FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年12月28日放送

今回のお客様は、『尾鷲神社』の宮司、加藤守朗さんです。
毎年2月1日から5日にかけて行われる奇祭『ヤーヤ祭り』の舞台となるのが尾鷲神社です。
境内には樹齢1000年以上といわれる大きな楠の木があり、普段はとっても静かな場所です。
その尾鷲神社で宮司を勤めていらっしゃる加藤守朗宮司は、尾鷲に住んで10年になるそうです。

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■神職についてから25年。尾鷲にきてから10年

私はもともと、生まれも育ちも横浜市です。
最初から神主を目指していたわけではなく、青少年育成事業とか教育方面の仕事に就きたかったんです。
しかし学校の教師はちょっと自分の志と違うと思い、中山間地に都会の子どもを集めていろんな野外活動をさせる『山村留学』の指導員をしていました。

夏は北アルプス登山、カヌーやヨット、冬はスキー、炭焼き体験・・・作物は田植えからスタートして・・・といろいろしました。
そして自分が何をしたいのかをもう一度考えた時に、神職の資格を取ろうと思ったのです。
25年前に伊勢の二見神社に来て神職をしていたところ、ご縁があり、前の宮司さんから尾鷲神社の宮司をしないかとお誘いを受けたので、こちらに来させもらいました。

尾鷲という町の最初の印象は、みなさんざっくばらんで、気軽に声をかけてくださるな、と。
地方に行った際、出身が横浜というと、遠慮がちに話しかけて来る方が多いんですけど、そんなことなく、気さくに話しかけてもらって。
私もそのほうが好きなので、すぐにみなさんと仲良くなれ、とけ込めました。
良い町ですね。

年末の今は、神社総代さんや氏子総代さんに協力してもらい、お正月のしめ縄づくりをしています。
尾鷲神社の大楠に40mほどの長いしめ縄をぐるりと巻き、本殿の上にある『親楠』と呼ばれる大きな楠にも15m〜20mの太いしめ縄を垂らすのですが、それを毎年作っていただいているんです。
本当にみなさん協力的で、ありがたいですね。

町中にある神社としては、ご本殿からはじまり、非常に大きい神社です。
最初来たとき、「こんな町中にあるのに大きな木があるとは立派だ」と思いました。
尾鷲の人たちにどれだけ大切にされて来たかの証だな、と思い、毎日奉仕させていただいています。

この地方の言葉は荒いと言われることもありますが、それも親近感の証しではないでしょうか。
尾鷲の町の雰囲気、文化が好きなので、それを残していきたいです。


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■尾鷲神社が祀っているのは須佐之男命(スサノオノミコト)

尾鷲神社の神様は、山も海もみんな一緒にお守りしていました。
そういう意味では『ヤーヤー祭り』は海の大漁を祈願するし、山の木も祀る・・・本来はそういうお祭りであったと私は前任の方から引き継ぎ、受け継いでます。

神社では全部で23柱の神様をお祀りしていますが、中心となる神様は『建速須佐之男命』、つまりスサノオノミコトです。
伊勢神宮の天照大神様の弟神様でして、男神の代表のような存在です。
古事記にも、八岐大蛇を退治した話などがありますね。

6月30日には『茅の輪』・・・茅で作った輪っかをくぐってお祓いする『茅の輪神事』というのがあります。
この神事を行っている神社は多いのですが、これも元々スサノオノミコトのご神徳から生まれたものです。
とても強い神様で、武神、『もののふの神』としても名高いですね。
『ヤーヤ祭り』も、「やあやあ、我こそは!」という合戦の口上から生まれたもの。
昔の戦国時代をモチーフとして作られた、まさにスサノオノミコトを讃えるために誕生した祭りだと考えられております。


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■天下の奇祭『ヤーヤ祭り』!

『ヤーヤ祭り』は非常に面白いお祭りで、『日本の奇祭』『天下の奇祭』と言われています。
一番の特色は、昔の形を変えることなく厳かに行われる神事。
それから神様のお祭りを賑やかししてお祝いしようじゃないかという、氏子の人たちが中心となった祭事。
神事と祭事が一緒になって5日間続きます。
特に見ものなのは、やはり祭事。
氏子の『ヤーヤ衆』と呼ばれる人たちが行う『練り』はまさに戦国時代の合戦の様子から生まれた、尾鷲の男衆の体のぶつかり合いだと言われています。
本当に勇壮で豪快ですよ!

ヤーヤ祭りが今の形になったのは、約350年前。
1661年頃だと記録が残っています。
尾鷲神社の創始に関する記録の一切は、何度も起きている東南海地震、南海地震のたびに津波で流されてしまい残っていないのですが、言い伝えや伝承としては701年か703年頃の大宝年間に、この神社が建てられたと。
氏神様としてスサノオノミコトを祀ってから始まったということ。
神事としては鎌倉時代から、今でも行われている儀式をしていたと考えられていまして、地侍というか『親方』がずっとここを守り、祀ってきたと言われています。
そして、氏子たちが、親方のみなさんに代わって祭りをやらせてください、とお願いをして、今の形になったのです。
これが350年前なんですね。
そして、親方の役目を担うのが『当番長』。
尾鷲には20町あり、そのうちの3つが『当番長』として、親方の代わりに祭りの中心となり、執り行うわけなんです。
そうやって街内でぐるぐると担当していくのが昔の『頭屋(とうや)制度』。
東紀州ではこの形式の祭りが多かったんですがけ、今はほぼ廃れて、残っているのは尾鷲神社だけだと思います。


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■篝火を焚き、新年を迎えた瞬間に太鼓をたたく

大晦日の夜の11時から篝火を焚きはじめて、日が変わり年を越すと同時に大太鼓を鳴らし『歳旦祭』と呼ばれる、一年の始めの祭りを行います。
氏子地域の方が集まり、太鼓をたたいて来る年を迎えるのが作法になっているんですね。
神事の間だけは太鼓をやめますが、その他は太鼓を叩きながら新しい年を迎えます
神社では新しい神符、お守り等を授与販売として置かせてもらっている。
尾鷲では他の地域に比べて、熊手が良く出るんですよ。
この辺りでは酉の市もないので、ここ尾鷲神社で、いろいろな種類の熊手を置いています。
一番大きいものは1m80cm。
小さいのは3〜40cmほど。
熊手は小さいものから順々に大きくしていった方が良いということなので、6〜7種類ほど用意しています。
他の地域のみなさんも、尾鷲神社に来れば熊手がありますので、ぜひどうぞ。

大きな熊手は商売の関係で取り合いになることもあるので、購入したい方は31日の夜中に来た方が良いですよ!

尾鷲神社には直径120cmの、大きなくりぬき太鼓があります。
お正月元旦には、この太鼓を参拝に来られた方にたたいてもらっています。

2014年が良い年でありますように。