FM三重『ウィークエンドカフェ』2019年3月23日放送

今回は、大紀町錦で地域の歴史や文化を伝える活動をしている『戸畔の会』代表の西村元美さんがお客様です。
錦は日本書紀にもその地名が出てくるほど古い歴史がある場所です。

と奈良を結ぶ道を検証する会『戸畔の会』を立ち上げ

錦は歴史が長く、古い時代からあるので、それを追いかけて掘り起こしてみようという活動をすることになり、『戸畔の会』を作りました。
『戸畔の会』とは『日本書紀』の神武天皇東征に登場する女酋長『丹敷戸畔』にちなんだ名前。
最初は女性メンバーばかりだったため、『丹敷戸畔の会』から『戸畔の会』となりました。
今は男性のメンバーもいます。
昔から錦は、神武天皇の神武東征上陸の地だという言い伝えがあり、私たちも小さな頃からそのお話を聞いていました。
が、当時はそんなにはっきりとしたことはわからなくて、大人になってから初めて勉強するようになり、本当に錦に上陸したのかも・・・と思うようになりました。
錦に上陸したら、どの道を通って奈良まで行ったのだろうということに興味を持ち、錦でも古く行き来している人に聞いてみたところ、魚を奈良の方まで運ぶということが当たり前のようにあったとみなさん仰るんですよ。
じゃあその魚を運んでいた道はどこになるんだろうと、今、イベントを行いながら検証しているところなんです。

 

百年前の大般若経が奈良から錦に伝えられている

奈良に行くまで最短距離であるということと、大きな山を越えていないということ。
ほとんど川沿いで歩きやすい道、そして最短距離で行くのに熊野灘に面した漁港はどこかというと、錦なんですよ。
なるほどと思いました。
そして行くところ行くところで神武天皇の言い伝えが残っていたり、錦とのつながりを示すものがいくつも見つかったり・・・新しい発見が多々ありました。
古事記・日本書紀の中で、『兄猾(えうかし)、弟猾(おとうかし)』という奈良の人たちが出てくる場面があるのですが、その人たちがいたところは『うかし』もしくは『うかち』という地名なんですね。
その『うかち』から錦に900年ほど前に来た大般若経六百巻が、今もまだ錦のお寺に現存しているんです。
そんな時代にそこと行き来があるということは、もしかして神武東征のこともあったかもしれないと思い、検証をはじめました。

行けば行くほど、錦との関わりをその土地で聞くことができるというのが嬉しいですね。

錦はもともと奈良とのつながりが深かったようで、「あの人は(奈良の)大和宇治の人や」と言う人がいますし、奈良でよく見かける茶粥も錦では普通の食事として食べます。
そんなことも奈良と同じだなと思います。
東吉野の方ではお祝いがあるとお魚を錦まで買いに行くと言っていた、なんて話も聞きました。
考えてみると大台ケ原を越えるよりよっぽど早いんですね。
やっぱり昔から使っていた道だということがわかりました。

「都に続く縁(えにし)の道を歩く」

錦と橿原神宮をつなぐ道『魚(いよ)の道』を歩き始めました。

 

成25年からスタートして今年は『まとめウォーク』

平成25年から活動を始めています。
峠などは歩いて越えて、車を使えるところは車やバスを使いながら検証してきました。
平成25年というのは古事記が編纂されてから1300年目の年で、そこから今年の日本書紀編纂1300年までの間を企画してきて、実は今年でゴールを迎えるんです。
ゴールが終わったらバスを使わずに全区間踏破しようという話が出たのですが、来年、2020年の橿原神宮の4月の行事でゴールしてほしいとのお話をいただいたので、それに合わせようとすると今年始めないといけないので、今年の5月18日から歩き始めようと思っています。
それが第1回めの『まとめウォーク』で『神武天皇東征の道編』。
来年4月に3泊4日でエキスパートの人たちが集まって歩く『魚(いよ)の道編』の2つ目として、今準備を進めているところです。
興味を持ってくださった方がたくさん増えて、今回のまとめウォーク、それから5月から6月、9月から10月と月をまたいで7回8回となる、全コース参加すると申し込んでくれた方が、すでに10人以上います。
これからまた申込みを受け付けますので、興味のある方、ぜひ参加してほしいと思います。