第38回『サルシカ隊長レポート』2012年10月

サルシカ隊長オクダ、今回は南伊勢町神前浦へ!
絡み合う歴史の謎、神秘の力を追う!!


前回、仙宮神社にて千年にわたって紡がれてきた歴史、そして3つのパワースポットをこの目にした。
仙宮神社でワレワレは多くのものを得た。
しかしその発見は「点」で終わり、「線」でつながる次のターゲットを見つけるに至らなかった。

写真師とワタクシは行き先を失い、缶コーヒーを飲みつつ、神前浦の周辺を車でうろうろ走り回り、そして神前港へとたどり着いた。

もうすっかり陽も高い時間だというのに、なにやら港は賑やかである。
セリでもやっておるのかと覗いてみると、なぜか小学生らしき子どもたちがたくさんいる。

子どもの中にまぎれていた大人に聞いてみると、近くの小学生の体験学習だという。
船にのって養殖マグロに給餌し、カニカゴをあげて漁体験をするという。
ほほーう、それは面白そうではないか。

しかし地元の小学生なんて船や漁なんて珍しくもなんともないのではないか。
そう思ったら、なんと親が漁業に従事している児童はほとんどおらず、漁船にも乗ったことがない子ばかりだという。
これがかつて漁師町と呼ばれた地域の現実なのであろうか。

一方、体験学習を受け入れている側は、漁師さんたちを中心としたグループであった。
グリーンツーリズム、ブルーツーリズムと呼ばれる、自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型の余暇活動によって新たな収入源をさぐっていこうという取り組みの一環で、その実験的な受け入れであるらしい。

子どもたちを乗せた何艘もの漁船が出港していった。
おおお、いいなあいいなあ。
写真師はカメラを持って走り、ワタクシは子どもたちに手を振った。

「じゃーねー、楽しんでこいよー」
「わーわー」
「ばいばーい!!」

小さくなっていく漁船を見送りながら、なぜこんな熱く盛り上がっているのかと思う。
こんなことをしている場合ではなかった(笑)。

神前港の周辺を歩くと、もう仕事を終えたのであろう漁師のお父さんたちがのんびり座っていた。
いきなり「神前浦の歴史についてお聞きしたい!」と話しかけても引かれてしまうだけでなので(笑)、この神前浦に古くからある場所・・・神前浦といえばココって場所を教えてくださいと聞いた。
するとお父さんはしばらく考えてから、

「それやったら・・・やくしさんやなあ」
「やくしさん? それは何です?」
「寺っちゅうか・・・城っちゅうか・・・」
「どこにあるんです?」
「あっちの方やけど・・・まあええわ、いっしょに途中まで行ったろ」

というわけで、流れ的に「やくしさん」に行くことになった。

車は入れやんからこのへんに置いとけ、とか、おいちゃんはとても親切。
途中まで道案内してもらって、その「やくしさん」へとたどり着いた。

やくしさん。
その正式名称は「薬師山(やくしやま)城跡」であった。
神前浦の集落の真ん中にある中世の山城跡である。

看板には「南北朝時代、南朝側につき、北畠親房の招請に応じ活躍した豪族 加藤左衛門尉定有の城であった・・・」とある。
おおお、ということは、仙宮神社の加藤さんの遠い遠いご先祖さまではないか!

今はもう城はない。
代わりに広厳寺(薬師堂)が建てられ、静かに町を見下ろすばかりである。

薬師堂をぐるりと回って反対側に降りてみる。
すると、銭湯があった。

「あああああああ銭湯や~、しかもここオレきたことある~」

写真師マツバラはワハハハハと笑いながらシャッターを切っていた。
彼は、サルシカの銭湯企画のリーダー「ケロリン」と、三重の銭湯めぐりをしている。
たとえもう営業していなくとも、建物が残っていればそこを訪ねるのだ。
で、その銭湯ツアーで一番最初に巡ったのがココだという。

ワタクシも仙宮神社の前回の訪問を忘れていたので人のことは言えないが、ここまで見事に忘れて笑っている男っていうのもすごい。
少しは愕然として反省をしていい展開である。

