三重テレビ『ゲンキみえ生き活きレポート』2023年9月17日

地域を元気にしようと2006年に誕生した大紀町の『野原村元気づくり協議会』
廃校となった小学校を拠点に野原工房げんき村を開業!
17年にわたって活動を続けています!
しかし、リーダーの死去、新型コロナの感染拡大とグループは大きな岐路に…
番組では17年の足跡と、数々の困難を乗り越えてきたグループの今、そして将来をレポートします!

清流・宮川のほとり、大紀町の野原地区です。
野原といえば、こちら!
『野原工房げんき村』です。

 

「無いものねだりをせず、いまあるものを有効活用。
働く場所と人を増やして地域に元気にしよう」

そんな明確なテーマを掲げ、17年に渡って活動してきたのが、『野原村元気づくり協議会』のみなさん。
活動拠点は2001年に廃校になった『七保第一小学校』。
地域のみなさんが集まり、地域の魅力の掘り起こしからスタート。
地域交流の場である喫茶室の運営。
ジビエ料理、お弁当の製造と販売。
運動会、しめ縄づくりなど、学校跡地を利用したさまざまなイベントを開催し、地域を盛り上げてきました。

 

しかし2021年。
『野原村元気づくり協議会』のリーダーとして、設立時から活躍してきた鳥田陽史(とりだ・ひでし)さんが亡くなり、さらに新型コロナウイルス感染拡大という災難が襲いかかりました。
『野原工房げんき村』はこの危機をどう乗り越えたのか。
いまどのような状況なのか。
17年の足跡と、『野原村元気づくり協議会』のみなさんの『今』をご紹介します。

 

野原工房げんき村のお弁当販売と喫茶室の営業は毎週土曜日。
土曜日の朝早く、お弁当作りがはじまっていました。
いま、作っているのは『ちらし寿司』。
しいたけ、油揚げ、ちくわ、にんじんなどが入っています。

「お弁当づくりは楽しいです。
みんな売れた時が、一番嬉しいです」

と、メンバーの女性。

 

みなさん、設立当初から活躍する大ベテラン。
朝6時から休むまもなく作業を続けます。

 

校舎の方も賑やかになってきました。
こちらは七小跡地活用グループが運営する『喫茶 おはつき』。
以前と変わらない様子ですが、コロナ禍の影響はあったのでしょうか。

「コロナ前は食器がたくさんあって洗って出していましたが、コロナになってからは使い捨ての形で、紙コップでセルフになりました」

「手作りでパーテーション対策などもしていました。
再開した時はお客さんがとても喜んでくれました。
やっぱり、近くで、すぐ来られて、お弁当もあるし、話ができるのということで」

と、スタッスの女性たち。

 

『野原村元気づくり協議会』会長の森本憲生さん。

「会長が亡くなられた以降は、私が準備から後始末までいるように心がけているので、土曜日はすべてここへ注いでいます。
コロナ禍の間は、ここヘコロナが入ってこないよう、みんなが感染してパニックにならないよう、スタッフも心掛けてやってくれました。
ですから幸いパニックにならず、現状に至っています」

 

前会長・鳥田さんの思いを継いだ森本さん。
コロナ禍にあっても安全対策を徹底してお弁当販売や喫茶室をいち早く再開。
イベントも規模を縮小するなど工夫して継続。
地域のみなさんの交流の場を守ってきました。

 

午前10時。
お弁当目当てのお客さんがすでに集まっていました。

「お待たせしました!」

ご覧ください、この盛況ぶり!
一度に3つ4つと買い求めるお客さんの姿も。
ボリュームとお値段、そしてお母さんたちの愛情が人気の秘密です。

 

ちらし寿司、400円。
弁当、500円。
味ごはん、300円。
サラダ巻、350円。

 

「私たちは明和町から来ました
どうしても、買いに来たくなるんです」

「手作りの、気持ちが嬉しい感じがします」

と、お弁当を購入した親子のお客さん。

 

喫茶室『おはつき』もにぎやかになってきました。

 

「こちらには始まってからずっと来ています。
やっぱり、ここの雰囲気がいいですね」

「私はお客さんじゃなくてスタッフです。
もう、始めから来ています。
他のところから来てもらった人に、いろいろとお話を聞かせてもらって勉強になります」

お客さんもスタッフも一緒に楽しむことができる、それが『野原工房げんき村』です。

「うちの協議会は月1回グループがあって、『グループ長会議』というのを進めています。
すべて共有しながら協議会を進めているので、割と運営は楽です。
それでやっていけるのだと思いますね」

と、森本会長。

グループは、
・野原村元気づくり協議会
・旧七一小跡地活用グループ
・野原の食のグループ
・体験・交流グループ
・白岩・奥山川整備グループ
・大瀬東作顕彰委員会
となっています。

「残念なことですが、ちょっとずつ高齢化していてみんなの健康状態もいろいろ変わってきています。
1年1年を見つめながら、運動会、周年感謝セール、年末に続けてきた『注連縄づくり』の3つのイベントを柱に続けていきたいと思います」

と、森本会長。

メンバーの高齢化という大きな課題。
活動を引き継いでくれる次の世代は残念ながらいません。

 

そんな中でも新たな取組がはじまっていました。
野原地区の出身で日本の義務教育や地方自治の発展に尽力した人物、大瀬東作。
2018年、『野原村元気づくり協議会』は東作の生家を譲り受け、『民泊 東作塾』をオープンさせました。
インバウンドを中心に宿泊やイベントスペースとして活用されています。

 

『大瀬東作顕彰委員会』の山口彰芳さんに『民泊 東作塾』の楽しみ方についてお聞きしました。

「それはやはり『交流』です。
コロナ前にはスリランカや台湾、ベルギーなど、世界中からお客さんが来ました。
人は交流を交えてそこからいろいろ学ぶ、私はそれが基本だと思っているのでそこを重視して民泊の方と接してきました。
ここの地区で単なる民泊ではなくて、何かのフェスティバル、古典音楽の夕べなど、民泊だけでなくて、いろいろフェスティパルや催し物を、できれば年に1回2回くらい開催したいと思っています」

 

コロナ禍を乗り越え、悲しみを乗り越え、新たなチャレンジをはじめた野原村元気づくり協議会のみなさん。
17年間変わらなかったのは地域への思い。
そして生涯現役を掲げるメンバーの強い絆です。

「笑顔をもって元気に、地元愛を持って今後もやっていこう。
今のメンバーはみんな、そういう気運でやっています。
若い人に引き継いでやっていきたいのですが、なかなか実現しないので、地道にやって広めていきたいと思っています。
交流を深めて和気藹々とやっていければ、自然と施設の継続があるのではと思っています。
みんなの笑顔が途切れることのないようにやっていきたいです」

と、森本さん。

『野原工房げんき村』!
お弁当は数量限定です。
お早めに!