第34回『隊長レポート』2012年6月

まるで巨木が枝葉を伸ばしたかのように複雑に入り組んだ五ヶ所湾。
そのもっとも突出した岬の先に礫浦(さざらうら)はある。
公共交通でいくと、伊勢から五ケ所浦までバスで1時間。さらにそこから町内バスに揺られて50分ほど。
三重の秘境ともいえるその地で、サルシカ隊長が謎の秘宝を追う!!


礫浦に眠る最初の秘宝は、遠洋漁業の漁師さんたちが世界各地で買ってきたお土産であった。
それぞれの家庭の床の間などに飾られた珍品の数々を、細いせこ道をそぞろ歩いてご案内いただいた。

が、礫浦の宝はそれだけではなかった。
泣く子もだまるお宝伝説があったのだ(どんなんや。笑)

「その前にちょっと寄り道をしていきましょうか」と羽根さん。
「実はね、こんな小さな港町なのにこの礫浦には映画館があったんですよ。まだ建物と映写機は残っているので見にいきますか?」

「いく!」
ワタクシより先に答えたのは写真師マツバラである。
三重県の消えゆく村を撮影し続け、『村の記憶』という写真集まで出したこの男は、消えゆくものにめっぽう弱い。
商売抜きであちこちに撮影に行くものだから、彼の財布からはお金が消え、家族からは笑顔が消えていくのであるが、まあそれは別の話である(笑)。

実はその映画館も羽根さんの家が経営していたところであった。
巡航船を走らせたり、映画館をやったり、羽根さんとこはなかなかの商売一族なのだ。

「子どものときにねぇ、この映写室で番をさせられるのがイヤでねぇ」と羽根さん。
羽根さんが子どものときといえば、50年以上も前の話である。
この小さな漁師町に映画館。
どんな華やかな時代であったのだろう。

映写機は2つある。
フィルムは15分ぐらいずつのロールに分けられ、それを切り替えながら上映していくからである。
が、この作業がイヤでたまらなかった羽根少年は、早く映画が終わるようにと、トンデモナイことをやっていたそうだが、これは礫浦の秘宝と共に封印しなくてはイケナイ秘密なのだ(笑)。

映画館を出て、海へ出た。
空が青く、果てしなく高く見える。
この海と空の眺めは、今も昔も変わらないはずだ。
そう思うと、また少し時代を遡ったように感じた。
細く曲がりくねった礫浦のせこ道は、たぶん時代の迷宮なのだ(笑)。

海を見ると、羽根さんも中村さんも少年のような顔になる。

石碑は『野口雨情の詩碑』。
昭和11年7月、近代詩歌の野口雨情は、五ヶ所湾小唄を作詞する際に礫浦にも立ち寄り、

礫台場の名残りの松は 思や幾年経つのやら

この詩を詠んだ。

しばし堤防を歩いて、小高い丘へと入る。
そこにひょっこりとあったのが、薬師堂。

正直、なんてことはない建物である。
小さな集会所という感じのたたずまい。

が、ここにお宝があるという!!
それが、これだ!

日和山古墳。
なんと7~8世紀につくられた横穴式の石室である。
薬師堂の中に入ると、すぐ横に扉が設けられていて、そこから入ることができる。
中に入るとひんやりと空気が冷たい。

南伊勢にはこういった古墳や遺跡が多く残されているが、こうして実際に入れるところはなかなかない。
うーむ、まさに歴史の宝だ。

「礫でそぞろあるき」にボランティアガイドを依頼すれば、基本的に誰でもここを見学できる。
ここはぜひ体験してもらいたいところだ。

また堤防に出て、更に礫浦の先端へと向かう。
このあたりが、左右を海にはさまれた一番細い部分である。
堤防を歩くと、当然すぐ下に海が見えるが、反対に目をやってもまた海が見える(笑)。
伊勢湾台風のときには、波が集落を乗り越えたと言われている。
想像しただけで恐ろしい。

礫浦の先端は、こんもりと緑が茂った浅間山。
ここにもお宝伝説があるという。

ヒイヒイ、ゼエゼエ。
急な斜面をのぼる。

「えっと・・・ここは浅間山といって・・・ハアハア・・・」

さすがの羽根さんもこの道を歩きながらガイドは無理(笑)。
黙って5分ほどの山登りをする。

湿った木々の匂いに包まれた浅間神社。
年に一度、すぐ下のニワの浜で家内安全・漁業豊漁を祈願して「垢離かき」(村の男が赤褌一つで海へ入り禊をする)を行い、祭壇へお参りするところ。
白い布を結びつけた竹を飾っているのは、船が無事に港に帰るための目印でもあったという。

今は地元の人でもあまり訪ねない場所になりつつあるが、ここにはこんな言い伝えが残っていた。

「もし礫の集落が立ち行かなくなったら、この浅間山のこの石の下を掘り起こせ、という言い伝えがあるんですよ」と羽根さん。
「いつから残されている言葉か知りませんが、これまでは幸いにも掘り起こさなくてもなんとかやって来れました・・・・
しかし、我われの代で、本当に掘らなくちゃいけないかもしれませんね~」

笑ってはいたが、羽根さんの表情はどこか寂しそうでとても冗談とは思えなかった。
この石の下に何が眠っているのか。
実際に掘った人はいないので誰も知らないという。
が、出来れば知らないまま、次の時代の人へとつないでいきたいものである。

そぞろ歩き最後に磯に出た。
羽根さんたちが漁業組合と話し合って、礫へ遊びに来た子どもたちにこの磯を開放してもらえるようになったのだという。

ヒゲが生え、髪の毛が少し薄くなったワタクシであるが、特別に子どもとして磯を案内してもらった(笑)。

礫でそぞろあるき。
遠洋漁業の社会勉強あり、
歴史の勉強あり、
そして最後に生物の勉強あり(笑)。

思っていた以上に楽しめるツアーだ。
礫浦ってどこだ、と思った方はぜひ「基本情報」をチェックしてもらいたい。

礫浦の話はまだ続く!
次回は、隊長大コーフン! 食の宝物の登場だあ!!




写真/松原 豊
文 /奥田裕久