自らも高校・大学と相撲部で活躍し、卒業後はスポーツ店を営みながら母校の相撲部で指導にあたってきた館長の小林さんが、20年前に私財を投じて建てた相撲道場『志友館』!
角界や強豪校に多くの力士を輩出し、現在もそうした先輩たち背中を追いかけ、未来の力士を夢見る小学生・中学生が地元を初め遠方からも通っています!
志摩市にある『志友館相撲道場』は、手作りの土俵でジュニア世代の力士の育成に努める、町の相撲道場。
1999年に館長の小林利博さんが、私財を投じてつくりあげ、20年になります。
「今の練習生は小中学生7人ほどですが、当初は20人ほどいました。
県内はもちろん、道場に併設する自宅で県外から住み込みの練習生も受け入れていて、高校や大学の相撲部の合宿先としても利用されています。
高校や大学が合宿してくれるようになったことでプロを目指す子も増えました。
親方衆がスカウトに訪れることもあり角界や強豪校に多数の力士を輩出することができました」
と、小林さん。
十両『志摩丿海』は『志友館相撲道場』出身。
それも子どもたちの刺激となっているようです。
道場に隣接した自宅。
小林さんの朝は、お弁当作りから始まります。
週4日、早朝に運送業のアルバイトをしているため、6時前の出発前に、同居する息子と自身の昼食用に弁当を用意するのが日課なのです。
住み込みの練習生が去年は一人、来年も一人引き受ける予定で、そのときは食事等、生活の面倒を見ながら稽古をすることになります。
小林さんと相撲との出会いは、三重高校で相撲部に入ったところから始まります。
小俣町(現・伊勢市)出身で、小さい頃から神社相撲に親しんできたこともあり、三重高校に入学後、相撲部に入部。
中京大学に進学し、そこでも相撲部に所属。
大学在学中、大学卒業後も国体に出場しながら母校・三重高校の前でスポーツ用品店を営み、コーチとして相撲部の指導に当たり、33歳で選手生活を退きました。
そんな小林さんが志摩に道場を開くきっかけになった人生の大きな転機は、指導に携わってきた三重高校の相撲部の廃部でした。
営んでいたスポーツ用品店を畳んで志摩市に移住。
相撲道場を開設し、地元の小・中学生をはじめ、県内外から練習生を受け入れてジュニア世代の育成に当たりました。
その熱心な指導の甲斐があり、練習生の城山聖羅選手(東洋大)が、第92代・第93代高校横綱に輝きました。
日本一の選手を生み出すまでに、『志友館相撲道場』を開いてから、およそ10年かかったのです。
この日の練習は午前9時半から。
まだ9時にもなっていないのに、教え子たちがゲンキよくやってきます。
まわしをつけるのも自分たちで。
もう手慣れたものですが、最後は協力しあってしっかりと締め上げます。
そして相撲の基本中の基本、四股を踏みはじめました。
一方の小林さんは、洗濯干し。
「若い指導者がいるから大丈夫ですよ。
洗濯や買い物は自分じゃないとできないので」
今年に入って奥様を亡くされた小林さん、自分のことは自分でする必要があります。
ちなみに月謝は月2000円。
「運送業のアルバイトと年金があるから・・・ご飯が食べられればいいんです」
まさに自分の生活のすべてを、力士の育成にささげています。
四股を踏んだあとは、すり足やあたり稽古。
「同じぐらいの力同士じゃなくて、上位の練習生と当たらせます。
自分より強い人にいく練習をしないと、上位へいけないんですよ。
辛抱強くいくというメンタルがないとダメなんです。
そのための基礎練習がどれだけ大事かを教えているんです」
と、小林さん。
「勝てないときは楽しくないときもありますが、自分のやりたいことを覚えると楽しくなります」
と、練習生の丹羽樹くん(中学3年生)。
「一番楽しいのは勝ったとき」
と言うのは小学4年生の斉藤正虎くん。
「お兄ちゃんもこちらの練習生でした。
なんせこの子は負けるのが大嫌いで、負けても負けてもかかってくる子なので期待しています。
とは言え、好きでやっているのが一番ですね」
と、小林さん。
「最初は相撲とかはそんなに興味とかなかったけど、やってみるとすごく楽しかったので、やってみました」
と、中学2年生の井上拓海くん。
「担任の先生から相撲に誘われてはじめました。
通っている安乗小学校の裏庭に土俵があって練習していましたが、5年生のちょっと前からこちらに通うようになり、本格的っていうか桁違いで、びっくりしました」
と、小学6年生の浜田珊瑚さん。
「強い子がたくさんいて、いい稽古をできるので、僕はここがいいと思います」
と、中学1年生の山川伯くん。
最後は道場のコーチである河村昭さんに、コーチとなったきっかけとやりがいについてお聞きしました。
「私は三重高校相撲部の出身で、その時に今の館長が、相撲部のコーチとして指導して下さっていて、道場開くので手伝ってくれないかっていうことで、手伝うことになりました。
力ついてくるともう自分から進んで稽古するようになったりする姿を見てるのが楽しいですね。
うちの2番目の子にどお?って言ったらやってみようかなぁと言うので、まぁしめたものやと思って、今も通ってます」
「小学校の時は自身が全然なくて勝てませんでしたが、中学校ぐらいになって体も大きくなってきて、勝てるようになってきました。
すると顔つきが変わってくるんですね。
館長は内面的な部分をしっかり見ながら奥の深い指導をして人間を作ってくれるので、自分のお父さんのような気がします」
「子どもの個性を見る天才ですかねぇ・・・
子どもが育つのはこの道場だなぁと思って、通わせてもらってます」
と、練習生の保護者たち。
小林さんは技だけでなく、心も育ててくれる指導者なんですね。
今やすっかり志摩の地に根ざした『志友館相撲道場』。
小林さんが志摩を選んだ理由は、この磯部神社の土俵にありました。
磯部神社では、毎年11月11日の例大祭に合わせて奉納相撲が開かれ、地域の人たちで賑わいをみせます。
そんな奉納相撲に、高校の頃の小林さんも参加していたのだとか。
館長の小林さんが志摩を選んだ理由。
それは日常の中に相撲があったから。
志摩をさらに相撲で盛り上げたい。
そんな思いが心の奥底にありました。