FM三重『ウィークエンドカフェ』2021年5月29日放送

今回のお客様は、志摩市大王町にある『まるてん有限会社』、かつおの天ぱく4代目の天白幸明さんです。
波切の町は古くから鰹節が作られてきたところ。
いぶし小屋では、鰹節づくりの歴史や文化などを訪れる人たちに伝えています。

宮に鰹節を古くから献上してきた

伊勢海老やアワビはわかるけど、なんで天白さんは三重県で鰹節を作っているのですか、とよく聞かれます。
実は伊勢神宮にお供えする新撰、御食国の源流が鰹節であったというのは事実なんです。
お米やアワビと同じように鰹節も献上・奉納の儀式で使われていました。
小さいですが伊勢の鰹節として、継承できるものは残していこうと。
そういうことで体験学習なども含めて、PRしているところです。
『魚を切る里』と書いて、当時は『なきり』と呼んだそうです。
平城京の跡から木簡が出てきまして、そこには『なきり』という在所から魚を献上していたと書かれていました。
私は学生時代にあるものを見つけてしまったんです。
お相撲さんの見立て遊びなんですが、江戸の中期に庶民が作ったのが『かつおぶし番付表』です。
その中に、行司役として『なきりぶし』が出てきたんです。
なんと、私たちのご先祖様たちが、小さな漁村から江戸の中央まで行って、こんな大役を仰せつかっていたと。
このことに非常に感銘を受け、これは火を消すわけにはいかないと、生業となりました。

 

嘗祭の頃に鰹節が出来上がるサイクルになっている

三重県は一本釣りの鰹を釣る人がとても腕が良く、今でも全国レベルでトップクラスなんです。
しかし遠洋漁業で一本釣りで水揚げしても、着ける場所がないんです。
なぜかというと、昭和の初期に漁業政策で漁協を拡大するという、国の諸策があったのですが、三重県は魚の漁場ではなく、四日市のコンビナートが優先されたんです。
ですから今でも三重県は大きな港がないがために、遠洋漁業が近づいてきたとき…例えば昨日は枕崎、今日は四国、明日は焼津…こういうふうに分けているわけなんです。
ですから弊社は、焼津や銚子で加工したものをトラック便で運んでもらい、燻とカビ付けだけは伝統を守っていこうとしています。
この『燻』こそが、地域の波切節の特徴を表しています。
燻す薪は『ウバメガシ』といい、地域の里山で採れる間伐材を使っています。
間伐材を使うことによって里山が再生され、海が生き返るというSDGsの世界が何千年も前から、実は出来上がっていた場所なんです。
それを継承しようと、弊社では燻の加工を継承していこうと、こういうことです。
そんなに長時間ではなく1時間程度。
これを1日に1回、1ヶ月続けると、みなさんの好きな花がつおの原料ができてまいります。
じっくりと、水分が18%くらいになるまで、カチカチになるまで燻し続けます。
割って断面を見ると、ルビーのように輝いた色をしています。
その後、カビを付けての『熟成』という作業。
これに5ヶ月かかります。
伊勢の鰹節は、2月から4月に『初鰹』というシーズンに獲った鰹を6ヶ月かけて加工するわけです。
真夏の炎天下をひと夏越えて、秋風が吹く9月に完成します。
今度は選別です。
一番良いものを、10月半ばに伊勢神宮で行われる神嘗祭にお届けしています。
このサイクルこそが伊勢志摩の鰹節の源流です。

 

域によって出汁の文化が違う

鰹節だけでこれだけ種類があるのですか、とよく聞かれます。
これには意味がありまして、地域が違えば文化も違うように、お出汁の文化もまったく違います。
東京と京都は違います。
名古屋と京都も違います。
こういうものをしっかり理解した上でお出汁を変えているのが、弊社の特徴です。
例えば、京都で言うなら生臭みは嫌がるし、お出汁が濁るのもダメです。
…ということであれば、鰹の枯節の最高級品。
さらに弊社では血合いを取った贅沢品、ですがここ一番の茶会席やお正月の初釜などで使われます。
名古屋などではこれは使いません。
名古屋は八丁味噌の文化なので、濃厚な出汁が求められます。
であれば宗太鰹やムロアジをブレンドした混合節が喜ばれます。
三重県でも内陸部の伊賀地方は関西系。
ところが伊勢湾の沿岸部は、愛知県の三河地方と同じ、赤味噌文化なんです。
お出汁というと濃厚なものになりますね。

 

勢志摩サミットのときに生産者にスポットがあたった

伊勢志摩サミットの後、いぶし小屋には国内外から多くの人が訪れるようになりました。
丁寧に作られた鰹節は、自慢の一品です。
サミットのときに一番感動したことがあります。
ハタチそこそこのウチの従業員の女の子が一生懸命説明したときに、有名なシェフたちにとても褒めていただいたんです。
普段、何気なく私たちは鰹節を加工して販売していますが、トップレベルのシェフに褒められた途端に、彼女の目の色が変わりした。
次の日から何をしだしたかというと、英語の勉強をはじめたんです。
スポットを当てられた言葉が大切なんです。
お金ではなく、心が変わってきます。
そのことに気づきました。
我々生産者はスポットを当てていただくことでガラッと変わるということが勉強になりました。
志摩観光ホテルの樋口シェフさんに頑張っていただいています。
我々生産者の代弁者として、ひとつのお皿で生産者の想いを表現していただき、訴求する。
本当にありがたいです。
まさしく『伊勢志摩ガストロノミー』というスタイルが、神饌という伝統の食材を通して、世界に発信していただいてます。
こういうことをすることによって、誰が喜ぶかということです。
『波切地区』は歴史のある鰹節の産地でしょう。
であれば、100年前、200年前のご先祖様がどんな思いでやってきたのかな、と。
それを最前線の今の時代に生きる我々が伝えることができれば、当然喜ぶのはご先祖様。
それが『継承』だと思います。

我々はお出汁を使うことによって、最後に余韻が残るんです。
旨味という。
それを遡及していきたいですね。
それが出汁屋の仕事だと思います。