FM三重『ウィークエンドカフェ』2019年1月19日

今回は『朝熊岳金剛證寺』の執事長、出口眞人さんがお客様。
朝熊山の山頂近くにある本堂は静寂に包まれ、訪れる人の心を落ち着かせてくれます。

今日も星祭の祈祷が、本堂で行われます。
金剛證寺の歴史を出口さんにお話ししていただきしょう。

詣の人は少ないが、1月21日までは星まつりの祈祷がある

正月は寺社仏閣にみなさん初詣に参られますが、ここ金剛證寺はあまり初詣という形はとってきません。
ただ1月1日から1月21日まで毎年、善星皆来悪星退散の『星まつり』の祈祷を朝10時から21日間行います。
みなさんが事前に申し込まれてご祈祷を受けた御札を満願後に送ることになっています。
人間には良い星のめぐりと悪い星のめぐりがあって、数えの歳を金剛證寺に伝えると、どういう星めぐりになっているかがわかります。
申し込みは、郵送で全国から来ていますし、毎年ご祈祷される方が多いです。
国の重要文化財である『摩尼殿』という本堂で、0度からマイナスになるような、寒い中で祈祷を行います。

 

熊岳は霊山、伊勢志摩地方の人は身内が亡くなると塔婆を建てる

このお寺の草創は、暁台上人が日本に仏教を伝来してから30年ほどの570年くらいに山岳修行をしだしたのが始まりと云われています。
その後、825年に弘法大師(空海)が見えられて、ここで求聞持法を修法され、そして東寺の法務となって京都へ行かれている。
弘法大師が『勝峰山兜卒院金剛證寺』という名前をつけてくれました。
高野山の金剛峯寺、朝熊山の金剛證寺、一字違いの兄弟寺となっています。
ところが弘法大師が見えられてから500年くらい経つと、このお寺が寂れてしまったのです。
その頃鎌倉から禅宗のお坊さんが来て「お大師さんの法燈を消すのは忍びない」ということで、お寺を再興し禅寺として再スタートさせたわけです。
その方が仏地禅師(東岳文昱)という方で、命日の6月29日に合わせて27、28、29日を開山忌として3日間、禅師さんの遺徳を偲びます。
とともに『霊山』としての朝熊岳の山中他界観・・・霊が集まる場所がここにあるということで、卒塔婆を立てると霊が癒やされ鎮魂になるという考え方で、ここに塔婆を上げに来ます。
特に鳥羽・志摩・伊勢の方が多いですが、都会に行かれて向こうで亡くなった方の卒塔婆を立てるために来られる方もたくさんいます。

 

治橋の先にある朝日を見たいと人々は朝熊山に登った

金剛證寺は伊勢神宮の鬼門を守っているお寺です。
御所に対して比叡山があるように、神宮域である伊勢の地に邪鬼、疫病などが入ってこないように、山の上からぐっと押さえつけるために明星天子が祀られているわけです。
仁王門の後ろ側にあります雨宝童子と明星天子、また本堂の右横にも明星堂という赤い建物があり、そこに明星天子が祀られています。
方位を司る大将軍・・・大将軍というと、戦をイメージするかもしれませんが、明けの明星、宵の明星と言われる金星のことを指しています。
方位を司る明星天子が、ぐっと抑えて伊勢を守っているんですね。
伊勢の方から見ると、冬至のときに宇治橋のそばの鳥居から太陽が上るんですが、昔の人たちは山から昇る朝日を見るよりも、あの先に何があるのだろうかと考え、朝熊山に登ってきて、遙拝所で朝日を臨んだんですね。
伊勢志摩地方は海が一面に見えるので、海から上がる太陽を拝むわけです。
太陽が海から上がるというのは、大きな感動を覚えますね。
冬の天気が良い日は、富士山をはじめ南アルプスの山々を臨むことができます。
素晴らしい景色は昔の人も現代の人にも大きな感動を与えてくれます。

 

宮参拝のあとに朝熊参りへ

昔から「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と正調伊勢音頭に謳われているといいますが、本当の伊勢音頭に歌われているのは「お伊勢のかへりに朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参宮」なんです。
伊勢の『参詣曼荼羅』という、世界で4枚くらいしかない大きな絵図面の中では、「伊勢に入ってくるには、まず宮川を渡らねばならない」。
宮川に橋がないので船を並べてその上に板を渡し船橋して、伊勢の地に入る。
そうすると一番近いのは外宮さん。
外宮さんにお参りして、今度は内宮を目指すわけなんですが、その前に天の岩戸伝説のある高倉山にお参りして、それから間の山から古市の道を通って内宮の宇治橋を渡って、そして正殿にお参りして、最後は金剛證寺に参る・・・これが伊勢参宮の仕方として絵図面に描かれています。