FM三重『ウィークエンドカフェ』2024年2月17日放送

今回は津市・鈴鹿市を中心に生活が厳しい家庭への生活支援を行っている『多文化共生ネットワーク エスペランサ』の青木幸枝さんがお客様です。
グループの立ち上げは2009年3月。小学校で外国に繋がる子どもたちの担当をしていた青木さんをはじめ職員室の先生たちが作りました。

里が丘小学校の先生たちが作り上げたグループ

当時小学校に勤務をしておりました。その時にリーマン・ショックが起こってしまって・・・。
そのあおりを受けて、担当してる子供たちの家庭の保護者が次々と解雇されていたんです。それで食べ物を買うことができない、生活用品を買うことができないという家が大体4軒に1軒でした。家族の誰かがクビになった家庭が51%、100%の家が日本滞在を希望し、どんなに厳しくても日本に残ると答えた家庭が76%でした。

これはもう支援するしかないということで、職員室の中で作った組織が『エスペランサ』なんです。
その後、発展的解消で支援の必要がなくなったらやめようかなと甘いことを考えていましたが、どんどんどん必要が高まって今に至っています。

津市立千里が丘小学校でした。私はごく普通の学級担任をしていたんですけども、3年間だけ外国に繋がる子の担当者をしました。
その3年目にリーマン・ショックが起こってしまい、当時は津市内で外国に繋がる子どもの人数が一番多い学校でした。

 

ラジルの人が日本の高齢者のSOSを見つけている

あるアパートで、日本人の高齢者の隣に日本語が喋れないブラジル人が住んでいました。隣のが日本人の部屋からうめき声が聞こえるから自分の知っている通訳のできる人に「すぐ来て!隣の日本人の部屋からうめき声が聞こえる。私、話を聞きたいけど日本語できないのすぐ来てって!」と電話をかけました。
その人が飛んでいくと、日本人の高齢者が手首を切って血を流していました。それで「おじいちゃんどうしてこんなことしたの?」って聞いたら、「食べ物がなくて死ぬしかないと思った。」と。支援に行ったブラジルの人は、私達が提供した食材でおかゆを作って食べてもらったり、生活保護に繋げたりしました。もちろんすぐ救急搬送が第1でしたけどもね。

いろんな支援をしているのは外国に繋がる人だったんですね。
先日、これはとても人間の生活とは思えない大変な人がいるとブラジルの人から連絡を受けました。その家庭へ行ってみたら、日本人の高齢の方が1人で住んでいて。ゴミ屋敷のすごいところでした。
自分ではとても管理ができてない様子でした。その家に真っ先にあがったのがブラジルの人たちだったんです。彼女たちは何とか1部屋、生活できるにしようということで必死で掃除をしてくれて。こちらに支援要請があったのが土曜日でしたので、土日とお世話をして月曜日に市役所行ったんです。

外国に繋がる人たちがまっすぐな考え方で“困ってる人がいたら助けるのが当たり前でしょって、そんなほっておいてはいけないでしょ。”というまっすぐな気持ちで支援しています。このように助かってる日本人がいるという話はあっちでもこっちでも聞きます。

助ける対象として、外国に繋がる人を見ているという現実ももちろんありますけども、逆に彼女たちが日本人を助けているという現実もあり、お互いに助け合っている。
そういう考え方姿勢から私達が学ぶってことはすごく大きいかなと思っています。

 

活保護は権利。大変なときは頼ることも必要

生活保護は権利だということを広める1人になっていただきたいんです。
生活保護恥ずかしいことだとか、そういう認識がどんどんどんどん増えています。最近は外国人の人でも生活保護に対して恥ずかしいっていう人がいるんですよ。

もちろん生活保護を受けてしまうと、車に乗れないので、特に三重のようなところでは生活しづらいだとか、子どもを抱えている人、障害のある子どもを抱えている人が車をなくすということは本当に生活できないとイコールですのでね。だから車が必要だからと生活保護を諦める人もいるんですけども、そうではなく、恥ずかしいことであるっていう認識が結構広まっているんです。それで私はそんな人じゃない、生活保護を受けたいと思う人ではない、という人たちもいるんですよ。
それは違うんだと、生活保護は権利原理であると、誰もが安全な生活を営むために必要なシステムであって、必要なときは利用すればいいっていう認識をみんなで共有したいです。

外国人の場合には残念ながら権利として認められていないんです。人道的な見地から認められてはいるんですけども、権利としては認められてないんです。
よく私達の血税を外国人のために使うとは、というような言葉をよく聞きます。
しかし、日本で生活している外国人は日本人と全く同じルールに基づいて納税をしております。だから同じような行政サービスを受けてもいいと私は考えているんですね。そこも同じように外国人に対してのルールは別ではなく、日本人の納税のルールも外国人の納税のルールも同じものであるという認識もみんなが持っていただきたいなと思います。

 

困は個人の問題だけでなく社会の問題もある

課題もいっぱい見えてくるんです。でも、そういう課題を放置しなくって、何とかこうしていきたいっていう人たちがね、世の中にこんなたくさんいるんだということにも気づきました。それを応援してくださる方もたくさんいらっしゃるということにも気づいたし、とても良いことがいっぱい見えてきました。ただ、やはり私達がやってることは本来行政がやるべきことだっていう思いも強くて、早く暇になりたいなと思ってます。現実はどんどん忙しくなるんですけども、でもどうしても限りがあります。願ってます。

いろんなところでお話する機会をいただくことがあるんですけども、学校の先生たちが聞いてくださる場合には、困窮家庭の子どもたちが元気になる人権教育をぜひやってくださいっていうお話をしています。やっぱり貧困は個人の問題じゃなくて社会の問題です。そういう社会の問題であるということがわかる。それと助けてよっていうことは、自分自身と自分の大事な家族を守るための勇気のある行動だっていうことも伝えてあげたいですね。困窮家庭の子どもたちが元気で、自分の力を発揮して前を進んでいけるような、そんな教育を学校でぜひとも進めてほしいです。

頑張ってる人たちから元気をもらってるんですね。
だからそういうものを感じると止められないというか、多分そうだと思います。私が運ぶ以上のものを私がもらっているからだと思います。

 

エスペランサは、希望という意味。
人々に明るい未来が降り注ぎますように