FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年2月23日放送

今回のお客さまは、菰野町にある美術館『パラミタミュージアム』の学芸企画部長 赤川一博さんです。
仏像についてとっても詳しい方なんです。

小さな頃から漆塗りの職人であったおじいさんについて、東大寺のお坊さんのところへ頻繁に通ったり、毎年秋の正倉院展には必ず足を運び。
高校の国語の授業で出てきた法隆寺、社会の授業に出てきた大安寺を見たくなり、放課後にでかける・・・赤川さんはそんな子供だったそうです。

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■宗教的な感銘と美術的な感銘を与える仏像

もともと仏像の研究がしたいと考えており、本格的に仏像を研究し始めたのは大学に入ってから。
研究のできる就職先をと、奈良の『醍醐寺文化財研究所』へ行きました。
その後、仏像の研究ができる職種として、学芸員になろうと。
仏像のことができる職場を探した、というより行った先で強引に仏像のことを始めていました(笑)

仏像に関しては現在、戦後の国宝や重要文化財指定が非常にきっちりしてます。
国宝なのか、重要文化財でなのか、それともそれ以外であるのか・・・未調査の分はともかくとして、かなりしっかりした尺度があります。
だから仏像を観る側は、重要文化財と表記してあったら、「あ、これは良い物なんだな」ということを意識して観てほしいです。
そして、それを基準にほかの仏様を見ていくと、わかりやすいですよ。

時々国宝でないのに「良いな」と感じる仏像とがあると、これはいずれ指定になるだろうな、と考えるわけです。
行政的に決めた序列だから仏様とは関係ない、と言われるかもしれませんが、美術的に言えば、やはり一定の価値あるランク付けと思いますね。

我々は『美術』という考え方と『宗教』という考え方、それから『民族』的な見方・・・ごちゃ混ぜにしつつもある程度分けつつ、現代に至っているでしょ?
これが江戸時代以前、ヨーロッパの近代以前は、極端に言うと『美術』という概念がなかったんです。

絵画というのは絵として描かれたものであり、肖像画だったら描かれた人を検証するものだった。
その手段として『美術』が使われた。
宗教も同じで、おまいり・お祈りする対象として仏像が作られていたわけです。
そこには『美術』が介在する余地がなかった。
ところが近代になり『美術』という概念ができたために、「美術であるかないか」と分け始めたんですね。
それが今で言う、国宝や重要文化財に関わってくるんです。
だからと言って、昔のものが『美術』という意識がないから美術作品ではないのかというと、そうではありません。
素晴らしい肖像画というものは、それなりに存在感があるでしょう。

そして、祈りの対象である仏像を祈ることで、何か感じ取れるものがあったら、それは宗教的な感銘であると同時に、目に見えない・知識が及ばない・・・という意味で。美術的な感銘と同じ。
それが相乗効果となるため、素晴らしい仏像というのは、美術的にも観る人に感銘を与えるんですね。

人間というのは不思議なもので、何かを作る・何かを達成しようとする時に、徹底的に頑張るでしょ?
徹底的に頑張って、この形が良いのか、こっちの形がいいのか・・・試行錯誤を繰り返した時に「これは良いな」と感じる・・・それが美術につながっていくんですね。

だから面白いのが、素晴らしい仏像ができた時代というのは、たくさんの仏像が作られているんです。
逆にあまり仏像が作られていない時期には、良い仏像もないんですよ。


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■仏像を地域で守るのが難しくなってきた現在

かつて仏像は、信仰だから守られてきたんです。
お寺がしっかりしていて、地元の人もしっかりしていたから。
ところが最近よく耳にするのが、檀家さんが減ってきているということ。
若い人が町に出てしまい戻って来ず、檀家にならない。
そうするとお寺の収入がなくなってくので、逼迫してしまい仏像を守れなくなってしまう。
さらにお年寄りだけが残り、代が変わり、地元の人たちの関心がなくなってくると、お寺が維持できなくなってしまう。
だから良い仏像は、自治体が早めに守って行かなければならない。

しかしお寺の建物がダメになっている場合もあります。
そんな時、建物を放って、中の仏様がだけを博物館に持って行っていくのが、本当に良いことなのか。
お寺という地域の環境の中に仏像があったわけですよね。
単に『美術』という概念だけで仏像を守るのではなく、宗教的・民族的に、そこを保持してきた環境ごと守らなければならない。
しかしながら『環境』というのはあまりに漠然としていて、なかなか行政的にも手が出せない。
こういう事例がこれからどんどん増えてくると思います。

この仏像は絶対守らなきゃ、と思うことはしょっちゅうあります。

僕らの若い頃はお寺も周りもしっかりしていたので、仏像を見せてもらおうとしても、「大事な仏さんやで!」と怒られることが多々ありましたが、最近ではけっこう見せてくれるんですよ。
しかしそれは、粗雑に扱っているという、裏返しでもあるんです(苦笑)
ありがたいと言えばありがたいですけど、ちょっと困る部分もありますね。
ご住職もいなくなり、お寺を誰も管理しなくなくなったと。
誰か雇おうにも檀家さんが少なく、とても雇うお金が出せない。。。
そんな感じになってきたら、本当に仏様が、雨漏りのする中で段々朽ちていくわけです。

