FM三重『ウィークエンドカフェ』2019年1月5日

2019年の最初は芸能史研究家の前田憲司さんがお客様です。
落語を始め、日本の伝統芸能や民俗芸能について調査研究に携われている前田さん。
今日もおもしろいお話しが聞こえてきます。

 

語家は今1000人を越えている

落語は東京で、とてもブームとなっていますね。
大阪でも僕らが動き始めた頃は50人ほどしかいませんでしたが、270人くらいになっています。
東京が600〜700人くらいいるそうなので、もうすぐプロの落語家さんが1000人くらいになるらしいです。
演者が増えるということは、若い人が興味を持ってくれる人が増えているということで、喜ばしいですね。
そして、若い演者さんだけが増えたのかというとそうでもなく、三十代・四十代でサラリーマン生活をしていたけど落語家に転身したという人も結構います。
それから『社会人落語』と言って、社会人の方が仕事を持ちながら落語を趣味でやって、それで学校に行ったり地域のことをしたりする人も増えているそうです。
1000人も落語家がいてさらに素人でやっている人がいて・・・しかしその噺家さんの中で餓死をしたなんて話は聞いたことがないので、多分仕事として成り立っている・・・ということは全国的にブームなんでしょうねえ。

僕は自分が落語をするわけではなく、落語界でいろいろな形でプロデュースするなど携わってはいますが、どちらかというと歴史や芸能史的な古い時代のことを専門としています。
落語は江戸時代からずっと続いているわけで、笑福亭や桂も江戸時代から伝わっている名前です。
大阪の落語は明治末から大正が落語家さんの数が多くてピークで、その時の人数が250〜270人。
その後、漫才が出てきて押されて、ダメになってきて第二次世界大戦の頃には18人までに減りました。
だからそれが今また270人になってきたということは、今が落語史上最盛期かもしれません。

 

いセンスでの浪曲がおもしろい

浪曲でも、若い人たちの入門者がポツポツ増えてきています。
三重県出身鈴鹿市の真山隼人くんもがんばってやっていますしね。
芸術祭に大衆芸能の公演が参加し、そこに審査員が何人か見に行って、その年の若手の中で一番だった人を新人賞、良かった人を優秀や大賞にします。
去年関西公演で大賞を取られたのが、漫才の『ザ・ぼんち』さん。
新人賞が、真山隼人くんでした。
最初はカラオケを使った歌謡浪曲のようなものをしていましたが、生の三味線音楽で昔ながらの浪曲にチャレンジし始めて、まだ数年しかたっていませんがそれが認められて新人賞ということになりました。
面白い浪曲も作っているんですよ。
『ビデオ屋ののれん』といって、若い子がレンタルビデオショップに行って、奥になる成人しか入れないのれんの先へ、ドキドキしながら・・・という話を、若い人ならではの視点で浪曲にしています。
また昔からの浪曲も、資料を掘り起こして演じたりしています。

僕は昨年、三重県の生涯学習センターで、浪曲講座の講座をさせていただいたところ、たくさんのお客さんが集まってくれました。
春野恵子さんと真山隼人くんがゲストで来てくださって。
春野恵子さんは昔、『ケイコ先生』と呼ばれた東大出の才媛で、今は浪曲の世界に身を投じています。
お二人が浪曲を演じたところ、客席の中からハンカチで目を抑える方がいまして、すすり泣きが聞こえてきました。
そういうのを見ると、こういう芸能もまだまだ行けるし、若い人が興味を持ってやってくれると面白いなと実感しました。

 

風の被害にあった山門を移築する計画

『四日市宿』と呼ばれているのは駅の近辺です。
戦争で何もかも焼けてしまって、ほぼ何も残っていないというエリアなんですね。
週末には東海道を歩いている方がたくさん見えるのですが、何も見どころがないので素通りされてしまいます。
そこに去年、東海道ウォークでは、街道沿いを歩きながら地元四日市の歴史や旧跡などを紹介することにしました。
明治の末に、東海道から少し離れたところにある薬師寺の山門として、本陣の門が移築されているんです。
東海道から少し外れますが、地元の人に知ってもらうために行こうと。
下見に行ったときはもちろんありました。
しかしイベントの前日見に行ったら、門に網がかかっているんですよ。
台風が多かったためかなりダメージがあり、瓦などが落ちると周りに被害が及ぶということでかけられていたんですね。
そのお寺にはもう住職がいなく、桑名の別のお寺が管理しているそうです。
大変な状態で、ウォーキングが済んだあと見てみたら、解体工事がはじまっていました。
これは大変だと、管理しているお寺に働きかけたところ、とても文化財に理解があり、解体をストップすることができました。
しかしどちらにしても倒れそうで危険なので、新たに立ち上がったまちづくりの団体に話をして、なんとか東海道沿いに移築をしようと、今年になってから具体的に話が進められたらなと思っています。
僕たちのような物書きや講演などをする仕事は、ある意味、話して人に問題意識だけ植え付けて、あとはご自由にみたいな部分があります。
なのでこうして、具体的に何かができるというのは地元に、地に足をつけてきたおかげです。
やっていてよかったと思いました。

 

つりと人の関わり方にも変化が

核家族化が進み、代々そこに住んでいる人たちって、少なくなっていますよね。
郊外に家を建ててとか。
私自身も次男坊なんで、住んでいる町からは離れています。
ところで『まつり』ってなんでしょうね。
初詣で神社に参拝したり、神様仏様の元へ行ったりしますが、じゃあ神社やお寺はどうして成り立っているんだろうとか、おまつりって主催者はどういう人なんだろうか・・・。
そういうことに思いを馳せてほしいなと、最近とても思うようになっています。
去年のハロウィン、渋谷で大暴動が起きたでしょ。
あれって主催者がいなくて、勝手に集まって勝手にやっている。
ゴミを散らかしている、交通整理どうする、危ないから警備員を立てなきゃいけない・・・本来ならそういうもので、まつりに行くとみんなやっているでしょ。
警備員さんがいて、通行止めの許可を警察からもらって、そして危なくないように事前にセットして、参加者も事前に保険に入って。
そういうことに思いが及ばないから、みんなが集まっているところに行って騒いじゃえという感覚になっているのが、あのハロウィン騒動ではないでしょうか。
『まつり』は、年間通じてずっと準備してきていろいろな方と調整し、警備員を雇って安全のためにロープを張ったり、なんだかんだとお金がいるわけじゃないですか。
ではそのお金は誰がどうやって捻出しているんだと。
地域の中にずっとまつりがある町の人たちが、お金も出して汗もかいて準備もしている・・・そういう思いを知ってほしいし、できれば参加もしてほしいですね。
今は、そこに住めとか一年間かかわれとか、それは無理な話です。
しかし新しい組織、新しい形を作ってでもまつりを伝えてかないと、ただのテーマパークのアトラクションのように捉えられてしまうようになります。
それは絶対違うと思いますね。

やみくもに昔のことをしろというのではなく、新しい仕掛けを一緒に考えて、次の世代にバトンタッチしないといけないのかなと、真剣に考えるようになってきました。