FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年7月20日放送

能楽の大成者として知られる観阿弥。
その観阿弥が一座の旗揚げをした場所が、奈良県との境にある名張市小波田(おばた)地区。
ここにはすばらしい能舞台があります。
以前は薪能が行われ、現在は狂言などが披露されています。
そんな、伝統と文化の街・名張の歴史を解きほぐしてみましょう。

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今回お話をうかがったのは、名張市教育委員会理事の門田了三さん。
名張のみなさんの文化振興のお手伝いをされています。
ご出身は愛媛県砥部町、育ちは大阪府八尾市、そして今はここ名張に在住。

「名張の歴史は実に面白く、興味を持たれている方もいっぱいいるんですよ」
と門田さん。

名張の歴史と文化などについてお話していただきました。


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名張は現在、大阪や奈良のベッドタウンとして83000人の方が住んでいます。
うち、53000人がほかに地域からの転住者ということが、それを如実に表していますね。

またここは東を西を分ける結界ともなっているんですよ。
それを表すものとして、名張に蛭子神社では2月の7,8日に『八日戎』という市が立つのですが、そこでの名物が『ハマグリ』なんです。
山の中なのに不思議でしょう?

もともと蛭子神社には倭姫の伝承がありまして、倭姫が天照を従えて伊勢の地に赴くまでに諸国を回ったのですが、その時に名張の市来宮に滞在したんですね。
この宮は『市(いち)』を守る神社だったので、その話のできた鎌倉時代には、すでに市があったことがわかります。
初瀬街道自体が参宮街道であり、名張が東の国と西の国の境という結界的な意味を持っていたため、山の幸と海の幸の交換場所になったのではと考えられています。
名張からは『植木』を出したようですが『植木市』が廃れてしまい、今はハマグリしか残っていません。

初瀬街道には古い町屋も残っていますし、現在『やなせ宿』という古い町屋を復元いたしまして、観光スポットの案内所としてオープンしていますので、ぜひ街中散策を楽しんでいただいて、また、用水路の水の流れをごらんいただければ、と思います。


■旧細川邸やなせ宿

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旧細川邸は、虫籠窓や袖卯達、つし二階を備える典型的な町屋。
これを改装した『やなせ宿』は、観光案内や地域住民の交流のためのスペースです。
観光情報の提供や地場物産等の紹介を行うのはもちろん、名張市の文化や伝統を紹介したり、来館者の皆様がもう一度行きたいと思っていただけるような憩いのスペースを目指しています


基本情報はこちら旧細川邸やなせ宿





名張市を紹介するキャッチフレーズの中に『万葉の昔から』という部分があります。
これは万葉集の中で、
『我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の隠(なばり)の山を今日か越ゆらむ』
と謳われているからなんです。
それほど昔からあった地域なんですね。
この歌で。名張の枕詞として『沖つ藻』という言葉が使われていることから、名張では『沖つ藻』という言葉自体が一つのブランドになり、現在では商品名などにも使われています。

また、名張の表記が万葉集では『隠』の一文字で『なばり』と読ませていますね。
『隠』=『忍者』で忍びに結びつきます。
もともと『伊賀忍者』は伊賀だけでなく名張も地域に入っていますので、赤目滝などの山岳仏教や修験道とともに発展していったんでしょう。

現在ではその『隠』という字を使い、秋に名張の街中で『隠街道市』というのを開催しています。
この『隠』ということばが現代、非常に復活していまして、『隠のお菓子』などいろいろなものに使ってもらっています。

また、名張市は江戸川乱歩が生まれたところでもあるんですね。
名張駅の東口には、江戸川乱歩の全身像があります。
『ひやわい』と呼ばれる細い路地に入ると乱歩の生誕地。
わくわくしながら町をゆっくり歩いてくださいね。
いろんな発見があります。
隠された秘密を1つ1つ見つけながら名張を楽しみましょう。


■赤目四十八滝

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赤目四十八滝は、滝川の清らかな流れと深い森がつくる深山幽谷。
滝をつなぐ約4Kmの回遊路は遊歩道となっていて、桜、新緑、紅葉と四季折々の鮮やかな風景の中、滝を望むことができます。
「平成の名水百選」「日本の滝百選」「森林浴の森百選」「遊歩百選」にも選ばれ、ハイキングや散策、森林浴など、さまざまに自然を楽しむことができます。


基本情報はこちら赤目四十八滝


■江戸川乱歩でめぐる、旧「隠(なばり)町

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江戸川乱歩が生まれた名張市(旧)隠(なばり)町は、昔ながらの名張を感じることができるところです。
乱歩ゆかりのスポットをめぐりながら、名張の文化や風情やグルメを楽しめますよ!