我々は何もできませんが、せめて文化財として指定すれば、行政の補助を受けられるというので、かなり積極的に指定を行なっています。
市町の指定に関して言えば、少なくとも平安時代という古さがあれば、どんな仏像でも指定したいのではないかと。
鎌倉時代でも、まあいいや、と。
それ以降になると、銘文あったりちょっと特殊性があったりすれば、どんどん指定しましょうということで、やってきました。


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■日本はかつて貧乏だったので、宗教にお金がかけられなかった!?

我々日本人には、近代的でキレイな建物の中に、ピカピカな仏像があるのはなじみませんよね。
それは何でかというと、日本というのが貧乏だったからなんです。
特に応仁の乱以降は、宗教にそれほどお金をかけられない時代が長かったんですよ。

江戸時代になると確かにお寺を大事にしていましたが、東南アジア、あるいは朝鮮半島のように徹底的にはやりません。
そこまで宗教にお金はかけない。空気のようなものなんですね。
お寺側も、そんなに立派にして、信者さんをウチに取り込む、ということもないんですね。

海外の仏像が何で立派なのかというと、理由は広告塔となるから。
でもそれ日本では必要ないんです。神道とうまく住み分けているので。

さらに江戸時代になると、お寺で戸籍を扱っていたこともあり、檀家制度がきっちり決まり・・・そうすると、悪い言い方になるけど、ちょっとなおざりになるんですよね(笑)
そんななおざり感が、日本人独特の『わび・さび』に結び付いていって、うらぶれた夕暮れが好きだ・・・というような感覚になっていくんですね。

これは僕の思い出なんですが、新薬師寺の戸の隙間から陽が射すんですよ、それが子供心にも美しいなと感じましてね。
そういうのはとても素晴らしいことで、我々は何百年もそれを見てきたんですね。
それが血となり肉となり、DNAに刻み込まれている。
その美しさ、風情というのは、仏像を愛する風情と同じだと思います。


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■仏像の見方と楽しみ方

僕は、地域の仏像を展示する企画展を、いろいろな博物館で行なってきました。
仏像を見に来る人というのは、仏像にもちろん興味がある人。
その人たちが自分の町の仏像にも興味を持てば、必ず大きな動きがあるはず。
たいせつな地域の文化財を守るために、展覧会を開催しているんです。

そんな仏像を見に来てくださる人のために、その観方をちょっと紹介しますね。
仏像の見方は色々あるんです。
例えば、この仏様は阿弥陀如来で、その中でも、ある場面の阿弥陀様であると。
お釈迦さんはさらにバリエーションがあるので、そういう楽しみ方も一つ。
しかしなんといっても究極の見方というのは、まず作られた時代がわかること。
さらに造形的に良い悪いがわかること。
そこまで行くと本当に楽しい!

ただ、一朝一夕にできるものではありません。
順序を踏んで、仏様の名前を知り、どういう役割を果たしているのかを知る。
そうしているウチに段々観慣れてきますから。
人間の顔でもそうですけど、見慣れるとわかってきますよね。
我々はヨーロッパ人がどこの国の人なのか区別できないけれど、彼らはわかるし、逆にアジア人は、アジア人同士なら何となく区別が付きます。

それと同じで、見慣れてくると、江戸時代や平安時代・・・仏像の作られた時代ぐらいはすぐにわかって来るんです。
そうなると楽しい。

とはいえ、あんまり数をたくさん見る必要もないし、無理に感じようとする必要もありません。
みなさん、小学校くらいの時に絵を見て、
「感じるでしょ?感じたことを書きなさい!」
と言われても困るでしょ。
それと同じ。
まずは素直な気持ちで。
あの仏さん金色やな、アバタがあるな・・・とか、そんなところから始めて。
手の形にも意味があるので、「なんであんな手の形しているんだろ」と、興味を持ったら自分で調べてみるか誰かに教えてもらう。
すると深い意味があるのを知る。
そして手の形と意味を完璧に覚えたら、例外がわかってくるんです。
そうなると調べてもわからない。
研究者にもわからないのがいっぱいある。
それが我々が行なっている研究の一つです。
今までわかっていると思っていてもわかっていないことがいっぱいある、ということを知り、次の段階へ進む、という感じですね。

ちなみに僕が三重県で一番大好きなのは、亀山の『寿音寺』にある『阿弥陀如来坐像』。
とても古くて、ひょっとしたら奈良時代かもしれない。
おそらく8世紀の仏像なんです。
相撲取りみたいにゴツくて、基本的には一木(いちぼく)で作られていて、漆の層を重ねて。
普通は木芯乾漆像と言われています。
これは素晴らしいですよ!

自分のお気に入りを探すためにも、是非、自分の町の仏様から、観に行って下さい!