FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年3月16日放送

今回のお客様は、伊賀『島ヶ原おかみさんの会』、代表理事の穂積澄子さん。
コミュニティデザイナー山崎亮さんの元で空間デザインを学ぶ大学生が、この町にインターンとしてやってきます。
穂積さんが所有する穂積製材所では、若い人たちがいろいろな作品を作っています。
穂積さんは、その若者たちのお母さん。
今日も元気なお話を聞かせていただきましょう。

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■『島ヶ原おかみさんの会』立ち上げのきっかけ

『おかみさんの会』というのはそもそも全国的にあるんですよ。
私は商工会女性部、伊賀法人会女性部会に入ってまして、東京『浅草のおかみさんの会』の富永さんや、『浜松おかみさんの会』の牧田さんなど、横のつながりがあったんですね。
その方たちから、
「穂積さん、『おかみさんの会』を立ち上げたら?」
と励まされていた折に、ちょうど市町村合併がありまして。

島ヶ原って、伊賀で一番小さい地域だったんですよ。
人口は2500人、そして一番西の端で、京都・奈良・滋賀県とのちょうど境。
ということは、三重県の西の玄関口ということ。
この玄関口をなんとかせねばならんと。
島ヶ原は上野市からも離れているし、お荷物というか・・・JR関西本線が通っていて『島ヶ原駅』もあるし、みんなもっと知っていると思っていたんですよ。
なのに仲間からも「島ヶ原ってどこにあるの?」と言われて。

市町村合併するまでは、三重県内でも数少ない『村』のひとつ。
伊賀でも唯一・・・阿山郡内でも最後まで『村』として残っていました。
でも、平成16年の市町村合併の頃には婦人会もなくなっていた状態だったんです。

ちょうど私も両親の介護もあり、法人会女性部会の役を離れていたんですが、そのときにやはり、
「何か足らんな」
と。
今まで私はいろいろな会でたくさんのイベントをしていたので、その時の『感動』を身に沁みてわかっていたんですね。
そこで、
「私は、そういう会で楽しい思いをしていたんや。これを私たちの年代くらいの島ヶ原の女性に一緒にできたら」
と、友だち何人かと発起人になって、『島ヶ原おかみさんの会』を立ち上げたんです。
それは何でかって言うと、島ヶ原が大好きだから。

島ヶ原が大好きな女性が集まって、歴史ある文化、自然豊かな島ヶ原をみんなに知らせようと。
「島ヶ原っていいとこよ!」
と、熱い思いを持って発信しようとしたのが『島ヶ原おかみさんの会』。

原点は『心』。
「明るい心、美しい心を持っていきましょう」という、おもてなしの心を原点として、会を立ち上げました。


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■『よもぎまつり』の開催

最初のイベントは、秘蔵の国、蔵開き事業に参加して行った『よもぎまつり』。

『いわがねの流れも絶えず住むかめは 知るやよもぎの島ヶ原川』とは古今和歌集の今川了俊(貞世)作なんですけども、古歌百選に謳われているんです。
島ヶ原は昔、琵琶湖の南下ということで、よもぎがいっぱいあったと。
そしたらスタッフの一人が、
「それなら『よもぎまつり』にしようよ」
ということで・・・それが5月で、初めて『おかみさんの会』が開催したおまつり。
まだNPO法人にもなっていなかったんですけど、2000人のお客様がいらっしゃいました。
場所は、現在の『やぶっちゃの湯』にあたるところ。
『よもぎまつり』が終わってから『やぶっちゃの湯』の建設工事が始まったんです。

会員100名、ボランティアスタッフ、伊賀中の女性部会の方がみんな応援に来てくれて、名張や伊賀の各商工会のみなさんも来てくださって・・・やはりみなさんのおかげですね。
お友だちやたくさんの人たちに支えられました。

『よもぎまつり』のメインのイベントは、民話の紙芝居。
島ヶ原に残る民話を紙芝居にして発表しました。
紙芝居は大きく作り、紙芝居の舞台は夫が作ってくれて、そこに、島ヶ原で活躍している絵本作家の作家の、田槙奈緒ちゃんに絵を描いてもらって。
それからオリンピックバレーボール金メダリストの中野(旧姓:岡本)眞理子さんにも来ていただきました。
さらにブースもたくさん出展!
上野商工会議所、名張商工会議所、伊賀市商工会、青山商工会・・・たくさんの方が応援に来てくださり、女性のパワーでブースが大盛況でした!

