FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年4月20日放送

今回のお客様は、ふるさと・いなべ市の語り部 伊藤忠さんです。
いなべは、田舎だから昔のことはいっぱい残っているんです。
400年前の道路の原型や古墳、城跡・・・。

そして田園をゆっくりと走る電車。
これもいなべの光景です。
員弁町、北勢町に行くなら西桑名の駅から北勢線へ
大安町、藤原町へは、近鉄富田の駅から三岐線へ
いなべ市へ行くなら、三岐鉄道はぜひとも乗ってもらいたいですね。

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■伊勢と美濃を結ぶ道路が文化の交流、発展を作った!

桑名から東海道と中仙道の関が原を結ぶ『濃州道』が通っていたので、阿下喜は昔から宿屋や商店があり、栄えていました。
その道を使った、北陸との交流もありましたし。
『濃州道』の『濃』は美濃の『濃』。
桑名から見ると『濃州道』、伊勢から見ると『勢州道』と、名前が変わるんですよ。

阿下喜はもともと北勢町で『員弁郡』でした。
『いなべ』の意味・・・六百四十何年の頃は『猪(い)』に『名』『部』で『いなべ』だったそうです。
今でも『猪名部神社』として名前が残っています。
しかし、今から1300年ほど前に当時の国の政策で、『2文字の名前にするよう』とのお触れがあり、和銅6年、今の『員弁』に変わったそうです。
その時には、日本中の地名が変わったということです。


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■いなべ市・北勢町を調べることで『語り部』に!

私は62歳まで、鋳造用の金型を作っていました。
桑名の地場産業のひとつですね。
図面も引くし、今の三次元の機械も使っていました。

その経験が、現在の町を調べる仕事に生かされている部分もありますね。
設計図を見たりとか。

13年前にあるタレントさんが北勢線に乗ってやって来た時、
「いなべにはなんにもない。山と田んぼしかない」
と言われたんです。
そこでタクシーの運転手さんに「何かいいとこあるか」と尋ねたら、やはり「何にもない」と言われまして。
何もないはずないだろう、と思い、色々と調べはじめたんです。

最初の頃、鈴鹿山脈の山懐から、桑名市に向かって水を流すための設計を調べ始めたら面白くて。
見晴らしの良い石・・・ちょうどいなべ高校の前に立って向こうの山を見渡して、どこで設計すると一番良いかを、自分なりに調べてみたんですよ。
設計した当時は、藩命により大きな全部切られてしまうため、400年以上立っている木が一本もないことに着目しました。
オオダの入り口から昔の桑名・・・大仲新田まで設計するためには見晴らせるところが必要なので、ああ、おそらくここか、と。
調べている最中は向こうの山に行き、こっちの山に行き・・・それが面白くてのめり込み、今はこうしていなべについて語る『語り部』になったわけです。



■いなべの言葉の研究

私が語り部を始めたのは58歳のとき。
調べたことを、いろんな人とたくさんお話をしたくてね。
ネットで調べたり、気になったこと、わからないことは大学の先生に聞いたり・・・。
その時間がとっても楽しいね。

平成の大合併で4つの町が集まって『いなべ市』が誕生し、7人だった語り部のメンバーも今は21人に増えました。
いなべの広報誌の中にある『いなべ通(つう)』というコーナーは、語り部の会のメンバーが交代で書いているんですよ。
これは、いなべの人たちだけでなく、全国の人に向けて、いなべのいいことを紹介しています。

私たちが今一番力を入れて研究しているのは、いなべの言葉、言い回し。
『いなべ通』が第80回を迎えた今回、これからいなべの言葉を載せていきますよ、ということを挨拶として書いた。
来月号から、いなべの言葉を2年間連載していく予定です。

狭い地域だけで使われている言葉や、鈴鹿や伊勢でも使う言葉、名古屋でも使う言葉・・・などなど、いろいろあります。
なるべくこの地域に限定したいと思っていますが、言葉というのは飛び歩くこともあるんです。
特に美濃の方の言葉がこちらで使われることがありますね。

道で繋がっているからという考え方もありますが、飛び方を見ると、お寺の関係で繋がっている可能性もあります。

『言葉の飛び方』として一番わかりやすいのは『へいを回せ』という言葉。
これは向きを変えることを指す言葉で、『へい』というのは船の舳先。
要は『舳先を回せ』ということ。
昔はリヤカーを、さらに昔は川船を回すときに使ったんですね。
普通は海で使う『船言葉』が残っているのが不思議でしょう。



■いなべのおすすめ

私は自慢するたちなので、『日本で一番古い』『日本でココしかない』というのを紹介したくなるんですよ。
まず1つは、笠田新田ある日時計、『刻限日陰石』。
昔は、水の分配でケンカがあり亡くなった方もいたそうで、江戸時代の半ば、庄屋さんが時間で水の分配をするために作ったとのこと。
それが今もちゃんと残っている。
日本で一番古い、灌漑用の日時計です。

2つめ大安町にある『片樋のまんぼ』。
これは灌漑用の地下水路で、長さが1km以上に及んでいて、今も使われているんです。

3つめはコンクリートブロックの『ねじり橋』。
正式名称は『六把野井水拱橋』といいまして、ブロックがねじれたように積まれていて、美しいんですよ。

いなべに来てもらったら、この3つはを回りながら、円空さんの仏様などもがあるお寺さんなどを観てもらうのがオススメです。
紅葉の頃の、藤原町の聖宝寺も忘れちゃいけませんよ。

そして北勢町を訪れた折には、私が館長の『まちかど博物館・員弁川石の館』ものぞいてくださいね。