FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年4月13日放送

今回のお客様は鳥羽市の離島『答志島』で、離島ならではの素朴な旅をプロデュースしている『島の旅社』の濱口ちづるさん。

春はキスやメバル、夏はアワビ、ウニ、秋から冬の季節は伊勢海老、タコ、コウナゴ、牡蠣。
答志島の港はいつも豊かな海の幸が水揚げされ、活気にあふれています。
人口はおよそ2500人。
昔からの風習や文化を今でも大切に守っている島です。

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■誰かが魚を冷蔵庫に入れてくれる!自然なご近所付き合い

島を案内したりするときには、お客さんに「家に鍵をかけないんですよ」というと、「ええ、大丈夫ですか?」と返ってくるんですよ。
でも、盗られるものが何もないし、近所の人が可哀想にと、冷蔵庫に魚を入れといてくれる。
そのためにも開けておかないとならない。
・・・と、そんな話をすると笑いを取れるんですよ。
いただきです(笑)

でも実は本当にそうなんです。
流し台に釣れた魚が置いてあったり。
誰がくれたかわからない魚も、私はだいぶ飲み込んでいるんです(笑)

盗られることがあっても、入れていってくれる方が多いので、心配いりません(笑)
でもお礼を言わなきゃならないので、その犯人は探さないと。
『お返し』は望まれていません。
「多いからあげるわ」「こんなにウチでは食べきれないわ」的なイメージのおすそわけだから。
今度ウチになんかが多く来たら差し入れようと思うけど、もらったから急に何かお返しするってのはないですね。
「~してあげないと」というのがあまりないので、案外気楽です。
そのかわり、子どもが生まれたとか『初幟』だとかいうと、ドォ~ッとみんなで!

イベントの時は思いっきりして、普段は気負わない、形から入らない近所付き合いができているので、この歳になると、めっちゃ住みやすいですね、ここは。


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■海女小屋は女子会(笑)

答志には150人ほどの海女さんがいます。
夫婦で漁に出るのが『ふなど海女』で、自分で船を出して漁へいくのが『かちど海女』。
私は『かちど海女』です。

初めてアワビを獲ったのは小学校5年生のとき。
親が海女さんだったり、漁など海で仕事をしていたので、私たちは海で遊んでいましたから。
自然に潜っていたんですね。
泳げるようになったのが小学校に入る前で、潜りもやっぱり小学校に入る前。
一緒なんです。

海女業は大変ですけど、もともと『獲る』っていう作業はすごい充実感があるので、楽しいです。
もちろん充実感とかお金になるというのもあるんですけど、それより一生懸命働いた後、食べるご飯って美味しいじゃないですか。
その上、食べる場所が今風に言うなら『女子会』なんですよ。海女小屋は。
女子トーク。
恋バナももちろんあります。
自分の『モテ期』の武勇伝とか。
私の海女小屋は80代くらいから、私くらいのピチピチな世代・・・幅が30歳くらいある中で、トークが弾むんです。
堅い話になると『技術』を教えてもらえるいい場所。
80歳を超えた先輩海女さんたちから、潮の流れや風の向き魚場のことなどたくさんのことを教えてもらっています。

他にも『女子会』は楽しいですよ。
例えば私が今日、おにぎりと佃煮だけしか持ってきていないと、他の人の漬物とかおかずとか・・・みんな交換で、ランチミーティングみたいになるんです。
干物とか持ってきて焼いて食べたり、掘った芋を焼いたり、搗いた餅を焼いたり、採った貝に傷つけてもうたから、これも焼いちゃおうとか(笑)

そういう中で、今まで経験した話をしたり、今度の祭りではの仮装の話が出たり・・・真面目な話とおちゃらけな部分が混在しているんですね。


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■今も残る『寝屋子制度』

『寝屋子制度』というのは、男の子が中学を卒業すると、数名で信頼のおける人の家の一部屋を借り、寝泊りをする風習なんですが、今や日本でも答志島の答志地区にしか残っていません。