もちろん、よもぎ餅もお出しし、その時に『ほんのりちゃん(パウンドケーキ)』もご披露しました。

その後はさらに、地域の素材を使った特産品を作っています。
島ヶ原産のじゃがいも『きたあかり』と伊賀米で作った『おやきじゃがもち』、梅と酒かすがほんのり香るパウンドケーキ『ほんのりちゃん』は、どんどん改良を重ね、どんどん美味しくなっています。
そして『おかみさんの会』の拠点である『夢の道』では、日替わりのランチ『おかみさん御膳』を食べることができますよ!


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■『人づくりは村づくり 村づくりは人づくり』

『島ヶ原おかみさんの会』が運営するやすらぎ処『夢の道』。
名前は、私が『夢』という言葉が大好きなので付けました。
夢を持って前に進んでいくというのは、『おかみさんの会』をする上でも大切なこと。

このあたりは全部、穂積家の先祖から譲り受けた土地で、父は20年、『島ヶ原村』の村長を務めた人。
私も父に仕えて、いろいろしました。

「人づくりは村づくり、村づくりは人づくり」
それが20年間、ずっと父の信念でした。

はじめは私自身、選挙のマイクを持ち回りつつもまったく意味がわかりませんでしたが、そのうち、
「これはすぐにできる事じゃないな」と。
父が主人と私に遺した言葉やと思って。
私も製材をしている時は、夫の製材所を手伝っていましたけど、定年になったとき、じゃあ何をしようかな、と。
そんな時、友だちに勧められて『おかみさんの会』をはじめたりしたものの、やっぱり村づくりも人づくりもそんなすぐに出来るもんじゃない。
父が私にそれをやらせてくれたのかな、と思っています。

現在『島ヶ原木材工業』を軸として『おかみさんの会』ができ、穂積家の敷地内に『穂積製材所プロジェクト』ができ『スタジオL』もできました。
これもみんなご先祖さんのおかげやな、ご先祖さんに守ってもらっているんやな、と思っています。


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■生涯現役がモットー!

先祖から受け継いできたこの土地と、主人と私が守ってきた『穂積製材所』。
しかし息子は、考古学の道へ進みたいと。

そんな時おじいちゃんが、
「商売はいやがる人にさせたらいかん。商売はやはり、やる気のある子にさせんと」。
夢があるんだったら、商売をやめても良いと言ってくれたんですね。
その言葉にホッとしました。
けれど、この後を考えたとき、この広い土地をどうやって守っていったら良いのか・・・困り果てましたね。

それなら、おじいちゃんの言っていた『村づくり、人づくり』・・・若い子に夢を託そうと思ったんです。
私たちは段々と年を重ねて行きますからね。
そんな時、たまたま、コミュニティ・デザイナーの山崎亮先生との出会いがあったんです。
これも心からのご縁ですね。
この出会いがなかったら、今の製材所も閉めていたはずですし、機械も泣いていたと思うんです。
古い機械でもまだまだ使えます、ならばこの場所を利用して、若い子を育てていったらいいじゃないか、と。

『穂積製材所』と『スタジオL』、そして若い子が繋がったんです。

今もこうして若い子が来てくれているので、毎日が生きがいです。
若い力、パワーがあります。
そして毎日『夢の道』にも来てくれて、そのパワーをくれるので『おかみさんの会』のメンバーもルンルンです(笑)

他にも、お店に食べに来てくれるお客さん、みなさんに「ほっとする味だ」「美味しい美味しい」といってもらえると、スタッフが元気になるんですよ。
みんなに喜んでもらえるから。
「また明日も!」「また明日も!」という元気が湧く。
言ってもらうたびに、元気をもらっています。

そんな、若い人やお客さんのおかげか、会のみなさんも年齢を感じさせないですね!
だから私はこの頃、『生涯現役』をメンバーのみなさんに言ってるんです。
「もう年やからやめやな」
と言うメンバーがいたら、
「何言っとんの!『生涯現役』で、わたしがしている間は、みんな頑張ろうな」って。

何かをしようと考えたら『おかみさんの会』では何でもできるんですよ。
なにしろ9つの班に分かれているので、どこかの班で何かができます。
みんなが知恵を持っているんです。
現在55名の会員、一人ひとりに良い才能があります。
モノづくりができる人、ケーキを焼ける人、お料理できる人、畑仕事をできる人・・・みんながそれぞれ才能を持っているので、それを生かした班に入ってもらって、そこで活躍してもらっています。

イベントが好きな人はイベント班、企画広報が好きな人はそちらへ。
紙芝居好きな人はそちらへ。
紙芝居も今は、何作も持っているんですよ。
松尾芭蕉、藤堂高虎・・・服部半蔵は現在製作中。
7~8人のスタッフがひとつの紙芝居を作っているんです。
もう、音響からBGM、みんなおかみさんがしていて。
凝り性の方が多いので、スゴイですよ(笑)