FM三重『ウィークエンドカフェ』2020年5月23日放送

玉城町をキウイフルーツの産地に。
津市にある浅井農園から平成30年8月、玉城町にキウイフルーツ産地化計画の
申し入れがありました。
ニュージーランドゼスプリ社のキウイフルーツを三重県で作ろうという話です。
今回は、このプロジエクトに携わった元玉城町役場の西野公啓さんがお客様です。

業の就業者数は減っているが新規雇用就農者や新規参入者は増えている

現在の農業就業者や就農者数を見てみると、かなり大きく減ってきていますが、中には新たに農家を始める方や、一般の法人の会社が農業に参入されるという、数字の大きな伸びがあります。
玉城町の状況は、空から見ると田丸城を中心に田んぼばかりです。
地域の名前には城田、内城田、外城田、東外城田、有田というように、田んぼの『田』の字が入っています。
昔から神宮の御園として重要な地域であったとわかります。
田んぼに小麦、果樹などの耕種農業が6割、残りの4割は畜産。
玉城豚や松阪牛ですね。
そういった玉城町の現状の中で、さらに大事な農地をどのように守り保全していくか、さらに農地を守った上で何を作っていくかということが大事なんです。
農地の保全と農地の利活用から紐解いていかないといけないかなと考えています。

 

地区の56名の地権者に合意していただいてキウイ農場を作った

玉城町は農業振興地域ということで農業しかできない場所があります。
田んぼの中には家とか工場を建てられないようになっていますが、反対に農業を振興しなければならない土地でも、耕作放棄されている畑がたくさんあるんですよね。
そういったところを効率的に活用したいということで、玉城町内の『原』という地区に浅井農園さんが新しい形での企業参入をしたいということで平成30年8月にキウイフルーツの産地化の申し出がありました。
地元で協議をしたところ、トントン拍子にまとまりました。
地権者の方が約56名、106筆の土地、その方々と3ヶ月という短い期間で集中して直接お会いしてお話しました。
また『人・農地プラン』が集落で計画されているので、原地区のみなさん、役員たちと協議をし、平成31年1月には話がまとまりました。
その後さっそく浅井農園さんや、販路を持っているゼスプリ社もニュージーランドから来てもらい、確認をしてもらうなどいろいろなことを進めて。
平成31年の夏には契約をして造成工事に入りました。
その後、今年の2月には苗を7900本、浅井農園さんが定植しました。
今もすくすくと育っています。

 

場に携わる人の移住。調印式や定植式の開催。子どもたちとの関わり

今回の誘致にしろ産地化にしろ、すべての課が関わってくれました。
例えば産業振興課が中心になって、全体の調整・統括をさせてもらいながら連携調印式をさせてもらったり、定植式をさせてもらいました。
浅井農園さんの場長さんはベルギーの方で、奥さんは地元の方で小さなお子さんもいます。
家族4人が玉城町に移住されることになり、その手続きなどを総務政策課がお手伝いしました。
また、町内の小中学生がニュージーランドの子どもたちと友好な交流ができないか、姉妹提携ができないか…など動いています。
保健福祉課は移住してきた家族に小さなお子さんがいますから、保健師とお子さん、そしてご家族との関係をうまくつないでいくような子育て支援のことであるとか。
いろいろな副次的な効果があり、単にキウイフルーツの産地化・ブランド化だけではなく、町にとっても大きな意味を持ち、いろいろな関係ができたのが大きな成果ですね。

 

地区のみなさんに、この農場を誇りと思ってもらえるように

今回、土地をお借りするにあたって地元の方とお話をしたところ、昭和10年代の頃に原地区は開墾されたとお聞きしました。
そこで実際に土を運んだりして開墾に関わった90代のおじいちゃんもお見えになりました。
どうしても昔ながらのやり方で農業をしたいという人については、この地区から少し離れたところで農業を引き続き行ってもらっています。
反対に、土地をお貸しするなら、自分たちも浅井農園さんのような若い農家に力を貸してあげたいと言う人もいます。
これまでのその土地は、柿や桃や梅などの、いろいろな果樹が育っていました。
それで培った剪定の技術や育てる技術を、この機会に若い人に指導するとともに力を貸してやってほしいと。
地元の人は応援するとともに誇りを持っているんですね。
地元の人たちの協力がなかったら、実現しなかったと思います。

キウイのイメージは誰もなかったと思いますが、そういったものを新しく取り入れて、産地化して、玉城町の誇りにしていけたらと思いますね。