その家の両親が『寝屋親』。
寝屋子と寝屋親は仮の親子なんですが、一度縁を結ぶと一生続くんですよ。
寝屋子自体は、だいたい10年間、その家に寝泊まりします。
寝屋子をするときに寝屋親の家に持っていくのは、布団と枕。

昔は中学卒業したら漁師さんになるだけなので、自分で布団持って、「お願いしま~す」って行っていたんですが、今は高校があったりクラブがあったり忙しいので、良い日柄を見て、親がお布団を持ってお願いしに行くんです。
寝屋子のために、ちゃんと一部屋開けてくれてあって・・・私の息子の時は6人でしたね。
高校になると週末に行ったり、盆や正月やまつりの時に寝屋子でみんなで集まって。
私の夫の時代は、毎日寝屋子に行って、お酒を飲む場所も寝屋子で。
でも食事は自宅で食べて、お風呂も入って、それから寝屋子へ行く。
寝屋子のお父さんたちの前に座って、世間話や、答志の決まりごとや祭りのことなどを教えてもらうんです。
「お前らなあ、何かあったらまっさきに駆けつけないかん。寝屋子はそういうもんなんだ」ということを徐々に学んでいくんです。

それから、親に言えない悩み事や、父親にも聞けないことなどを、第三者の目というか『第二の親』の気持ちになって、接します。
「こんな時に漁に行っていて困ったよ」
「そんな時はこうすりゃいいんだ」
みたいな、人生の先輩として、いろいろ教えてくれるんです。
寝屋子は寝屋親を、自分の親と同じで一生大事にしていくし、何かあったら力になります。
もちろん寝屋親も、寝屋子のために力を尽くします。

ただし、もしもどこかの寝屋子が悪いことをしたら、「あそこの寝屋子は・・・」と言われますよ。
昔の『五人組』じゃないですけど、全体責任みたいになるんですね。
嫌な部分もあるんですが、ある意味、看板を背負っている感じ。
『◯◯寝屋子』って呼ばれますからね。「あの子、どこの寝屋子?」みたいな。
名前が決まっていて、その名前で信用されることもある。
さらに「あの子と一緒なら◯年やな」とか、年代までわかっちゃう。
そりゃあ親密になりますよね。


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■『島の旅社』の活動

島の細い路地にはいろんな物語があるんです。
家の入り口を見ても、注連縄だったり、節分の時には柊にメザシを刺したり。
これは鬼が生臭いのを嫌うからだそうです。

それから、松飾りの代わりに、答志では独特の飾りをするんです。
良かったら実際に見に来て下さい。

入り口だけでも1時間くらい語れるほど、面白い風習や、昔の日本では見たけど今は見ないなあ、というようなのがたくさん残っているんです。
島ならではというか。
そういうのを見ていただいて・・・つまりは人んちを見て回っているんですが(笑)
島の人たちは、
「なんや~また回っとるんか~」
「何見に来たんや、なんにもないのに」
と声をかけてくれますよ。
食べるものを扱う仕事をしている最中だったりすると、「これ食べるか」とかあったり。

実際『島の旅社』でも『つまみ食いツアー』と称し、実際に島で採れたものを味わって歩くというプランがあります。
これは好評で、お客様も大満足して帰っていただいています。

他には、島の特殊な生活習慣として『西泉(にしご)の井戸』というのがあります。
これは答志島で唯一の真水の井戸で、生まれた時に浸かる『産湯』と、人が亡くなるときの『末期の水』をそこに汲みに行くことになっているんです。

答志島は、そういう不思議がたくさんあり、島全体が面白い、迷路のような島。
なので子どもたちにはスタンプラリーなどを開催し、修学旅行生を体験学習で受け入れたりもしています。

去年、鳥羽市の離島4島(坂手島・菅島・神島・答志島)が『島遺産』に認定され、『島遺産百選』が決まりました。
そこで今年からは、島遺産をみなさんに紹介していくという目標で取り組んでいます。

島に来た人が癒されたり、昔懐かしい雰囲気を味わってもらうとともに、島の人も「自分たちが住んでるのはいいところなんだ」と感じられるように、努力していきたいですね。