FM三重『ウィークエンドカフェ』2021年7月3日放送

尾鷲市の最南端に位置する梶賀町。
ここで100年以上も前から作られてきたのが『あぶり』です。
今回は、このあぶりを作り続けているお母さん、濱中倫代さんがお客様。
早朝、市場にあがったさばこと呼ばれる小サバをじっくりとあぶって燻製に仕上げていきます。

賀だけで作られている保存食であり伝統食

それこそ本当に私が生まれてくる前…巷では100年前からと言われています。
誰も真似しませんね、これは。
梶賀だけ。
お酒のつまみやら、いろいろ食べ方があるようで。
最盛期は5月ですが、今年は魚が不漁でばらつきがあり、大きいのや小さいの…苦労しました。
揃っていたらいいんだけど。
例年は3月末からなんですが、今年は4月7日くらいから。
魚が揚がったら仕事になるけど、魚が上がらなかったら休みが続きます。
私は今日は、尾鷲と梶賀で魚を仕入れてきました。
やっぱりあっちでもこっちでも魚を求めて熊野の方に行ったり、いろいろします。
魚がないと仕事にならないので。

 

中さんが38年前にあぶりを商売にし始めた

(濱中さんの相棒が榎本まつよさん)
昔から、先祖代々からおばあさんが炙っていたのを見ていたので、見様見真似でやっただけで。
商売にしたのは濱中さん。
夕飯に炙りがあったとき、おかずに炙ったりしていたので、その横で私らも炙っていました。
だから教えてもらったというわけではありません。
経費が多いです。
竹串が1本20円。
運賃が必要で、魚代が必要で。
魚代は魚市場へ1000円プラス消費税を払って。
で、1時間1000円で3名雇っています。
だから残らないです。
最初のうちはお客さんが少なかったけど、だんだん味を知ってもらって評判になって。
まずは釣り客さん、それから地元の人に広まって、それから他所の人が送ってほしいと。
TVやラジオに取り上げてもらって、お客さんが付きました。
4月5月6月、7月の初めまで。
多い時は1日、100キロ、180本ものあぶりを作るそう。
同級生の2人は手を休めることなく、小サバを串に差し、魚をあぶっていきます。
そして、金色に輝くあぶりが次から次へと焼き上がります。
一番良いサイズは7〜8cm。
それが一番美味しいです。
やっぱり4月のはじめは小さいけど、だんだん大きくなって5月のはじめには良いサイズ。
そこからさらに大きくなります。

 

の木が少なくなっていて、確保するのも大変

大きさをそろえてきれいに並べるのが難しい。
刺し方にもコツがあるんです。
串先から根元へ少しずつ大きくなっていく様子が美しい小サバの串。
専用のコンロにのせ、桜の木を使って燻すように焼き上げます。

桜の木を集めるのが一番つらいところ。
本当にないの。
今年で切れるなと慌てていたら、ちょうど声をかけていただき助かりました。
区長さんが声をかけてくれて。
今年はまだ使えません。来年のための木です。
なかなか工程も多いです。
頭をとって塩をして、ある程度時間を置いて、串に刺します。
炙るのに時間がかかるの。
1時間半はかかります。
だから数を多くして無理をすると焦がしてしまうしね。
そのまんまがビールやお酒のつまみに一番良いと思います。
それから、ある、津の人によると、味噌汁に入れるのが一番美味しいと。
最高やと言っていました。
7月の中旬くらいまでと違うかな。
例年それくらいだけど、今年はさっぱりわかりません。
コロナで心配したけど、売れたので良かったです。

 

3時から作業が始まる

私は毎日3時に起きて、4時20分にはここに来ます。
何も仕事はないけど。
だけど、焚き木を出さないといけないし、いろいろすることはあります。
雇っている人たちは9時過ぎから出てきます。
10時からお客さんが来ます。
何回も買いに来ます。
津からでも四日市からでも。
一番先に、何時頃から始まるか聞かれます。
だいたいこの時間だね、と答えると、注文来るのはすぐです。

私も頑張るけど、後継者づくりも頑張らないといけません。
30代・40代の人が梶賀にぜんぜんいません。
みんな外に出てしまい、2人か3人しかいません。
おらんわね、こんな大変な仕事。
煙で咳も止まらないし。
だからこんな大変な仕事ないと思うけど、このまま捨てるわけにもいきません。

私は死んでいくまで『炙り』をする。
それだけのこと。

 

話をしながらも濱中さんは、串から目を離すことはありません。
串を返しながら仕上がり具合をたしかめます。
この作業を38年間やり続けています。
梶賀に伝わる伝統食 あぶり。
この味を守り続けることが濱中さんの使命。
力強い言葉が、心にしみます。