FM三重『ウィークエンドカフェ』2022年9月24日放送

豊かな田園風景が広がる菰野町、ここは万古焼の産地としても栄えてきました。
今回は『有限会社山口陶器』の山口典宏さんがお客様です。

うすぐ創業50年になる。植木鉢から始まり食器の製造

もうすぐ50年になります。
父親が創業して、僕で二代目。
昭和48年に創業して、僕が昭和50年2月に生まれているので、工場が遊び場でしたね。
まだまだものが足りない時代でしたので、作れば売れるという感じでした。
今思うと、非常に景気がよく、地場産業として地域で雇用を創出したりして、認められていました。
うちは創業は植木鉢屋からスタートしました。
それから食器屋に変わって、その後、耐熱製品も取り扱いもはじめました。
今はメインというものはないのですが、8年ほど前から自社ブランドを作りました。
それが『かもしか道具店』。
そちらの方の製造をメインで行っています。
先代がやってきた製造という部分に対して、これからものを作っていくだけではダメです。
時代は変わっていて、ものがたりない時代とものが余っている時代ということを考えたときに、このままで良いのかと悩みました。
自分自身、会社自身ですべて責任を取る仕事をしたいなということで、どこかの下請けとかどこかのOEMとかをしていたら、そこに左右されるじゃないですか。
そうすると景気が悪くなったり傾いたりしたときに、人のせいにしてしまう気がするんですよ。
それがイヤで、すべて自分の責任にしようと。
売れなければ自分の責任だし、売れれば自分の功績になります。
すべて自分の責任でしたいと思い、自社ブランドを立ち上げました。

 

ザインをしないデザインをしよう。60歳になったら引退できる会社にしたい

『かもしか道具店』を立ち上げ、最初に作ったオリジナル商品はご飯を炊く鍋でした。
1合、2合、3合用のおいしいご飯が炊ける鍋。
現在はコンセプトを共感してくれる若いスタッフが増えています。

『かもしか道具店』はどういう人たちがどういいう思いで作っているのか、そのモノの背景に何があるかをしっかり伝えたいですね。
全国のお客様に商品を扱ってもらうときに、菰野町はこういう場所なんですよ、ここでこういう思いで物を作っているとか、それをきっかけに三重県や菰野町を知ってもらうという狙いもあります。
デザインはしていますが、格好いい物を作りたいというのではなく『デザインをしないデザインをしよう』という。
あまりダサいものは作りたくないですけど、容姿にこだわっているわけではないです。
ブランド化した一番の成果だと思うのは、求人に対して、うちのことを知っていたり使ってくださっている世代の方々が応募してくれるということ。
ちゃんと私たちの思いを知って、ここで働きたいと言ってくれる人が増えたのが、非常にありがたいと思っています。
なんとか60歳で引退できるように。
60歳で次の代にバトンタッチできるような会社にするために、そういう意味を持って言っています。
私がこの会社を継ぎたいと父親に言ったときに、「衰退している産業だから継ぐな」と言われました。
自分はそれが寂しかったので、自分としてはそういうことは言いたくないし、身内だろうが身内でなかろうが、次、誰かが継ぎたいと言ってくれる会社を作りたいと。
そのために私は目標を決めて、60歳までに後継者の育成をしないといけないし、継いでもいいと思わせるような会社を作ろうと思っています。

 

域のために何ができるのか? イベントを開催でしている

自社の工場の前に1500坪の土地を、地元の方にお借りしまして、そこにちょっとした森があったり古民家があるので、そこを地域の人たちのコミュニティが生まれる場所にしたいと思っています。
地場産業と言われる産業ですが、地場産業とは何かと紐解いたときに、地域のためにならないと地場産業じゃないと思っています。
昔と今とでは世の中が変わっていますし、事情も変わっているので、私たちが地域のために何ができるのか…。
昔ほど雇用もできないし、昔ほどものがたりない時代ではないので、そういうことを考えると、私たちがあることによって、なにか地域のためになることをしたいという思いがあります。
私たちが今、取り組んでいるのが『かもしかヴィレッジ』の開催。
地域の人たちが集える場所を作っていこうとしています。
ここに店を作ったのもそうですし、今後、そういう『ヴィレッジ構想』で、いろんな人が訪れて、コミュニティが生まれて、地域の人たちや子どもたちがフラっと来て公園代わりに使ってもらうとか。
そういったことができればなと。
私が菰野町で仕事をさせてもらっている上で、還元できることなのかな。
ちょっとずつはじめたところですが、まだまだ…10%、15%、いや13%かな、という感じですね。

 

域の人に育ててもらったから今がある。感謝の思いを届けていく

私も地域の人たちに育ててもらいました。
地域のソフトボールのチームに入っていたり、相撲大会があったり。
そのときの地域のおいちゃんたちに、怒られながらも指導してもらって今があると思っています。
今でもそのおいちゃんたちに「元気か!?」とか声をかけてもらうような地域のコミュニティがあることが、最終的に防災や何かあったときの生存確認や安全確認につながっていくと思っています。
私たちがやってもらったことは、私たちが次にやっていて、また次の世代にやっていってもらえるよう繋げていくことが、私の役目だと思っています。
自分なりに感謝の気持ちがあってやっています。
自然ですね。
あえてやっているのではなく、この地域や人がとても好きなので自然とそうなっています。
ここができるまでは、「山口さんとこの商品、東京に出張に行ったときに見たよ、すごいな」と言ってもらって、それはそれで嬉しいです。
けれど、製造地と消費地が違う…自分が住んでいる地域の自慢になることって、東京に置いてあるのではなく、ここに人が訪れたときに、「ウチの近くの陶器屋さんが店を出しているから一緒に行こうよ」と外の人に紹介できるような場所になったほうが良いと思って、ここを作りました。
ここにある意味。
私たちが製造しているものがここにあって、ここに店があって、ここに人を呼べるような場所にしたいなと。
こんな田舎の田んぼの真ん中にどうして店を出すのと、いろいろな人に言われました。
一号店というのはまず、自分の近くに出すべきだと、地域ブランドとしても思いました。
まずは地域に根ざすものにするために、ここに作りました。

100年後までこの産業が残っていくように。
僕が死んでからですし、天国からそれを見ることができたら嬉しいなと思っています。