FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年4月6日放送

今回のお客様は『桑名市文化財保護審議会』会長の西羽晃さんです。
西羽さんは神戸生まれ。
子供のころ、お父さんの仕事の関係で桑名に引っ越してきました。
それからずっと、桑名の町を見続けてきました。
「こんなに住みよい町はないよ」と笑顔でおっしゃいます。

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■桑名の成り立ちと町人の文化

もともとも桑名市の中心部はお城の近辺で、そこが桑名町。
現在桑名駅がある場所はかつて『大山田村』と呼ばれており、本当に町の外れで、何もない田んぼの中。
それが、駅ができてから発展してきたので、町にしようということで『西桑名町』と名前が付いたんです
それで『桑名町』と『西桑名町』が出来て、北勢線の駅の『西桑名』となった。
もともとはあそこも『大山田駅』だったんですよ。

桑名というと、お城があって殿様がいて何万石で・・・そういうことを語られる人が多いんですけど、私にとっては大きな関心事ではありません。

私が好きなのは、桑名が『町衆』の街だということ。
町民の町で、殿様よりも町民の方が実力があったんです。
桑名の町は江戸時代は東海道が通っており、旅人を相手に商売をしていたでしょ。
それと木曽三川という大きな川があって、それが物流の大動脈となっていた。
そういうことで、桑名の町の人たちは商売をして、お金を儲けていたんですよ。

明治時代の中心となるのが、諸戸さんという大富豪。
この人は本当に努力家で一代で財産を築いたんですが、その人の住宅が『諸戸家住宅』となって、今も残っています。
建物は江戸時代の山田彦左衛門という豪商が建てたものを、明治時代になって諸戸さんが買い取って。
毎年、春と秋に公開しています。
今年も4月の終わりから公開するんじゃないかな。

有名な『六華苑』とはお隣なんです。
六華苑は常時一般公開していますけど、私はそれより古、和風建築の諸戸邸が好きです。
諸戸邸にも一部、大正時代に増築した洋室部分がありますが、六華苑よりずっと良いですね。


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■石取祭は桑名の勢い
日本一やかましいといわれる『石取祭』は、桑名の人の心意気。
鉦や太鼓がにぎやかに祭りを盛り上げます。
これは本当に町衆が力を合わせています。
どうして桑名にそんなにパワーがあったのかというと、やはり商売をして経済力があったから。
そしてお祭りに関しては完全に町衆の自治で町が仕切ってきました。
お殿様からお金をもらってきたとか、一切ありませんよ!

もちろん今でもそうです!

昔も今も、お祭りにはケンカがつきものですよね、お酒も飲むし。
そういった揉め事にも、現在でも警察は一切入りません。
自分たちで、解決します。

ただ、お客さんなどの外部の人に障害を与えたら、警察を呼びますよ。

けれど、自分たち同士でのケンカで怪我しようが、それは自分たちで解決。
祭りの時の町衆のルールで、それが今でも生きています。


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■多度町にある『コクゾッサン』の絵馬がすごい!

多度町に養老線という、桑名から大垣へ行く電車が走っています。
多度の一つ手前に『下野代』という無人駅があるんですが、そのすぐ脇に能代の『虚空蔵寺(コクゾッサン)』(現在の名前は『徳蓮寺』)では『虚空蔵菩薩』をお祀りしています。
ご開帳するのは20年に1回くらいかなあ。
とても貴重なものです。

その御聖堂に、ぎっしり絵馬が掛かっているんです。
願掛けの、よくある受験のとかですね。
江戸時代から昭和にかけてのものが、ズラズラっと掛かっていて、壮観です!
ここはあまり知られていませんが、面白いですよ。

ここは地震の神様とも言われていまして、ナマズの絵がたくさんある。
地震よけのお願いも多いですが、まあ、それに限らず、いろんな願掛けがされていますよ。
盃を割って禁酒を誓うとか、女性問題で悩んでいる人は夫婦円満で他の女性に手を出しません・・・とかね、そんな願掛けもあるんですよ(笑)


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■戦争を知っている人がいるうちに、次の世代へ残すものを作らなければ

歴史や文化を次の世代に伝えるために、僕たちは様々な活動を続けています。
『桑名の戦争遺跡』という本を作ったこともその活動の1つ。
これは、戦争を知っている人がまだ残っている、今やらなければいけないことです。

一例ですが、国道1号線にかかっている『伊勢大橋』に、アメリカ軍が飛行機から打ち込んだ弾痕の跡が残っているんです。
私も人から聞いて観に行ったくらいなので、普通の人は気づかないでしょうね。
川の中から不発弾が、なんていう話もありました。

もうすぐ戦争が終わって75年・・・こういうのもちゃんと残していかないと、記憶の底に埋もれてしまいます。

残すのは写真と解説と場所。

アメリカの飛行機が撃ち落され長島に落ちてきたのを見た人がいると聞き、その目撃談を今のうちに聞いておかないと、わからんようになると思って会いに行きました。
本の最後の方に載せています。

よく言われるのは、桑名は空襲で焼けて資料がなくなったと。
伊勢湾台風で流されてなくなったと。
確かにそのとおりなんですけど、そういう資料は、私の信念によると、探せばどこからか出てくるんです。
桑名になくても、どこか他の場所に必ずある!
交流の街だったからこそ、桑名から出て行った資料もあるはずでしょう。
時々、そういう資料が里帰りしてくることがあります。
だから『求めれば必ず出てくる』というのが、私の信念。

そして不思議と、次から次へと頭の中に「これ調べると面白いんじゃないか」というのが出てくるんですよ。
そうなるとやることがまだまだあります。
いつまで自分の命が続くのかな(笑)