FM三重『ウィークエンドカフェ』2023年8月12日

津市の真ん中、丸之内に創業してから120年を越える『大谷はきもの店』があります。
今回はこちらの三代目、大谷明さんがお客様です。
和装の履物、下駄と草履を販売しています。

は売らず、下駄と草履だけを販売している

古くから商店の中心地であっただけに、まあ、細々ながら昔の商売をやっております。
私どもの方は常々、履物を扱っております。
履物といっても昔は下駄や草履しかなかったわけですから、靴は私どもの商売期間中は扱ったことがありません。
和装の履物ということで、こんにちまで来ております。
古い知り合いの方々も多いですが、しかしまあ時代の流れには勝てません。
時代は変わっているのですから、いわゆる『文化の相違』ですなあ。
下駄と草履を、よちよち歩きの頃からお年寄りまで、いかに自分の人生の流れに合った履物を履いてきたかは、人によって100%違ったわけです。
もう今現在、靴だけですわね。
昔は下駄や草履、まあ、さまざままな履き方がありましたので、多くの人がうちの商売を、食事の次に必要かつ不可欠ということで、親しくお付き合いいただきました。

 

のままでは、この文化が廃れてしまうと思い、安濃津ばきを考案した

今から20数年前、三重県の伝統工芸品である『伊勢木綿』と『松阪木綿』の鼻緒に、草履の表に畳を使った『足やすめ 安濃津ばき』が誕生しました。

従来の、普通の下駄と草履では、いわゆる『商い』の立ち位置で存続することができなくなってまいりました。
現実、いま、津の商店街を見ていただいても、これだけシャッターが閉まっている原因の多くはそれです。
しかし、せっかくこの履物でやってきました。
みなさんから少しでも役に立てる間はやりたいという気持ちで、新たになにか、現状に合った商品を作ろうと考えたのが、この『安濃津ばき』です。
昔の良さといいますか、昔の日本人が持つ遺伝子の流れは、ご年配の方なら言うに及ばず、若い人でも身体に染み込んでいるわけです。
従いまして、靴は靴なりに利用してきているが、靴だけでは物足りない、自分の生活とマッチングしないという人が、まだまだ日本にはいるわけです。
そういう方々が、こんにちのお客さんのつながりになっていただいたということです。

 

国的に通用するものを作り、現在は日本中の百貨店が扱ってくれる

草履の特徴といたしまして、津市の伝統工芸品である『伊勢木綿』を使っておるということ。
そして松阪には『松阪もめん』が、今現在も伊勢木綿と同様にあります。
要するに、木綿という素材が逆に昔の用途だけでなく、現在まで生きてきたということです。
お足の裏に当たる『オモテ』が、畳だったわけです。
畳という代物は、どんなご家庭にもどんな年齢にしろ、赤ちゃんの頃から極論を言えば死ぬまで付き合いをしてきてくれたわけです。
したがって、その感覚がやはり、足の裏にきっちりと記憶されてきているのです。
私はそれを、遺伝子だと思います。
いわゆる国レベルの感覚で評価を受けたわけで、全国的に通用するものです。
その主流は、各地にある百貨店さんがうちの商品を非常に多く扱ってくださっています。
私の方以上に、みなさんがご理解いただいている・・・そういう特徴があります。

 

うやくどんなお客様にも対応できる商品が揃ってきた

安濃津ばきの愛用者は、全国各地にいます。
お客様の要望にできるだけ応えられるようにさまざまな種類ができました。
種類が多ければ多くなるほど、苦労も増えます。
「私はこういう希望のものがほしい」など言われますが、ようやくどういうお立場のお客様から言われても対応できるように、20年近くたった現在では間違いなく、ご評価いただいています。
こちらの商品は婚礼用の履物だったわけです。
これは下駄です。
しかしこれは明治以前の商品ですが、今では利用のしようがないです。
こんなもんでまちなかを歩けませんから。
けれどこちらの草履になると、原型は昔のままといっても良いかと思います。
少しも前と変わっていません。
私どもで強いて変えたのは履物を軽く、危険性がないように、滑らないようにということを重点に於いて作りました。
それ以外はもう、いわゆる柄や自然の生業ですね。
そこにもってきて『木綿』というものを、私は非常に大事にしてきました。
安濃津ばきを完成するまでに貫いたのは、『木綿の優しさ母の優しさ、畳のぬくもり日本の心』。
このとおりだと思います。

世代を超えて、国境を越えて。
培われた文化は、新しい風とともに広がっていきます。
外国の方に、日本の履物文化を理解してもらうということを、これからのテーマにしていきたいと思います。