FM三重『ウィークエンドカフェ』2019年5月4日

今回のお客様は、明和町『御絲織物株式会社』の西口裕也さん。
県内で唯一、糸の藍染めから機械織まで「御絲織(みいとおり)」を一貫して行っている織元です。

業は明治7年、140年続く会社の5代目

古くは江戸時代から、農家の方が副業としてやっていたのがはじまりですね。
昔から『御絲織』をしている地区がありまして、伊勢神宮へ織物を献上したり、松阪で集荷さてれて『松阪もめん』として江戸へ売り出されていたわけですね。
『御絲』は昔からそういう地名で、下御絲、紙御絲、東黒部、西黒部、機殿・・・機殿神社というのもありますね。
上機殿、下機殿。
ずっと紡織の盛んだった場所なんです。
御絲織・・・地名にも出ていますね。
『御絲織物株式会社』は明治7年に創業したので、かれこれ140年ほどになります。
私で5代目になります。
はじめは染だけでしたが、少ししてから織りも兼ねて行っています。
ずっと手織りで、昭和になってから機械化しましたが、基本は手づくり的な感じでずっと昔からの製法で作っています、

 

ャパンブルーは美しい! 色は4段階

今でも歌舞伎役者が縞の着物を着ることを「松阪を着る」と言うそうですが
松阪木綿の美しさは、柄と色。
真っ白な絲の束を藍液につけ、絞りながらゆっくりと引き揚げます。

藍色は『ジャパンブルー』ともいい、飽きのこない色です。
地味ではありますが、ほとんどの日本人が好きな色ですね。
今はちょっとやっていませんが、昔は農家の方に藍を作ってもらっていました。
藍色は濃い色から薄い色まで、だいたい4段階くらいに分かれていまして、縞を作る時は4色と白・・・つまり5色で縞柄を作ります。
細かい縞と大きな縞では感じが違いますね。
好みと、あと用途によっても柄を選ぶポイントとなります。
昔は着物が多かったですが、最近はシャツとかインテリア小物、エプロンなど用途が増え、時代が変わってきていますね。
昔からある大きな柄も人気がありますが、シンプルに線筋が細かく入っている柄も人気です。
遠くから見ると無地に見えるんですが、近づいてみると縞がよく分かる・・・これが『粋好み』といって、東京の方によく受ける柄ですね。

 

しい切り口で松阪木綿に親しんでもらう

最盛期には1000軒以上あった織物工場も昭和40年代に入ると数軒になり、今では『御絲織物株式会社』だけになりました。
伝統産業を絶やさないために新しいことにも取り組んでいます。
最近は若い人の感覚でとらえてくれるため、新たなお客さんが増えているかなと思います。
新しい切り口で、松阪木綿、御絲織が広まって行けばなと思っています。
染は機械にはなったものの、基本的には染も織りも昔からの製法で、一貫体制で生産しています。
普通は染と織りが分業になっていて、どちらかだけなので、一貫体制でやっているところは非常に少ないです。
地元の小学校が社会見学で来ますし、大人の方が見学に来ることもあります。
子どもたちにわかってもらうということは将来に向けて貴重なことだと思います。
伝統産業にとって後継者がやはりいちばん大きな問題でしょうね。

 

くの人に知ってもらいたい

いろいろな人に知ってもらって『御絲織』の良さをPRしていくことが大事だと思います。
夏場は役場の方に『御絲織』のシャツを着てもらっています。
地元の人にも知ってもらえるし、良いPRになっていると思います。
やはり藍染の色と濃淡による縦縞のバリエーションが特徴で、日本人によく似合う色と柄ですね。
わりと太い絲を使っているので丈夫なんですよ。
御絲地区から松阪市の東部にかけての櫛田川流域は、古くから神宮との縁が深い機織り(はたおり)の里。
御絲織の職人さんたちが大切にこの技術を守り続けています。
かなり昔は、松阪木綿を伊勢神宮に献上したりもしていました。
地元の『機殿神社』では毎年、春と秋の2回今でも、麻と絹を織って伊勢神宮に献上しています。
江戸時代からずっとつながっている感じですね。
伊勢神宮とともに松阪木綿、御絲織もあるということです。

伝統をずっと受け継いで来ていますので、変わる部分は変えて、守る部分は守って、続けていきたいと思います。
ある意味、自分の人生すべてですので。