FM三重『ウィークエンドカフェ』2020年12月26日放送

松阪、厄除け観音の霊場と知られる岡寺山継松寺。
その近くにあるのがアンティーク時計の専門店『時計屋なかの』。
今回は、このお店の三代目、中野良樹さんにお話を伺います。

ンティーク時計専門店は20年前から

アンティーク時計専門店になったのは20年ほど前。
ここ10年でようやくこういう感じになりました。
量販店ができて、個人の時計屋さんが勝てなくなってきました。
ある時、アンティークに切り替えようという機会があって、親父がおじいさんが持っていた時計を出してきて修理して並べたら売れるようになりました。
その頃僕はサラリーマンをしていたのですが、27歳で脱サラして帰ってきました。
なるべく若い頭のうちに仕事を覚えたかったので。
他の時計屋さんで断られたものが多いですね。
思い出があるので何とかしてくださいと…。
今の時計は、完全に使い捨て感覚ですね。
時計屋さんも長いスパンで部品を置いておくわけではありませんし。
アンティークは難しいですが部品を作ることもできるので、ずっと直し続け、使い続けることができます。

 

時計が好き。ペイントをして、現代風にアレンジもしている

最初は大きな修理から始まりました。
小さな婦人用なんて、絶対ムリだと思っていました。
しかし修業していって、今やっと、婦人用に取り掛かることができた感じです。
柱時計に取り掛かっていた時期が長かったので、今でも柱時計は好きですね。
わりと若い年代の人も新築した家にかけたいとか、古民家を改造して飲食店をしたいという人が、けっこう需要はあります。
柱時計の場合でも、お客さんがずっと家で使っていて、壊れてうちに持って見えて、けっこう修理に時間がかかると電話がかかってきたりしまう。
「まだ直らんやろか…そこにかかっていたのがないと寂しいんやわ」とか。
それで急いで修理することもあります。
柱時計は外側のケースを磨いたりするんです。
色あせてボロボロで使いみちがなさそうなものを、工夫して現代風にペイントしました。
3つあるのですが、クリーム、白、松阪もめん風とか…工夫している時間が楽しいんですよ。
この時計は寿命かな…というのをもう一回今風に見えるように工夫しているのが楽しいです。

 

では作り手が少なくなった『さるはじき』。絶やしてはいけないものと思っている

初代のおじいさんからずっと受け継がれているのが竹でできた民芸品の
『さるはじき』作り。
厄をはじき去るから『さるはじき』。
岡寺さんの初午大祭ではお土産としてたくさんの人が買っていきます。
古くからこの地域の人たちにとってはおなじみの工芸品です。
この伝統工芸を守り続けていくことも大切なことです。
三重県指定の郷土玩具でもあり、松阪市指定の郷土玩具でもあります。
作り手さんもだんだん減っているので、守っていきたいものでもあります。
これも跡継ぎとして帰ってきた理由としては大きいです。
絶やしてはいけないものだと、お客さんにも言われています。
作り始めたのは戦後の頃だと言われています。
今でしたらカッターナイフとかありますが、この頃はおじいちゃんが小刀一本で作っていたと思うので、相当器用じゃないとできなかったんじゃないでしょうか。
家の前の通りは『職人町通り』というのですが、中町という以外に。
おそらくたくさんの職人さんがいて、みなさん器用だったので、みなさんの家で『さるはじき』を作り、跡取りが途絶えるとやめていったという感じでしょうか。

 

父さんがバネ、中野さんが棒、お母さんが飾りをつける

全国に3〜4軒あるらしいですが、『さるはじき』と呼ぶのは松阪だけです。
他の地域では『はじきさる』と呼ぶらしいです。
もともと松阪の厩の守り神がお猿さんだということと『初午』をかけてできたらしいです。
作るのに、怪我が絶えないです。
バネが一番大変ですかね。
ここは親父の作業。
親父がバネを作って、僕が本体を削って、母さんが装飾して。
うちは、羽根は絶対に白にこだわっていますし、お猿さんも赤い胴体に緑の頭…昔からこの形です。
最初は太さを均一に削ることができなかったので、親父の作業を見様見真似で。
何本か作って親父に見せて、どうやろかと聞いたり。
通常のサイズはだいたい40cmくらい。
一番小さいのは卓上用で7cm。
それらは弾くように作っているのではなく、タペストリーや色紙に貼り付けて販売しています。
ここまで小さくできるのは、時計屋の器用な手だからだと思います。

アンティーク時計は、今作っているものではないので、希少価値は高いですが、その分こだわって使ってもらっています。