「いやー、いいねぇ、この銭湯はいいねぇ!! 画になる!! 最高!!」

写真師はむやみやたらにシャッターを切っている。
たぶん彼はいま今回の取材のテーマすら忘れているはずだ。

しかし、これはマズイ。
かなりマズイ。
仙宮神社を出てから、子どもたちに手を振って、銭湯の写真を撮ってはしゃいだだけである。
歴史の謎を追うどころか、あさっての方向に走りつつある。

いつも行き当たりばったりの取材をしていると思われているワタクシたちであるが・・・まあほとんどの場合はそうなのであるが・・・最低限の調査は事前にしていく。
自慢することではない、取材するなら当然なことだ。

で、今回の取材に際し、神前浦の史跡をいくつかピックアップしておいた。

倭姫命(やまとひめのみこと)の腰掛岩
金網山 西方寺

よーし、こうなったとりあえずピックアップしたところすべて回ってみよう!!
細く入り組んだ集落の中で迷子になりながらなんとか車にたどり着き、まずは「倭姫命の腰掛岩」へと向かった。

それは、神前港から仙宮神社へと戻る道の途中にあった。
さっき前を通ったのに気付かなかったらしい。
前に小さな看板と鳥居しかない。
目立つものといえば、大きな松の木ぐらいであろうか。

こちらは、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)のご鎮座の地を探す旅の途中に、疲れを癒そうと休息をとった地と言われ、倭姫命が腰かけたと伝わる岩が残っているそうな。

ちなみに倭姫命は、第十一代垂仁天皇の第二皇女。
各地をめぐった末にたどり着いたところが五十鈴川のほとりで、これが伊勢神宮のはじまりとされているのである。
もはや千年どころか2千年も前の話なのである。
どんどん歴史のスケールは大きくなていくのである。

倭姫と平家とパワースポット・・・。
果てしなく広がっていって全然つながらん。
うーんうーん困ったぞ。

断片を張り合わせようとも、歴史の階層が違いすぎるのだ。

しかも!!
鳥居をくぐってみたが、中に腰掛けた岩らしきものは見当たらない。
まさかこの石碑が立っている台が腰掛岩であろうか。
いやいや、さすがにそんなバチあたりなことはしないだろう。
もうなくなってしまったのであろうか。

なんか納得できないまま、通りへと戻った。
もうお昼すぎだった。

「腹減ったなあ・・・」

もう「シャーロック隊長」とか「写真師ワトソン」などという芝居をしている余裕もなかった。
何やら完敗ムードの風向きなのだ。

ワレワレは言葉もなく車を走らせた。
仙宮神社と神前港を行き来しているとき、昼飯はここだな、という店をチェックしておいたのだ。
史跡(この場合は「倭姫命の腰掛岩」ね)には気付かないくせに、食堂や飲み屋だけは目に入るのだ(笑)。

御食事処 桃平
三重県度会郡南伊勢町河内82−3‎
電話 0596-76-1551

吉津港のすぐそばにあるお店である。
店構え的に「いいもん食べさせるよ、安いよ」と言っている(笑)。

取材がうまく進んでなくてうなだれている割には、食欲はあるワタクシたち。
豪華にお刺身定食を注文。

うほほほほ、すごいね、こりゃ!
鯛の塩焼きが半身でついてますよ。
小皿も2つ。

そして見よ、この刺身の量を!!
ワラサです!!
正直2人前はありまっせ!
これで千円ちょっと。

いやー、うまいうまい!!
大満足!!
すっかりご機嫌のワタクシたちなのである。

お店のお母さんに「なんの取材?」と話しかけられ、カクカクシカジカで神前浦の歴史の謎を追っていると話すと、

「じゃあ、もう倭姫命の腰掛岩は行きなすった?」
「ええ、でも岩はもうないんですね」
「そんなことはあらへんにぃ、ちゃんとあるにぃ、石碑の脇に」

えっ・・・となった。
ちゃんとある・・・?
石碑の脇に・・・!?

つまようじで歯をシーシーしていた写真師もガバッと身を起こした。
ワレワレは見落としていた・・・!!
そして、ここに謎を紐解く何かがあるような気がした。

「ごちそうさん!!!」

ワレワレは車に飛び乗り、わずか数十メートル先にある「倭姫命の腰掛岩」と再び向かった!!!
次回、ついに神前浦の歴史の謎が解き明かされる・・・!?


写真:松原豊    文:奥田裕久