FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年3月23日放送

今回のお客様は、尾鷲漁業協同組合・早田支所の湯浅光太さん。
65歳以上の方が60%を超える『限界集落』となっている尾鷲市早田地区では、集落の存続に向け、官・民・学が連携して、早田の町を活性化する事業に取り組んでいます。

湯浅さんはUターンでこの町にやってきました。
大学卒業後名古屋で就職、その後結婚。
そして、お子さんが生まれました。
そのとき、この都会でどうやって子育てをするのだろう。
自分と同じように、自然の中で育てたい。その想いが強くなりました。
そのほかにも帰ってこなくてはならない問題がいくつかあり、故郷での生活が始まりました。

130318_200751

■早田らしくいつまでも残り続けるために

尾鷲の輪内地区は、リアス式海岸に沿って、いくつかの集落があります。
その中の1つが早田。
路地がせまく屋根がひしめきあっていて、とても懐かしい気持ちになれる場所ですよ。

僕は県の『ふるさと雇用再生事業』ということで、尾鷲漁協組合の早田支部に入りました。
漁協の仕事も覚えてほしいし、活性化をして欲しいというのが、入った経緯です。
最初は知識もないままでしたが、区長さんが町をなんとかしたいと熱心に動いていて、その話を聞いていると、早田はこのまま放おっておくと、本当に人がいなくなってしまうと。
それを阻止するためにはどうしたら良いかを、考えはじめました。

大事なのは、早田が早田らしく残っていくこと。
早田は漁師町として発展してきて、今も漁師町です。
ちゃんと『魚』を主に、大型定置網という主幹産業を残すということで、生き残っていきたい。
そしてそれを子どもや孫に残し、伝えて行くということを活性化の軸にしようと思っています。

しかし漁業は第一次産業ということで、担い手や後継者が減っているのが現状です。
そこで数年前から尾鷲市で『漁業体験実習』というのを行っています。
今、本気で漁師なりたいという、やる気のある子が、3年続けて通ってきてくれています。
そのまま早田に定着してくれまして。

そういう取り組みと話し合いの中から生まれたのが、『早田漁師塾』。
今年度からスタートしました。

一ヶ月間早田に住んで、大型定置網、小型定置網、刺し網、釣りを実習で学び、さらに座学。
座学では、三重の漁業についての知識や魚の捌き方を学びます。
漁師町に住んでいたら、自分で釣った魚は自分で捌けないといけませんので。

漁村である早田に住んで、漁村の雰囲気を学び、漁業を学ぶ。

都会には『ニート』と呼ばれる、職のない若者がいますが、中には本気で漁師になりたい人もいると思うんです。
でも、どうやって漁師になっていいかがわからない。
一方、浦々は担い手不足でどんどん高齢化しているので、そういう状況をつなぐ塾になればということで、始めました。
『早田漁師塾』には、2人入塾して、そのうち1人は早田大敷漁の長期研修生として今でもがんばってくれています。

学べる水産学校はあっても、漁村の雰囲気までは学ぶのはこれまで三重県内でなかったので、早田が先駆けとなって、各浦々でこういう取組が注目されれば良いな、と思います。


3-23-2

■よそから来た人に優しい『早田』地区

早田という土地柄か、外から来た人に優しいですね。
塾生の男の子が一人で借家に住んでいると、隣のおばちゃんたちがおかずを持って来てくれたりとか・・・しかも、両隣のおばちゃんがバッティングして食べきれない量が来たり(笑)
なんとか、この子たちに町に馴染んでほしい、困ったことはないかな・・・と、町ぐるみで面倒を見てくれる人たちがいるんです。
そういうとこが早田のいいところですよね。
町にお世話になったから残ろう、という子もいます。
若者が入るっていうのは、本当に良い傾向です。

第一次産業の中でも、水産業は若者の就業率が増えたと聞いたことがあります。
かつて僕が自然の中に帰りたいと思ったように、若者たちの中にもそういう気持ちがあるのかもしれませんね。
今年体験で入った大阪の子の、義理のお兄さんが大阪でプログラマーをしていたんですけど、漁師になりたいと早田へ。
まったく違う世界から来たんですよ。
大阪での仕事は疲れる・・・自然のそばで漁師でいたいな、と思ったそうです。

その人は奥さんと赤ちゃんを連れてきてくれたので、そりゃもう、早田のおじちゃんおばちゃんたちは、自分の孫を見るように喜んでいます。
もう『町の子』ですよね。


3-23-3

■定置網、刺し網漁について

ある決まった場所に網を仕掛けておいて、そこに魚が入ってきます。
餌をまいて釣って来るのではなく、海の中に網があって、そこに魚が入ってくる。
網は魚が逃げられないような構造になっているので、決まった時間に揚げに行き、市場に帰って来ます。
これが『大型定置網』、別名『大敷』です。

沖の方の、魚の通り道だと思われるところに、昔から仕掛けていて、毎日仕掛けて揚げる。
場所は漁業権の関係で決まっているので、決められた海域で行います。
入る日と入らない日があるのは、お魚次第と、潮次第ですね。
例えばブリは水温が14~15℃くらいになると網にかかってくるんです。
なので、そのあたりの水温になってくると、町全体でも楽しみになりますね。

他の漁としてあるのは『刺し網漁』
メインは伊勢海老です。
網で壁みたいなのを作って底まで沈め、そこに海老が引っかかって動けなくなるのを揚げて。
伊勢海老はけっこう動くんですよ。
ただ、昼間はやっぱり出て来ず、夜にエサを求めて動きまわり、移動する際に網に引っかかるんですね。
こちらも漁場の関係もありますが、網の向きや時期などに関しては名人がいるので、その人の意見を参考にしつつ、網を沈めます。


3-23-4

■陸の孤島だったからこそ郷土料理が伝えられてきた

早田は長らく陸の孤島で、バスが開通するのもとても遅かったんです。
なので食文化が面白いんですよ。
結婚式などがあっても、よその地域から仕出し弁当が取れないので、近所の人が集まって、助け合いでみんなで作っていたんです。
紀州の地域では、サンマ寿司が名物ですが、ここでは、アジのお寿司。
晴れの日の魚はアジ。
他にもトビウオを使った『おぼろ』、イサキとイカの身を擂り鉢で擦って、それを焼いて蒸した『あつやき』なんてのもありました。
刺身から寿司から料理から、デザートの羊羹まで作りますからね。

交通の便が良くなった今でも、「あのおばちゃんの作る羊羹は美味しい」みたいなのがありますよ。
それから、『おぼろ』は手が込んでいるので、売ったら高くなるでしょうね。
僕らはその価値を知っているので、2倍美味しく感じます。
それを日常的に作っているおばちゃんからしたら、「当たり前のことやん」と言われますが、僕らからすれば、「いや、それはすごいことなんだよ」と言いたいですね。

交通の便が良くなっても、こういった郷土の味は守り続けたいです。