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那智黒石は、熊野市神川(かみかわ)町だけで採掘される希少な石で、主に碁石の黒石や、硯石に古くから使われ、粒子の細かい(0.1ミクロン)黒色不透明の砕屑(さいせつ)物からできており試金石として使用されてきました。
神上石(こうのうえいし)や神渓石(しんけいせき)、那智黒石の呼び名は烏翠石などと呼ばれた時期や、売り出す際に観光地の那智の滝にちなんだという説もありますが、はっきりとは分かってはいません。
那智黒石が初めて文献に表れるのは「紀伊続風土記(1839)」で、古くから美しく珍しい石として知られていました。
製品としては碁石の材料として出荷されたのが最初で、遺唐使の中国への贈り物の中にある「棋子」は那智黒石ではないかといわれています。(棋子一現在の碁石、古来硯材や試金石としても利用されてきたが時代は定かではありません)
藩政の頃一時採取を禁止されていましたが、明治中期に採掘禁止令が解けて硯・文鎮などに利用されてきました。那智黒石を広く売り出したのは明治になってからで、神川町神上の山西徳之助という人が硯を作って売ったのが始まりといわれています。