三重テレビ『ゲンキみえ生き活きリポート』2019年1月6日放送

漁業や釣り、海水浴など海の町として知られる大紀町錦の、隠された魅力…それは、歴史。
日本に存在する最古の歴史書「日本書紀」にも、神武天皇が上陸した地として記されていて、 古くから奈良の都と関わりがあったとされています。
『戸畔の会』のみなさんは、そんな地元の歴史を広く伝え、生まれ育った地域に誇りを持てるようにと活動していて、錦と奈良のつながりを学び、その経路にあたる地域との交流を再確認しするツアーを続けています。
今回は第6回をむかえた 「都に続く縁の道を歩く」に参加し、活動の様子やメンバーの思いを紹介します!

こちらは大紀町錦です。
錦と言えば、毎年3月に盛大に開催されるブリ祭りや夏のトロピカルガーデンの海開きなど、海や漁業といったイメージがある町ですが、実は、もうひとつ、隠された魅力があるんです。

それは『歴史』。
なんと、日本に存在する最古の歴史書『日本書紀』にもその名前が記されているんです!
そんな地元の歴史を広く伝えよう、そして生まれ育った人たちが誇りを持てるようにしようと、あるツアーをはじめたのが、今回紹介する『戸畔の会』のみなさんです。

 

ツアーの集合場所には、すでに人が集まっていますね!
『戸畔の会』会長の西村元美さんに、このツアーについてお聞きしました。

「錦から奈良の橿原神宮までを辿るツアーです。
神武東征の道という『日本書紀』に出てくる道があるのですが、魚や塩をこちらから奈良のほうまで運んだ道ではないかということで、それらを検証するツアーとなっています」

大紀町錦と奈良の都。
まるで接点がないようなふたつの地域を結ぶ歴史街道。
一体何が運ばれ、何が伝えられたのでしょうか。
『~さあ!まいこましてこかぁ~「丹敷戸畔の謎」解明プロジェクト』として、2013年からスタート。
錦と奈良の都の繋がりを検証しながら、地域の結びつきや交流を再発見しています。

 

「最初の1回以外は参加しています。
自分の足で現場に行くことができるのが魅力ですね」

「先生のガイドがとても勉強になります」

「昔、錦から奈良へ魚を運んだということを中学生の時に勉強しましたが、大人になってからだと、交流についてなどまた違った勉強ができるのが楽しいです」

参加者は、松阪や伊勢、鳥羽、そして地元の錦地区からも。

 

バスの中で、代表の西村さんによる解説が続けられていました。
参加者の三分の一は、地元錦から。
6回すべてのツアーに参加している方もいるそうです。

「戸畔の会とは『日本書紀』の神武天皇東征に登場する女酋長『丹敷戸畔』にちなんだ女性を中心としたグループで、地域の歴史・文化を広く伝える活動を行っています」

と、西村さん。

 

錦支所資料館では展示物を見学。
鏡や勾玉や土器など、都とのつながりを示すものなどが展示されています。

「日本書紀という日本最古の歴史書に錦の『戸畔』という地名が出てくるのはとても重要なことです。
神武天皇が本当に錦に上陸して、奈良へ行ったとしたらどの道を通ったのかを検証しようと、錦〜橿原間で昔から使われている『魚の道』を追ったところ、やはりそこに神武天皇の言い伝えが残っていました。
さらにいろいろ歴史の証拠になる事例が出てきたため、それらをみなさんに知ってほしいと思い、このツアーを始めたのです」

と、西村さん。

 

最初の目的地、奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)に到着しました。
日本書紀に記されている「神宮」は、伊勢神宮とこちらの2つだけ。
記述を読むと、大和朝廷の武器庫を守り、天皇の御魂を振ったり、鎮めたりする神社だそうです。
錦の名前も記載されていた日本書紀。
ほらほら、もうつながりが出てきましたよ。

 