基本情報はこちら江戸川乱歩でめぐる、旧「隠(なばり)町




名張は伊勢神宮から遠く離れていますが、意外にも関係が深いんですよ。

天皇に代わって伊勢神宮をお祀りするために、天皇家の未婚の女性や内親王などが『斎王』として選ばれ、斎宮におりました。
現在まで、63人の斎王が選ばれて、51人が斎宮にいらしたことがわかっています。
その初代と言われているのが、大来皇女という天武天皇の次女。
その大来皇女が、名張にお寺を作っていたのです。
それがおそらく『昌福寺』と呼ばれていたお寺で、現在、『夏見廃寺』という史跡となったのだろうと言われています。

もともと『夏見廃寺』のある夏見地区は、多くの斎王さんの領地があったと知られていて、大来皇女の次に斎王となった『託基親王』、平安時代に桓武天皇の后となる『酒人内親王』、それらの領地が名張にあったということで、名張は神宮にとって縁の深い場所なんですね。

また、名張川の一部の流域は、伊勢神宮の所領になっていて、そこで採れた野菜や鮎などが神宮に朝貢されていたそうです。
そういう意味で神宮とは離れていても関係が深かった場所かな、と思っています。


■伊賀・隠史サイエンス舎

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伊賀名張に関係する歴史、文化などについての史跡史料を学習・再検証してきた成果をもとに、夏見廃寺の時代に使用されていた伎楽器などの復元や、伊賀の史跡観光への活用に取り組むことで、歴史に学ぶまちおこしに貢献していきます。

基本情報はこちら伊賀・隠史サイエンス舎




歴史の深い名張市には、古墳や史跡も多く、中でも国の史跡に指定されている『美旗古墳群』は非常に珍しく、5つの前方後円墳からできています。
これが1世代1つの古墳で、1つあたり20~25年間隔で作られている、非常に行儀の良い古墳なんです。
その時代は兄弟で相続というのが多かったのですが、これらは順番よく、親から子、子から孫へと親子関係で相続が行われていったんですね。
4番目に作られた『馬塚古墳』は全長が142mで、三重県で2番めに大きさ。
『殿塚』から始まって『貴人塚』まで5つの前方後円墳が固まっているのは、県内でも非常に珍しい。
おそらく継続して力を持ち続けた首長・・・伊賀氏という豪族だと思うのですが、その興亡にふさわしい古墳群ですね。

当時の都である奈良から近かったため、大王と同じ墓を作れないように、いろいろ高さなどの制限があったようですが、それでもそこそこの大きさの墓を作らせてもらった。
勢力地ですから大王の影響を受けた古墳だな、ということがわかります。




歴史や文化を学んだ後は、ちょっと足を伸ばして小トリップ!

■ちょいまるカフェ

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メニューはすべて、無添加で手作り。
テーブルや椅子は廃材を再利用。
名張の商店街にある、築100年の古民家を利用した、自然と人に優しいカフェです。


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定食は【梅】【竹】【松】の3種類あり、可能な限り地元産の食材を使うのがコンセプト。
ご飯は名張産の黒米入りで、他の料理も名張の自然を味わえるものばかりです。

予約すれば、バームクーヘンづくりも体験できますよ!

基本情報はこちらちょいまるカフェ



■青蓮寺湖観光村

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名張市で食べ放題のおいしいぶどう狩り・いちご狩りなら青蓮寺湖観光村へ!
7月20日からはぶどう狩りがスタート!
時間制限なしで、食べ放題です!

基本情報はこちら青蓮寺湖観光村