FM三重『ウィークエンドカフェ』2019年8月3日放送

今回のお客様は紀北町引本浦で『引本浦開祖浜田会』を立ち上げた浜田耕輝さん。
引本浦の開祖とされる浜田吉祥坊国次(はまだきっしょうぼうくにつぐ)の浜田姓にちなみ、ルーツを探り郷土への愛着を持ってもらおうとこの会を作りました。

島根県浜田市が今年開府400年の記念事業で、全国各地の浜田さんに浜田市へ来てもらおうというイベントを行います。
色々なご縁が重なって、浜田さんたちも参加しようということになりました。

本浦の浜田姓は160人ほど

私どもが住む引本浦の人口が1078人。
引本浦で『浜田』姓が約75世帯で、引本浦で浜田姓を持つ者が160人おります。
紀北町の人口が15700人くらいですが、紀北町の浜田姓が323人ですから、引本浦の比率は非常に高いと思います。
『浜田会』の結成にあたっての経緯を説明すると、今年1月、伊勢の女性が県内の浜田姓が多い地域を探していると、引本の人に連絡がありました。
引本は浜田と奥村の町で、特に浜田が多いんですね。
私も以前引本浦の自治会長をしていた関係から、ぜひ浜田さんと会いなさいということで・・・。
いろいろな方に聞いても、人口の割に浜田姓が多いらしいですね。
私が知っている限りでは熊野市に近い『須野』という地域では、聞いた話ですが32世帯のうち28世帯が浜田姓だったことがあったそうで。
現在は4世帯くらいだそうですが。

 

田市からの要請でイベントに参加。個人では難しいので団体にした

話があったのが今年の1月。
松阪市と島根県の浜田市が友好の会を作っていると。
そして浜田市が今年、開府400年ということでイベントを開催するということで、ぜひ参加してほしいとの要望がありました。
しかし参加する際は個人名だと難しいということで、『浜田会』を立ち上げ、その会長として参加したらどうかと言われ、会を作りました。
引本の資料を松阪市のボランティアの副会長である中西さんという方に送付したところ、一度お会いしたいので、5月に松阪のクラギホール開催される出雲の『石見神楽』を見に来ませんかと誘われました。
そのときに島根県浜田市の久保田市長にお話をいただき、浜田市のイベントに参加してほしいと言われました。

 

本の御祖(みおや)祭りは奥村・浜田のまつり

引本も浜田市も漁師町だということで、北前船なども盛んだったようですね。
引本の『御祖祭り』は浜田と奥村の祭りです。
そして自治会長から各町の協議員が引本のお寺へ行き、浜田・奥村のお墓を参るというのが行事です。
その程度の知識しかなかったわけですが、実際私たちの祖先のご文書を見て、詳しく理解できたということです。
これからの若い人たちも我々引本のルーツ『濵田吉祥坊国次』はどこの出身だったかということをたどっていけば、島根県の浜田市だという伝えがあると。
なのでぜひ浜田市に出かけてみたい・・・出かけてみようじゃないかと、声掛けをしています。
浜田姓は全部で16万人いると言われています。
地元でもよく言われる「引本公園から石を投げれば浜田か奥村に当たる」というくらい多かったということですね。
実際、私たち浜田の『浜』という字が『濵・濱』と2つありますが、濵田吉祥坊国次は、まゆはまの『濵』です。
1月のお祭りにはお膳があるわけですが、その時にまゆはまの『濵』と奥村の『奥』を認識しています。
やはり歴史がないと、無関心にスルーしてしまいがちです。
今回は私も意識して、何人かには話をして若い世代に伝えていかないとと痛感しています。

 

なさんの協力を得て、浜田会は100人に!

浜田の姓については、古文書があったため、少し勉強させてもらいました。
署名の時にいろいろ説明したとき、知らなかった人・・・つまり無関心だった人が多かったのですが、結構賛同してくれまして。
今後、もっと拡大して理解してもらい、町の活性化につなげていきたいねと話しています。
たくさんの方にお手伝いをしていただき、100名の署名を確保することができました。
私はこの地で水産加工を営んで五代目になります。
第1次産業、漁業の町ということで、それに付随する業者が昔は結構いました。
カツオ船も昭和40年代には20隻ほどありましたが、今はもう1隻もありません。
しかしやはり自分たちのルーツをしっかり認識し、理解して、引本の開祖の浜田・奥村の神事だけは継続していきたいなと思います。
我々の浜田という名字はこういう由来があって、こういう人が町を開いてくれたということを知って、人生を送ってもらいたいですね。