その人たちが1つのボランティアグループを作り、村おこしをがんばろうということになりました。
一番はじめは、この村を花で埋め尽くそうと、桜やあじさい、水仙を植えたりしたのですが、なかなか目に見える成果がありませんでした。
そこで『朝市』を開催しようとなり、夢を持っている村ということで『道里夢(ドリーム)』と名付け、月に1度、みんなで開催しました。
しかし、イノシシと鹿と猿にやられて野菜がなかなか集まらず・・・それでもなんとか2年続けましたが、やっぱりあかんなと。
そんなとき、メンバーの一人が、渡り蝶の『アサギマダラ』を呼び寄せるための花畑を作ろうと言い出しました。
そこで休耕田を借りて、みんなの家の庭にあったフジバカマの花の苗を持ち寄って、少しずつ増やしていきました。
2年3年たち、花畑も広くなり、それはもう見事な花が咲くようになりました。
渡り蝶のアサギマダラは、台湾から北上して青森の方まで行き、秋になると今度は南下していきます。
その南下するときにたくさん飛んできますので、たくさんの方に見ていただきたいですね。
私たちも花の病気について、また連作が向かないことなど、何も知らなかったので、いろいろ調べたりあちこちから苗を分けていただきました。
新しく植えた畑はよく咲くのですが、4年ほど経つとだんだんと弱ってくるので、トラクターで耕うんして、かき混ぜて、まあまあ頑張っています。

 

郎生で何かをしたいと思いお菓子と漬物を作って販売

戦時中までは造り酒屋で、屋号が『丸八』でした。
奥村さんでなく「丸八さん」で通っていたので、私もそのほうが耳障りが良いというか。
個人的になにかお土産ができないかと、カヤの実を使った『榧太郎生』というのを作りました。
また、今は作っていませんが、造り酒屋をしていた関係で、酒粕に関してはおばあちゃんから教わったノウハウを守り続けて来ました。
そこでこの地で採れた野菜を漬け、『倶留尊山』の名をもらって『倶留尊漬』というお漬物を作っていました。
道の駅などで販売していましたが、だんだんと身体が弱ってきて、縮小気味です。
できる範囲でしています。
『榧太郎生』はカヤの実を炒ってお砂糖をコーティングしたお菓子。
ここの地名が『太郎生』なので、『かやたろう』にするととても語呂が良く、記憶に残りやすいです。
お酒も造り酒屋さんに頼んで、『大洞山』『倶留尊山』という甘口と辛口のお酒も作ってきたのですが、弱ってしまいました。

 

月『わいわいサロン』で食べる事と絵手紙や折り紙などを楽しんでいる

現在、『丸八』の店舗は閉めていますが、毎月1回空き店舗で『わいわいサロン』を開催しています。
来月は何をしましょ、来月は何をしましょ・・・毎月いろいろ考えますが、1つだけ決まっているのは『食べること』。
今年は餅花作りとこんにゃく作りをするので、じゃあ来年1月は何をしようかなってみんなで計画しています。
みんな、したいこと言ってよ、って。
今までは郷土料理を作りました。
6月はフキの葉っぱに豆のご飯を包んだ『さぶらぎ』を、先日は赤飯、昨日はぜんざい。
その前は草餅を作って・・・食べることは必ず入れて、あとはおしゃべりしたり、トランプしたり、お手玉したり。
年齢は60代、70代、それから80代の方も少しいます。
昔を思い出すような、楽しいことしようにって言って。
いつまで続くかはわからないけど、一日でも楽しみましょうと。