FM三重『ウィークエンドカフェ』2019年8月31日放送

本日のお客様は『宇流冨志禰(うるふしね)神社』の宮司、中森孝榮さんです。
神社の近くには古くからのお店が並び、地域の氏神さんとして親しまれています。
名張の町と深い関わりがある名張藤堂家。
宇流冨志禰神社には藤堂家から寄贈されたすばらしい宝物(ほうもつ)があります。

張は倭姫が奈良を出て伊勢行くまで2年間おられた場所

倭姫が奈良の春日からこちらへ移って来られ、そしてこちら元にまた、伊勢の地に参られました。
ここ名張の地に倭姫が2年間留まれた『いちもりのみや』というお社があったそうですが、今はそのお社がどこに建っていたかは、わかっていません。
当社かもしくはこの下にある恵比寿神社のあたりではないかと言われております。
したがって、倭姫のことを記したものに当社もでてきます。
2年間留まられた、良いところだとなっています。
古い話もありますが、当社としての歴史も古くからありました。
ただ、はっきりと分かってきたのが、式内社(延喜式の内に記載された神社)で当社があるということ。
式内社は醍醐天皇の時代の時に、天皇の命を受け、当時、国にどれだけ寺社仏閣があるかを調べた際に記された神社です。
名張に2社あり、その1社が当社であったと。
伊賀には25社もあるのですが、そのうちの2社が名張にあり、それが当社と下比奈知の名居神社。
天皇陛下に報告するのに、小さなお社を報告するわけにはいきませんので、その時代に財産や、氏子の数、社の大きさなどをクリアしたところが載せられたと。
それには六国史やその中の日本三代実録・・・900年頃だけでしたがそれによって、もっともっと古くからあったことが伺えるわけです。

 

堂家の能面45面が寄贈されている

当社に宝物として残っているのが、一つは石の鳥居さん。
もう一つは手水舎、そしてもう一度の鳥居さんにもあるのですが、それとともに藤堂家が秘蔵されていた能、狂言面が45面あり、県の文化財として指定されています。
中には日本に3面しかないといわれている『朝倉尉(アサクラジョウ)』の面も一面あります。
他にも古いお社に残っていたものもあるので、それも含めて文化財となっています。
ご存知かどうかわかりませんが、名張には小幡という場所があります。
そこに観阿弥さんの奥さんがおられた家があり、そこで楽市楽座を立てたということもあります。
能・狂言が入ってきたのはこの地域に『猿楽』という庶民の面白い話があり、能や狂言の面を使って表現するようになっていた。
これはひとえに観阿弥世阿弥が考えられて、それを発展させて今の能や狂言になっていったと聞いています。
能や狂言のもとが名張にあり、この地を治めた藤堂家が面を所蔵していたというのは、本当に貴重だと思います。

 

社の神様は氏子のみなさんの方を見ながら守ってくださる

神社の大きな行事に、春の例大祭と秋の例大祭があります。
氏子の皆さんを中心に多くの人が神社に集います。
秋の例大祭では、当社の神様を御旅所という場所に1週間とどめて、次に一日かけて街中を見ていただいて、今の名張市内の発展具合を神様に知っていただく。
その思いで各町を回らせてもらい、夕方、神様をご本社に戻ってきてもらう。
そういったお祭りです。
お祭りには『願主(ねがいぬし)』が必要なので、平尾、南、北出、町の四講で毎年、祭りの当番を決めてもらいます。
一応子どもが主役となっています。
子どもができたという喜びをお祭りの喜びとさせてもらっているので、子どもさんを先頭に歩きながら帰ってきてもらうと。
一般の方にはちょっと縁のないお祭りかもしれません。
しかし神様のお神輿を担いで町の発展を見てもらう、そしてこれから先の発展を願うということにおいては、実際に関わっていなくても神様のありかたを見ていただく・・・そのようにつなげていきたいと思っています。
これから先、町の形態がどうなるかわかりませんが、この名張市を楽しい街、開けてきた街となれるよう、神様に見ていただきたいなと思います。
当社が建っているのは、平尾という場所ですが、名張市の旧町の駅前に近いところで、ちょうど氏子の方の方を向いているような方向になっています。
というのは、東側にあり、西の方を神様が向いているという、そういうような在り方です。
氏子が「今日も元気にやっていますよ」と、神様に見てもらおうという意志があり、だから少し高台になっているのかなと思います。

 

張は新しい人も古くからの人も分け隔てなく住める町

神様というのは、ここに初めて人が住んで、そこで自分たちがいかに生活していくか・・・その時に神様、お社を作り守ってもらおうという気持ちが生まれます。
そして発展していくなかで、みんなの心の拠り所というか、集まる場所になっていますので、神社自身が活発でないと、誰も来てくれなくなります。
するとその街自体も寂しいものになっていくんじゃないかな。
今、地域おこしが声高に言われていますが、やはりお社を中心にみんなが集まり、みんなができることをお社の近くや中でしていただく・・・それが良い発展につながっていくのではないかなと思います。
昔からいる人も新しく来た人も。
名張市はたくさんの方に移り住んでもらえる良い街で、気候も良いです。
ですから、住んでいる人や移住してきた人に「名張に住んでよかった」と思ってもらうためには、その方たちの楽しみも必要です。
働くだけでなく楽しんで、「生きてて良かったな」と思えるような街になってもらいたいなと、私は常に思いながら話をしています。