FM三重『ウィークエンドカフェ』2023年9月30日

多気町丹生。
豊かな自然に恵まれたこの地域で江戸時代末期、活躍したのが西村彦左衛門です。
『一般社団法人ふるさと屋』は、彦左衛門の生家を拠点にまちづくり事業に取り組んでいます。
今回は、代表理事の中西眞喜子さんにお話を伺います。

成28年に西村家からこの場所を借りて活動が始まった

平成28年にここを使わせていただくことになりました。
少し前までは、持ち主のお父さんとお母さんが100歳くらいまで住んで見えました。
お二人が亡くなったあとにいろいろなことを整備されて、どうぞ使ってくださいということで使わせていただいています。
毎週金曜日には70歳代の人が『いきいき体操』をしています。
自然に人が寄ってきて、TVもあるので自由に使って、そこで体操をしています。
この夏は70代、80代の人が集まってで盆踊りをしました。
丹生の夏祭りもあり、それからVISONでも盆踊りをして…みんなまだまだ元気で、好奇心旺盛です。
仲間の力だと思います。
声がけして、みんなが寄ってきてくださるという、チーム力というか仲間。
友だちが多いというのもあります。
ここ『ふるさと屋』で体操をしている人たちも、本当に集まってきて、だんだん増えていますね。
人生楽しもう、という感じですね。

 

西

村彦左衛門が私財を投げうって、和歌山のお殿様に頼んで作りあげた

『立梅用水』を作ったのが西村彦左衛門です。
その功績は大きく、この地域での米づくりが始まりました。

この家は、西村彦左衛門という方のものでした。
今から200年ほど前、「この丹生の土地は水がないので稲作ができない」と、粥見の立梅というころから、櫛田川に堰を作って、山裾をずっと水を這うようにして丹生まで持ってきて、丹生でお米をつくることができるようにしました。
その200年の年でもあるんです、今年は。
西村彦左衛門さんは酒屋さんでしたが、農民の苦労を見てなんとかしようと、私財を擲って紀州のお殿様に陳情しながら、12年もかけてやっと許可をもらって、そこから3年で工事を仕上げました。
そして水が通るようになってから、今年がちょうど200年というお年柄なんです。
私も農家ですが、そのおかげで今でも田んぼづくりをすることができます。
本当にありがたいと噛み締めております。
立梅用水沿いに紫陽花を植えたものが、今では2万本、3万本になっていて、あじさいまつりも今年で24回目くらいですかね。
たくさんの人に来ていただいています。

 

づくりのことを話していた時、友人が劇をやりたいといったことから始まった

30年ほど前、農業をやめてこの地を離れて勤めに行く人が多く、地域おこしというか、地域として何かやりたいなと思った時期があったんです。
その時に個人的に私の友だちに声をかけてたところ、その人が元美容師だったんですね。
「何かお芝居をやりたいな」ととてつもないことを言い出したんですけど、それが瓢箪からコマで、小学校で教頭先生をしていた女性に、子どもたちが発表会で15分くらいの寸劇をしたのを見せてもらいました。
その先生に教えてもらいにお願いに言ったら、「いいですよ」と軽い感じで了承いただいて。
それから28年です。
毎年毎年どこかでお芝居をさせてもらってきました。
コロナで3年抜けて、今年4年ぶりにやらしてもらうことになりました。
その一番最初のお芝居が、西村彦左衛門の『おいらの村に水が来た』というものです。
それをずっと自分たちのモチベーションにして続けていますので、彦左衛門さんとか田んぼに水が来るということには、随分関心がありました。
それを今もこう引っ張って、感謝しつつ生きています。
身体の節々、どこかにみんななにか持っていますけど。
特に私は、それを引きずって、それのおかげで生きさせてもらってきた感じが強いですね。

 

分たちが住んでいる町が良くなるようにと思えばいろいろできる

お芝居のメンバーで五平餅を作っています。
お芝居の先生が岐阜の方なので、おばさんの秘伝を教えていただきました。
何十年もお芝居をしている中で、お祭りごとに五平餅の販売をして、活動費にさせてもらっています。
私もずっと今まで続けさせてもらって、今では『ふるさと屋』の事業として五平餅を販売しているという感じです。
いろいろなことで活動が広がって、こんにちに続いています。
200年ということに関して、立梅用水で育てたお米で『二百年米』というのを作りました。
ネーミングを募集したところ、小学5年生の子の付けた名前を採用させてもらいました。

その米粉で作ったパンケーキミックス。
これはグルテンフリーなので、アレルギーの人にも好まれる。
そういうのも六次産業として、地元の集落の営農組合さんに作っていただき、販売させてもらっています。
そうやって広がっていくのもありがたいですよね!
勢和のRMOという地域の農村コミュニティを維持・発展することも地域おこしですよね。
それを各団体、たくさんの集団の中で集まって、組織を組んでいるので、そこで一番の役をさせてもらっています。
これはとにかく、自分たちが自分たちの住んでいるところを良くしようと。
そういう気持ちがあればだんだん広がっていけると思うので、自分も75歳になるまでその気持ちで接してこられました。

誰かがやってくれるではなく、自分たちが住んでいるところは自分たちで楽しくしていきたいな、と思っています。