FM三重『ウィークエンドカフェ』2020年8月8日放送

いなべ市『金井神社』。
境内の手水者には、花が浮かび、風鈴は願いが書かれ、良い音を奏でています。
今回は『金井神社』の宮司、種村睦さんがお客様。
800年の歴史のなかで新しいことが始まっている神社です。

どもたちに伝統文化を感じてもらいたい

7月に入ってからはじめた『花手水』。
手水舎にあじさいの花を浮かべたものです。
今どうしてもこの時期、手水を共有することができないので、心のお清めという形ではじめました。
さらにこの状況で『祈願風鈴』をはじめました。
風鈴の下にご祈願を書いていただくというものです。
このすぐ近くにある『東保育園』の子たちの6月の行事に『大祓』というのがあり、その時に年長さんの子どもたちに祈願を書いてもらいました。
また、今年は夏休みが短くなり、子ども会の地区行事ができなくなったので、子どもたちに書いてもらい、釣り下げました。
どこのお寺や神社にも、地域の伝統がありますので、それを守るために一人でも多くの人に来てもらえればと思います。
こんな状況は過去にもない未曾有の出来事なので、それを少しでも和ませることができればと思います。
今は四季の感覚がなくなってきていますよね。
本来なら自然を愛でて四季の移り変わりを感じるのが日本民族の良いところなのですが、その時期時期の歳時記が狂ってしまっています。
大したことはできませんが、素朴な形で季節を感じてもらえたらな、というのもあります。
また、当社は来年で800年を迎えます。
今年は1月以来、このような状況であまり盛り上がりもあまりありません。
オリンピックもなくなり暗い気分になっているので、少しでもみなさんの心の安らぎになればと思い花手水をはじめたところ、インスタ映えするということで、こちらが予想できないほどご来社いただき、嬉しい悲鳴が上がっています。

 

ンスタ映えスポットがたくさんあって、多くの人が参拝に来る

氏神様の良さは、先祖が築いてくれたものの積み重ねが今にあるということ。
花手水もそれぞれのご家庭から、こんな花があるよと持ってきてくださいます。
先月はほとんどあじさいでしたが、今月は別の花も入るようになっています。
みなさんからご協力いただいて、来社する方に和んでもらっています。
うちに限らず、手水は柄杓を共用しますので、好ましくないということで手水を停止しているところが多いです。
うちがはじめたわけではなく、全国あちこちの神社で花手水が行われています。
三重県は比較的少なく、娘が神主をしている関係で花手水の存在を知り、はじめました。
発案はやはり、私たちの年だと考えつかないので、今の若い子たちの感性ですね。
インスタ映えするということで、けっこう遠方からもお見えになっています。
逆にびっくりしている状況です。
日本人の侘び寂びの世界ですね。
一輪の椿の花が浮いているだけで、本当に心が和みますよね。
そのはじまりでということで、心のお清めが肝心です。
それから神社には穢れを持ち込まないということで、伊勢神宮でも『御手洗(みたらし)』というのがあり、今は手水がありますが本来は五十鈴川び清き流れで手を清めてからお参りをするというのが基本でした。
その形が崩れてしまったということが、一つの大きな原因で、それをどうにかするために生まれたのが、花手水なんですね。

 

朱印は、季節に応じた花などを描く。行事に合わせた絵柄もある

1つの形の朱印を押して筆で社号を書いて、日にちを入れる。
御朱印は、要は参拝証のようなものですね。
今は御朱印ブームで、日本全国の神社やお寺で参拝の方が来ています。
その方々に一つインパクトを与えたいということと、先程の『インスタ映え』を若い神主たちが考えて、朝顔や金魚が描かれた御朱印を出したところ、とても人気が出て、全国北海道や九州からも送ってほしいと言われました。
かなりの方々も足を運んでくれまして、私も考えを改めなくてはと感じました。
御朱印の花は毎月変わります。
先月はあじさいで、こちらは朝顔か金魚に変わります。
まず四季で順繰りにすること。
それから10枚だけなんですが、毎月宮司が催事を書き入れたものもあります。
先月は大祓、8月1日は八朔参り、15日になると中元となります。
そういう昔ながらの版と文字の御朱印も並行して出すようにしています。
先程も言いましたが、来年の800年に向けて気分を盛り上げてということもあります。
金井神社に来た方が、来年800年だと知り、また来てくれるなどもあると思います。
地元の発展にもつなげていって、昔よくあったような地元で取れた作物をおじいちゃんおばあちゃんが持ってくる朝市だとか、地元を活性化する行事もできればなと思っています。

 

常で無事であることが晴れ

神道の中では『ケ』と『ハレ』というのがあります。
『ケ』は穢れ。
『ハレ』は晴れやかという意味で取れば、結婚式等の祝い事のように感じますが、私たちが今、平常で無事であることが『晴れ』ということ。
非日常になってしまった今が『ケ』であることがはっきりと来たという気もします。
今一度、今、無事にあることがありがたいということを再発見してもらい、その方々が少しでも安らぎを求めて神社にお集まりになられる、という気ははっきりしますね。
日常が失われて、非日常となり、もとの日常には帰ることができないかもしれません。
戦争などもありましたが、それは復興し元の形に戻ることができました。
しかし今までかつてないこと起きていて、目に見えないものとの戦いになっています。
縋って良いところがどこかわからない、誰に文句を言っていいのかわからない…そうなったときに、やはり神様仏様がいて、根本的に持っているこころが目覚めるんじゃないかなという気がします。

それぞれの氏神さんに一度お参りしていただき、地元の伝統や文化を今一度見直してください。
水害があったときはこんな逃れ方をしたんだよ…など、地元を見つめ直すきっかけになればと思います。