解説をするのは皇学館大学の名誉教授、岡田登先生。

「神武天皇が九州を発ち生駒山の北側を超えて入ろうとしたが、大和を納めていたナガスネヒコに負けてしまいました。
そのため、ぐるっと熊野の方を周って、荒坂の津、別名丹敷浦というところから上陸したという話です
その時に、天照大神が剣を下げ降ろすから、それを持って神武天皇に渡しなさいという話で、これあくまでも『夢の中の話』として語られています。
しかし、熊野の高倉下(たかくらじ)という人が自分の倉の中を見たら、太刀が一本置いてあったのでその太刀を渡したとところ、太刀を持ってかざすと、みんなが奮い立ち、それから八咫烏に道案内をしてもらい、この大和の国に入ることができたという話です」

なんと、錦と都のつながりは、神々の時代まで遡るようです!

 

続いてやってきたのは、同じく奈良県天理市にある黒塚古墳。
全長130メートルにおよぶ前方後円墳。
3世紀後半から4世紀前半の築造と考えられ、鉄製品や34枚の鏡が出土しました。
黒塚古墳展示館では、竪穴式石室のレプリカを展示しています。

 

奈良と錦で出土した三角縁神獣鏡について、岡田先生にお聞きしました。

「錦で出てきた三角縁神獣鏡は、仿製(ぼうせい)鏡(きょう)といって中国から伝わってきた鏡を真似して作った鏡ですね。
だけどもこれは個人が作るわけではなく、いわゆる大和王権から分け与えられるという物なので、錦にいた海洋の民がこの三角縁神獣鏡を頂くという、そういった関係があったと。
だから非常に大和と錦とは強い結びつきがあったと考えられます」

 

「奈良時代の平城京の発掘調査で、錦から送られた魚の品物を書いた木簡が発見されています。
ここから出て来てるものはですね、錦(二色・仁色)という地名と品物しか書いてないんです。
おそらく平城京へ税として納めたものではなくて、平城京の東と西にあった市場へ、錦から魚を運んでその店屋で並べていたと思われます。
当時の人が、熊野灘で獲れた魚を大和の海もない、魚もおいしいものをたべたことない人に運んであげようという山の中を進んだエネルギーがあったということを、今の人に感じてほしいですね」

と、岡田先生。

 

今回のツアーでは他にも、桜井市の埋蔵文化財センターを見学。
時代ごとに展示された出土品から、地域の歴史を学びました。
また神武伝説ゆかりの道、忍阪(おっさか)街道にある石位寺(いしいでら)は、日本最古といわれる石仏を拝観。
錦と都の間を往来した文化や歴史に思いを馳せました。

 

「地元錦の人間なので、今日は楽しみにしてきました。
いろいろと先生の説明を聞きいて、今まで聞いてきた歴史と違う説明があると、こちらのほうが現実的な話だと感じ、感動いたしました」

「奈良が大好きで月一回二人で山のべの道を歩いていました。
行けなかったところを今日は行くことができて、先生に説明をしていただいて大満足です」

と、参加者のみなさん。

 

昼食はみんなで揃って、その土地のおいしいものをいただきます。
これも楽しみのひとつ。
参加者のみなさんと、主催者の戸畔の会のメンバーがいっしょになって、この日学んだ歴史で盛り上がります。

「おもしろいですね。
自分の地元というか身近にあった地域が、そんな由緒正しいところだと思いませんでした」

と、『戸畔の会』スタッフの宮島蓮さんと西村沙萌さん。

 

「お話を熱心に聞いていただいているので、私たちもやりがいがあります。
手ごたえもあります」

「これをやることでみなさんと同時進行で、自分も教えてもらいながら一緒に成長しているみたいです。
あらためて自分の生まれ育った錦の素晴らしさを感じています。
たくさんの人に知ってもらいたいですね」

と、共同主催である『ISOMON6』の谷口満穂さんと糸川博子さん。

今年、謎解きツアーはいよいよファイナル!
最終目的地の奈良県橿原神宮へ向かいます。

都に続く縁の道を歩く~さあ!まいこましてこかぁ~
纏めwalk『神武天皇東征の道編』2019年5月18・19日スタート!