FM三重『ウィークエンドカフェ』2023年11月25日放送

江戸時代、上流階級の人々に親しまれた『茄子団扇』。
津で生まれたこの団扇を今も作っているのが、合名会社賀来商店です。
今回は、賀来隆さんにお話をうかがいます。

くて『窓』と言われる部分には漆が塗られている。優美な団扇

一番知ってほしいところは、一度持っていただけるとありがたいです。
持ったときの感想で、「軽い」と言っていただけると、ちょっとほくそ笑むというか、「やった!」という気持ちになりますね。
みなさん持ったときに、「軽い」と感動してもらえると、嬉しいんですけど、実は他の地方のうちわと比べると、重さはほとんど変わりはありません。
ただ『茄子団扇』の特徴として、団扇の開いている部分を専門用語で『窓』というのですが、そこを漆で仕上げてありますので、バランスが扇面よりも持ち手のところに近くなっています。
バランスの関係で持ったときに軽いと感じるよう、作ってあります。
逆さにしたときに、茄子のヘタの部分に見える形になっていまして、ここが一番の外見の特徴であり、持ったときのバランスで非常に軽く感じられます。
あおぐときにも、柔らかく、軽い風が来る、というつくりになっています。

 

所安連という武士が発案して、他の武士たちも作るようになった

『茄子団扇』は1818年、文政年間に作り始められました。
津の藩士である別所安連さんという方が考案された団扇になります。
江戸時代はずっと市内のあちらこちらで、武士の方が作っていました。
この団扇は武士の間での、大名家への献上品であったりお土産であったり、というような形で使われてきました。
いわゆるご禁制の品になっていたので、江戸時代はそんなに流通はしていませんでした。
それが明治なり、武士じゃない人で、これを本業にする人が出てきて、そこからたくさん作られるようになり、津の名産となりました。
しかしやはり、昭和40年頃から、世の中に扇風機やクーラーなどが登場して、団扇がずっと下火になり、『茄子団扇』は一度は完全に途絶えました。
私の父が一旦途絶えた『茄子団扇』をもう一度復活させようと、最後に津市内で作られた『松尾』さんという方のものが手元にあったので、それを解体して試行錯誤しながら、約10年かかってどうにか再生することができました。
私の妻が手作業に長けていましたので、少しだけ父親から手ほどきを受けました。
今は妻があとを継いでおります。

 

々は真っ白なうちわ。それに絵を描いたり詩を書いて楽しんだ

他の銘柄の団扇でもそうですが、海外で作って国内で販売するという形になっていますので、茄子団扇のようにすべてを私どもの方で手作業で行っているところはほとんどありませんので、そういう意味で、材料がどんどん国内のものが手に入りにくくなってきています。
本来の茄子団扇は両面とも白で、それ宴席でお酒を召し上がった方が、さらさらと絵をしたためたり、詩を書いたり…いわゆる『色紙』のように使われていたのが、江戸時代の本来の『茄子団扇』でした。
今はそういう使い方があまりないので、いろいろな産地の和紙を妻と一緒に見に行って、気に入ったものを買い求めて貼るようにしています。
例を出すと伊勢和紙ですね。
アオサを漉き込んだ和紙を張らせてもらっています。
柄にぶら下げていいるのは、伊賀の組紐です。
伊勢の和紙と伊賀の組紐と津の団扇を組み合わせることで、三重を『三重』にかけています。

 

父さんがせっかく復活させたのでできる限り守っていきたいが需要がなくなれば生産をやめる

購入してくださる方がいらっしゃる限りは、せっかく父が再現したものなので続けていきたいと思っています。
しかし、無理に作り続けるのは違いますね。
続けることが目的ではいけないなと思っています。
最近、東京に住んでいる方で購入された人がいます。
直接のお取引ではありませんでしたが、以前、津にいたということで、お電話を頂戴して、その方のリクエストに応じたものを作らせてもらいました。
70代の女性でしたが、その方が言われるには、子どもの頃に昼寝をしていると、おばあさんが茄子団扇であおいでくれたそうで、その時のやわらかい風を思い出すことができます、と、お手紙を頂戴しました。
本当に嬉しかったですね。
それを思い起こしていただけるものを提供できたというのは、本当につくり手として嬉しいです。

そのときどきの需要に合わせて伝統は作り替えていくものだと、勝手に思っていますので、求めていただけるのであれば作り続ける…そういう気持ちで続けています。