三重テレビ『ゲンキみえ生き活きレポート』2021年6月13日

約800年前、南伊勢町の竈方集落に移り住んだと言われる平家の落人は製塩を生業としてましたが、約400年前に途絶えました。
また集落により行われていた「竈方祭」も人口の減少とともに、行われなくなってしまいました。
竈方の伝統文化を継承し保存していこうと、平成28年から竈方文化保存振興協議会が立ち上がり、竈方祭が復活。
そしてかつてこの地で行われていた塩づくりも『竈方塩づくり振興協議会』として復活しました!

南伊勢町竃方(かまがた)。
およそ800年前、壇ノ浦の戦いで敗れ、落ち延びた平家の落人たちがこの地に流れ着き、竈で塩を焼いて生計を立てたといわれています。

しかし竃方の塩をつくる煙はずっと立ちのぼっていたわけではありません。
今からおよそ400年前、一度は立ち消え、消滅しました。

 

以前は8つあった竃方集落も、ひとつが廃村となり、現在残っているのは7つ。
高齢化、過疎化により、竃方の伝統行事の開催もむずかしくなってきたことから、7つの竃方集落が集まり、親交会を結成。

 

集落が連携して伝統行事を継承し、竃方の歴史と文化を次世代へつないでいこうと動き出しました。

 

そんな中で、南伊勢町とも連携し、はじまったのが『竃方の塩』づくり。
『竈方塩づくり振興協議会』を結成し、地域の人が協力し、製塩所を建てるところからスタート。
すべてが手作り。

 

地域の熱い思いが製塩所の煙を再び立ち上らせました。

 

こちらが『竈方塩づくり振興協議会』の会長・村田順一さん。

「最初はやる気はありませんでした。
しかしやってみると、先祖がしてきたものに携われるということはすごくありがたいと、改めて感じました。
たまたま町内に一ヶ所、製塩業を20年からやっておられる方いたので、塩作りのノウハウを1年かけて教えてもらいました。
塩作りは簡単だと思っていましたが、やればやるほど奥が深いものであるということに気がつき、今、一生懸命それを追求しながらやっています」

 

『竈方の塩』は塩辛さがまろやかで、辛さが丸いのが特徴。
その理由はミネラルが含まれているからだそうです。

 

製塩所の中はとにかく暑いです!
海水は南伊勢町阿曽浦から汲み上げられたものを使用。
まさに地元の塩。

 

塩を炊くのはだいたい8時間ほど。
このくらい経つと『塩の花』ができてきます。

 

にがりを落とし、天日干しで3日から1週間。
まろやかな旨味が熟成されます。

 



さらにこのあと、焼成(しょうせい)と呼ばれる塩を焼く作業。
こうすることによって塩化マグネシウムが変化し、さらにまろやかな味になると言います。
そしてザルで漉して塩の粒を揃えたら、南伊勢の海を凝縮した『竃方の塩』の完成です。

 

集落の皆さんにも協力していただいて最後の瓶詰め作業。

 

「昔こちらで塩を作っていたと、義母から聞きました。
美味しいですよね。
刺身にふりかけたり、生野菜にかけたり、天ぷらにかけたりするととても美味しいです」

「私は91歳です。
昔、炊いていた塩を食べたことがありますが、それよりも精選してるのか、こちらのほうが優しい味がします」

 

手探り状態からはじめた塩づくり。
竈に火を入れる度にその旨味と地域の結束は強まっています。
南伊勢の歴史と文化、そして自然のめぐみを生かした『南伊勢の味』。
現在、『竃方の塩』は、南伊勢町内のスーパ『サンバードコトブキ』のほか、特産販売所の『古和浦未来クラブ』でも販売。
今後はインターネットでの販売も予定しているそうです。

 

『竃方の塩』の復活。
その陰には南伊勢町による地域活性化に向けた支援もありました。

「最初のきっかけは『竈方祭』の復活です。
竈方集落の中で塩作りが始まったり、他の集落ではあの酒米作り、酒造りが始まったり、いろいろな取組みが始まり、動き出してきていると思っています。
竈方をシンボルというような形で、地域の誇りにつながるような産品にしていってほしいと思っております」

と、南伊勢町役場まちづくり推進課政策係の小山将彦係長。

「商品がを少しでも多く拡販できるようにするのが目標です。。
生涯かけてこれを維持して、自分で終わるのではなく次の代に繋げられるようにもっていけたら最高だと思っています。
私は今70歳なんですが、死んでゆくまで最後に携わさる仕事だと思い、一生懸命頑張っていきたいと思っています」

と、村田さん。

南伊勢の歴史と自然を味わえる竃方の塩。
興味のある方は『竈方塩づくり振興協議会』のウェブサイトをご覧ください!