『ミエてくる』2019年5月28日

梅雨入り前のこの時期、はじけるような緑の山並み、気候ごとに違う青色を見せてくれる熊野灘、そしてそこにひっそりと残る文化を感じられるトレイルを紹介いたします。

今回の「くまのプチ歩き旅」の舞台は、紀北町海山エリア東部に位置する島勝。1898年に、三重県で初めてブリの大敷網(大型定置網)が導入された“三重県内におけるブリ大敷網発祥地”です。
今では人口が400人弱の静かな地区ですが、ほんの60年前までは、その地形がゆえの知恵と苦労がありました。
今回は、そんな歴史が残る港と、半島先に残る見張り小屋、そこへ通じる照葉樹のトレイル「島勝トレイル」をご紹介いたします。

え!?漁業なのに照葉樹のトレイル?と思われた方、そんな意外な山とのつながりをもお楽しみください。

 

浅間さん付近から見下ろした島勝

 

【かつてのブリ大敷網漁と島勝トレイルの関係】
紀北町島勝は湾の入り組んだ場所に位置しています。
そんな立地条件を活かした静かな海水浴場「和具の浜」もあり、夏場は海水浴客で大変賑わっております。
しかし、この地区で大量に水揚げされていたブリの大敷網はというと、もちろん外洋に当たる沖。
集落の東側にそびえる山をずっと越えた先にある岬の前に設置されていました。
電気機器の発達した現代でこそ、定置網にブリ大群が入るといち早くそれを知る手段が幾通りもありますが、60年前はそうはいきませんでした。

ブリの定置網はその構造が単純であることから、定置網内にブリが入っても、速やかに網のブリを水揚げしないと、そのまま再び外洋に逃げてしまうのでした。

そこで、この岬の突端に大敷網を見張る小屋「見張り小屋(魚見小屋)」を建て、そこで見張り人が常に滞在し、眼下の網にブリの大群が入ったことを確認すると、尾根上を大急ぎで走り、島勝集落の良く見える尾根上で真っ赤な大旗を振りました。
それを確認したふもとの漁師は沖へ向かって一斉に船を出し、ブリを水揚げしました。
昭和35年以降、無線機の導入によってこの小屋と見張り人の役目は終わりましたが、今ではこの見張り人が往来した道と小屋は残っており、紀北町の明治~昭和における産業史を体感できるエリアとして利用されています。

見張り人が旗を上げていた尾根上の浅間さんと、岬の見張り小屋の間は、ゆっくり歩いて30分ほどですが、かつての見張り人は一刻も早くふもとの漁師に知らせるため、12分で走っていたとのことです!

 

島勝沖に設置された定置網の場所を示す浮きと巡回する漁船

 

今回の出発点は、漁港の近くにある三重交通「島勝バス停」。
ここからは集落の中道を歩いて約5分、集落北端にある車道トンネル右脇から山道に入ります。
小さな祠のある恵比寿神社を過ぎ、尾根に出ると勾配が徐々に増していきます。地元の人が設置してくれたユニークな道標が各所に設けられていますが、倒木も多く、足元には注意して歩いてくださいね。

 

島勝集落の北端のトンネル脇
ここから登ってくださいね

 

登ってすぐ、島勝漁港が見えてきます

 

恵比寿神社

 

急こう配の尾根を登りきると道はなだらかになっていきます。
左側に太平洋が一望できる休憩ポイントがありますので、ゆっくり休憩を取りながら行きましょう。

なだらかな尾根を歩くと、やがて浅間さんが見えてきます。
屋根の一部がエメラルドグリーンに塗られた、なかなかおしゃれな浅間さん、かつては大敷網の見張り人は、大敷網にブリがかかると、ここから赤い旗を振ったとのことです。
今では樹林に覆われていますが、ふもとの島勝集落からはすぐ真上に見える場所になります。
ここからは、島勝集落内にある体験交流施設「けいちゅう」へ直接下るルートも整備されています。

 

しばらくひたすらこんな道

 

所々にメッセージ入りの標識が出てきます~
とても親しみを持てますよ!

 

赤い矢印入り道標
こちらも多く設置されています

 

急な登りが終わること、こんな景色がー!

絶景を眺めつつ、後半に続きます!