FM三重「ウィークエンドカフェ」2022年9月3日放送

志摩半島の入り江、的矢湾に今から100年ほど前に『佐藤養殖場』が設立されました。
豊かな海水と静かな湾が上質な的矢かきを育てています。
今回は『佐藤養殖場』の代表取締役社長の濱地大規さんがお客様です。

蠣の研究者 佐藤忠勇が近代のカキ養殖の基盤を築いた

当社の初代が佐藤忠勇。
佐藤養殖場を会社として牡蠣の生産をはじめたのが大正14年。
もう少しで100周年を迎えます。
当時の牡蠣の養殖方法は、現在全国で行われている『垂下式養殖』という、一年で牡蠣を作る養殖方法の技術を確立したと言われています。
初代はもともと研究者だったので、牡蠣の生育過程の研究を行い、昭和期に入ってからは牡蠣を生で食べられるような浄化システムを開発して特許を取りました。
いまの近代の牡蠣養殖の基盤を先代方が作ってこられたということで、しっかりとした歴史が刻まれてきた100年だと思います。
自然の力というのは、本当に偉大だなと思います。
特に牡蠣は、海の特徴が味に出ますので、同じ県内でも場所場所によって味が変わっていくというくらい、海の味がダイレクトに味となる食材、海産物だと思います。

 

り手と売り手を経験してきて、また作り手になった

生まれも漁師の息子です。
学校を卒業してから遠洋漁船、カツオ船に乗って赤道近くまで漁に行くことから仕事をスタートしました。
それからずっと外洋の漁師、近海で漁をする漁師、それから養殖関係、水産関係、市場などで、ずっと水産畑に、それこそ生まれたときから携わってきました。
仕事としても携わってきました。
そもそも僕が牡蠣を好きだったこともあり、勤めていた旅館の中で、牡蠣の養殖を実際に売る側の立場に長くいたので、最後には作るところに携わり、原料をしっかりと確保して良いものを作っていこうと。
僕がもともと漁師ということもあったので、自然と海に戻ってきて、作り手側と売り手側、両方できるところが、これまでに経歴もありながら自然に行き着いたなと思っています。

 

重県の人が気軽に牡蠣を食べられる場所を作りたかった

今年の1月、的矢湾の牡蠣が一年中食べられる『的矢かきテラス』がオープンしました。
養殖いかだや行き交う船を見ながら海の幸が堪能できる場所です。

牡蠣を買いに来てくださるお客様で、気軽に的矢牡蠣を食べてみたい、試食してみたいという方々が多くいらっしゃったのは、感じていました。
的矢牡蠣は営業所が東京にあったのも影響していて、関東関西・愛知県近県への出荷数は多かったのですが、なかなか三重県の地元で気軽に食べられるところがないと、僕自身も思っていました。
ひとつの思いとしては、『三重ブランド』に認定してもらっている三重県の特産品を、三重県の方に気軽に味わっていただきたいというところがありました。
あとまた、経営の課題の解決もありました。
そういった思いとか、状況というのが、養殖場の地内にレストランを建てようと決意させた、大きな理由ですね。
この建物の建築を契約する印鑑を押す瞬間というのがコロナの真っ只中でして、今のようにワクチンも開発される一年以上前です。
そこで決断するというのは、本当に悩みました。
けれども、状況的に、コロナが収束するのを待ったほうが良いのか、今やったほうが良いのか…先がわかりませんでしたが、佐藤養殖場としては、『やるべきこと』だと強く確信がありました。
海のテラスや筏の上など、空気の通るところで食事をしていただける場所もあるので、そういった意味では、コロナ禍であってもコロナ後であっても、ある程度支持していただけるのではと思い、決断しました。

 

質の高い海産物を作り続けていきたい

日本の海産物はやっぱり美味しいです。
海のものが好きな人もたくさんいらっしゃいます。
ですから、品質の高い海産物はなくてはならないものだという思いが強くあります。
その上で、さまざまな課題解決に取り組んでいかなければならないですが、やはり、ここに就職したいと思ってもらえるような企業の元気さ、待遇もそうだと思います。
いろいろな知恵を使って、『ここで働きたい』と思ってもらえるような会社になれるかな、と思います。
牡蠣づくりを通して、生で食べていただける牡蠣を出荷するときに、良い品質の牡蠣を作るということ、そこが一番大事な会社です。
作った牡蠣、作った人の思い、品質に妥協しない牡蠣づくりというのを、直接お客様にたべていただくという部分を今後、さまざまに取り組んでいきたいですね。

佐藤養殖場を作り上げてきた『作り手』とか、関わってくださった方々が地域にたくさんいらっしゃいます。
その方々の思いをあります。
何を残して、何を変えていくかを日々、自問自答しています。