FM三重『ウィークエンドカフェ』2020年11月14日放送

白亜の灯台。美しい夕日。そして絵かきの町、志摩市大王町。
素晴らしい景色に包まれた場所に『志摩市民病院』があります。
今回のお客様は病院の院長である、江角悠太先生です。
江角先生の名刺には「街と恋をしよう」と記されています。
津市美杉での経験は、田舎と言われる場所での医療が魅力あふれるものとなりました。

杉村でのエピソード

僕が田舎専門の医者になると志し、いろいろな田舎で医者をするようになった時、一志の美杉村(現:津市美杉町)で医療活動をしていたとき。
店が18時には閉まってしまうような場所で、町になにもないんです。
僕の一番得意分野は、学生が実習に来たときに、学生を飲み屋に連れて行って一緒に懇親をして地域を知ってもらうこと。
飲み屋のおばちゃんと仲良くなり、地元の人たちと触れ合い、地域医療を知ってもらう。
…と、居酒屋ベースでやっていたのが、できなくなりました。
僕、元気がなくなっちゃって、この地域で何ができるのか迷ってしまいました。
2ヶ月くらい、手も足も出ませんでした。
そしてある学生と、美杉村を一度回ってみようということで、ぐるぐる町の中を旅してみたら、実は開いている店がある。
実は看板がないだけで、22時までやっている居酒屋がある。
普通の民家が実は居酒屋だったとか。
挙句の果てに、料理も出してくれてお酒も飲ませてくれるけど、ただでいいよとか。
昔居酒屋だったけど今はもうやめたからね、とか。
だんだん地元の人たちにお世話をしていただいて、あ、僕たちはこの人たちを助けるためにここで医療をするべきなんだと思いました。
世話をしてもらったから恩返しとして医療という手段でこの人たちの助けになりたい。
そういう考えが芽生えて、だんだん楽しくなってきました。

 

こに住んでいる人たちに恩返しをしなくてはならない

結局僕が悩んだ理由は、助ける相手の顔が見えていなかったから。
この人たちのためにやりたい、ということがわかれば、自ずと僕のやる気も出てくるのがわかりました。
これって、恋愛関係に等しいなって。
例えばサプライズで誕生日を祝ってもらったから、サプライズ返しをするみたいな。
喜ばせられたから、また喜せ返しをしてくる…というのを、延々とするような、恋愛のときの感じととても似ているなと思ったので、どんな町で医療をするにしても、そこに住んでいる人たちを好きにならないといけないし、住んでいる地域自体の魅力を思う存分感じなければならない。
魅力を感じられれば、どんな田舎でもどんな寂しい町でも、僕らみたいな若い人間が地域を盛り上げ医療を支えられるということがわかったので、教訓として、それ以降迷ったときにも、原点に戻るという気持ちを込めて、自分の名刺に『街と恋をしよう』と書くようになりました。

 

害医療の現場と田舎の医師不足は同じこと

指を咥えて見ているわけに行かない、よそ者がやっているのに自分らがやらないわけにいかない、と、地元の保健師やケアマネさんが手伝ってくれて。
お医者さんも愛知県の方が手伝ってくれるようになりました。
これからの日本、人口減少少子高齢化も災害だと、僕だけではなくほとんどの人が思っているでしょう。
津波が来ればすべてのものが根絶やしになるのでわかりやすいです。
だから困っているとわかり、助けが来ます。
義援金が集まり。ボランティアが集まる。
でもこれって、今の過疎化とまったく一緒なんですね。
違うのは時間的な経過が一瞬ではなく、50年かけて町がなくなるんです。
だから誰も、義援金を集めないんですよね。
誰もそこに人や物資を送りません。
気づいていないから。
ゆっくりと進むので。
でも確実に町からスーパーがなくなり、コンビニがなくなり、病院がなくなり…というのが田舎の地域で起こっています。
そこを助けに行く医者っていうのはなかなかいません。
あえて田舎で医者をやります医療をやりますという医者も、災害医療と全く一緒で、みんな都会でやりたがる。
だったら助けるためには僕が田舎専門の医者になって、人や物や金や行政でできないところの部分を助けられるような町づくり、人づくりを医者としてやっていこうと。
そこで解決方法を見つければ、すべての日本の田舎が助かるだろうし、日本が助かれば、これから人口減少少子高齢化を迎えるすべての国のロールモデルになり得ると思い、田舎専門の医者になりました。

 

けてくれた人がたくさんいる三重で恩返しをするために、三重の医療をしている

僕はいろいろな世界でぐるぐる回って、どこでそれをしようかと思って旅をしていた時間がありました。
発展途上国でも良かったのですが、これから言語を学ぶと圧倒的に時間がかかります。
人生60年しかないのに、そこに10年20年かけるのはもったいない。
効率が悪いのでやめました。
そこで日本の中で、自分が田舎に縁があったのは三重県だけでした。
なので三重県の中で、僕が縁があったのが大学時代にサーフィンやキャンプに来ていた場所で、
顔が見える云々ではなく、あと50年60年住むとしたら、楽しいところでやりたいなと。
自分が楽しめるところにしたいということで、大した理由もなく志摩市に来ました。
でも三重県にはとても恩があって。
大学時代、いろいろなことをやって…自分的には普通にやっていることもいろいろなところから批判やバッシングを食らって、つらい思いもしたんですけど、助けてくれた人の顔がいっぱいあるんですよ。
一回三重を出たものの、三重の医療を三重県のために…僕はその人たちに恩があるので、恩返しに帰ってくるということが、三重県志摩市にいる、一番の理由です。

僕が掲げる、『すべての人を幸せに』という目的を達せられる人間は、少なくとも五万といる医者の中で僕しかいなかった。
2週間誰も入っていなかった。
それが僕の特異的なところなんじゃないかな。