FM三重『ウィークエンドカフェ』2021年12月11日放送

かつて宿場町として栄えた多気町丹生、和歌山別街道沿いの家には屋号がかかれた看板がかけられています。
今日は、丹生大師と地元の人に親しまれている『丹生大師 神宮寺』副住職の岡本祐真さんがお客様です。
まずは神宮寺の歴史からご紹介いただきましょう。

生神社の雑務をしていたところが神宮寺だった

神宮寺の奥に『丹生神社』というのがございまして、そちらの別当寺院が『神宮寺』になります。
丹生というところは500年代から水銀の産出が始まりまして、採掘が始まった時に水銀の神様を祀るために『丹生神社』ができました。

それが西暦523年で、来年丹生神社は御鎮座1500年という、記念の節目を迎えます。
開かれてから150年後の宝亀5年に、弘法大師空海さんの師匠である奈良の勤操大徳が開山され、弘仁天皇から別当職を与えられて、丹生神社の中にできたお寺が『神宮寺』でございます。
お寺が古くて広いと良く言われますが、もともとは丹生神社があってのお寺ですので、丹生神社の境内地が広かったということですね。
お寺の上に『神宮』と付いていますので、お寺なのが神宮なのかどちらなのかと聞かれますが、もともとは神社さんに付属する寺のことを神宮寺と呼びますので、昔は丹生神社の雑務などをしていました。
そういう関係で、お寺の上に神宮がついて『神宮寺』となっています。

 

度焼失してしまっている建物は水銀で繫栄しているときに建てられた

残念ながら丹生大師も神宮寺も戦国時代に火災に遭い、一度は焼かれています。
ですから今ある神宮寺は古くても300年ほど前に再建された物です。
ちょうど再建される時が、水銀の採掘のピーク時だったこともあり、多くの方からご普請をいただいたと聞いております。
水銀を掘り出したのが、およそ500年代でしたので、1700年代くらいまでは水銀の関係で賑わったと言われています。
その名残の一つが、この神宮寺の建物群なのかな、と思います。
再建された仁王門であったり、境内に咲き乱れる四季折々の花であったり…今ちょっと散っていますが、紅葉を見にこられる方も多いです。
また、石段の横に回廊という渡り廊下があるのですが、そこも仁王門と同じ時に再建しています。
このあたりも江戸時代の身分の高い方が渡られた廊下ですので、そういうところも見てもらうと面白いとおもます。
丹生という地区はとても栄えたと聞いています。
今は主要道路から外れてしまっていますが、丹生の近くには現在、勢和多気インターがありジャンクションになっています。
そういった側面が当時もあったのかなと思います。
南に下れば熊野に行きますし、伊勢に行くと吉野の方に行きますし。
伊勢からも近いという立地条件ですので、そういった面でも丹生は宿場町として栄えたと聞いています。

 

生大師以外にも丹生にはたくさんのお寺がある

丹生は栄えた関係で、お寺や御堂、庵が多かったらしく、それが今、合祀をされて丹生神社と神宮寺を含め6つのお寺があります。
他にも小さな薬師堂や地蔵堂があったりしますので、丹生界隈を散策してもらうと、昔の面影を感じると思います。
お子さんたちに時間を過ごしてもらうのもとても良い機会かなと思い、2年ほど前から公文の書道教室の方に場所を提供しています。
丹生という地域はもともと、このお寺とも関わりが深いのですが、十数年前から地域の保育園と小学校が合併した関係で、日中子どもたちがいないという環境になっているので、地域との関わりが僕たちが子どもの頃と比べると、今の子どもたちは薄いのかなと思います。
ですから、地域で時間を過ごしてもらうことも良いことなのかなと思っています。
お寺で書道をしてもらうことで、子どもたちにとっても何か感じてもらえればいいですね。

 

せは自分の心のなかにある

ここは弘法大師の師匠が建てられ、整備されたお寺です。
ここで弘法大師のお言葉を一つ、紹介させてもらいます。

「それ仏法遥かに非ず。
心中にして即ち近し。」

簡単に言うと、仏様の教えは、「遠いところではなく、一番近い、自分の心の中にありますよ」という言葉です。
その『仏法』を『幸せ』に置き換えて、

「それ幸せ遥かに非ず。
心中にして即ち近し。」

という言い方もできると思います。
自分たちがもとめる幸せは、外に求める物ではなく、実は心のあり方にあるんだよ、という意味の言葉です。
今は情報が氾濫して、自分自身がどう見られているとか、他人の行いを見ることが多くなったと思いますが、実は一番大切なのは、自分の心の在り方なんだということを、弘法大師様は説いておられます。
自分の心の中に気持ちを向けてみることが、日々生きていく中で必要なことだと思います。

年齢を重ねていくと役割も責任も負ってきます。
歴史を継いでいく、仏様や空海様の教えを継いでいくという責任も、ひしひしと感じるようになってきました。