FM三重『ウィークエンドカフェ』2019年11月16日放送

今回のお客様は鳥羽で素敵な音楽を奏でる井村行夫さんです。
ギター片手にアコースティックライブを行い、『鳥羽九鬼水軍太鼓』の奏者としても活動しています。
鳥羽の歌は8曲ほど作りました。
今は、鳥羽マリンターミナルで月に1回、ライブ活動を行っています。

学6年生のときに貯金をはたいてギターを買った

小学校6年生のときにギターが欲しくて、クリスマスの前に父に「僕ギター欲しいんや、クリスマスに買ってくれないか」と聞いたんです。
そうしたら親に、本当に欲しいのかと聞かれ、「欲しい」と。
「欲しいものは買わなくていい、いるものだけ買ってやる」と言われました。
いる、いらないじゃなくて欲しかったんですよ。
そこで今まで貯めてきた貯金箱を開けて、楽器屋さんへ行きました。
当時はお店に3本しかギターが置いてありませんでした。
60年前の話。
その中にYAMAHAのギターがありまして、6500円でした。
そんなにするのかと驚きましたが、教則本付きで負けてもらって、買ったそのギター、今もあります。
ずっと弾いてきたんですけど、途中で弾かなくなりました。
自分が22歳のときに手を怪我して、指を4本なくしてから。
しかし53歳のときにしまっていたギターを出しました。
そのきっかけは松山千春のコンサートに行き、これからのまちづくりは歌だと思ったこと。
松山千春が北海道の足寄からデビューして、『大空と大地の中で』という歌を作ったと知ったときに、「私も鳥羽の歌を作ろう」と思ったのが、今の活動の原点です。

 

間が徐々に増えて現在6年目。毎回10組ほどのアーティスト

まずはライブをする日にちを決めて、自分が演奏しているよということを告知するためと自分の思い知ってもらうためFacebookに投稿していました。
ちょうどマリンターミナルで楽市を行う事になったので、それも応援がてら、開催している毎週土曜日にしようと。
もうかれこれ6年くらいになります。
不思議なもので日にちを決めてすると、いろいろなミュージシャン、音楽好きな方々が、伊勢・志摩・度会・明野・・・いろいろな所から来てくれます。
ただし今は高齢のため、毎週ではなく毎月第3土曜日の13時から16時までやっています。
10人前後の方々が来てくれます。
ジャンルは問わずなんですが、電気系統を使わずにアコースティック。
二胡の人が来たり、いろいろな鳴り物、キーボードで歌を歌う人が来たり。
その出会いがもっと広がり、三線、三味線、ウクレレ・・・そういう方々が来てくれます。
ロケーションもマリンターミナルの2階ということで、夏は冷房、冬は暖房が効いているので、海を眺めながら自分の音楽を演奏することができます。
アンプなどは私が自前でセットしています。
これも続いていますね。

 

羽に郷土芸能を作ろうと青年会議所のメンバーで練習をした

43年前に鳥羽の郷土芸能を作ろうということで、旅館組合、観光協会、鳥羽市の方々がお金を出し合って太鼓を・・・ということになりました。
その窓口として青年会議所が太鼓を普及させるということで、当時のメンバー50人ほど全員が太鼓をしました。
鳥羽には『見番』という芸者さんの置屋があったので、京都から来た鳴物師の曲をやりました。
はじめはどうなることかと思うくらい、太鼓の打ち方もわからず、その先生に教えてもらいました。
自分が一番苦労したのは、右手の指が親指だけしかなかったこと。
これをどうバチで打つかと。
人間はやりたいとそれに対して工夫をします。
バチが大きいままだと握れないので、そこを削って挟むという形でやっています。
その一番良い例が、金槌のところを荒物屋さんで買ってきて、四角のところを挟んでしました。
43年前に作ったものを今もずっと使っています。

 

の町にもその地域のメロデイがある

どこの町でも民謡的なものや盆踊り的なもの、その地域の踊りとメロディがあります。
懐メロにしても演歌にしてもクラシックにしても、その音・声を聞くと、その都度のその都度、過去の風景や過去の時代に戻ることができます。
戻り、その時のことを思い出すことで、また自分に振り返ったときに、元気を出して前向きになることができると思います。
自分の一つの糧になるんですね。
なので、やはり続けて継承していくことが、音楽の流れではないでしょうか。
町々にそれぞれの特色のあるメロディを作り上げていくと、幸せ感につながります。
自然の喜びもあれば人と会える喜び・・・それらが歌や音楽にとってプラスになる要素の1つです。
自分はそれをまだまだやっていきたい。
鳥羽の歌を作っていきたいと思います。

太鼓にストーリーがあって流れがあって、自分たちの太鼓の腕を曲ごとに披露できるというのがうちの太鼓の特徴です。
40数年やっても飽きないですね。