FM三重『ウィークエンドカフェ』2014年3月1日放送

かつては『おわし』と呼ばれていた『尾鷲』は、山の町でもあり、海の町でもあります。
それぞれがともに栄え、華やかな時代が続きました。
たくさんの人たちがこの町で行き交い、さまざまな文化が生まれています。
紀州の漁師たちは海を渡り、この土地ならではの漁法を各地に伝えました。

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天満荘にて尾鷲の歴史や文化を語ってくださったのは、松井勝嘉さん。
『NPO法人天満浦百人会』の松井まつみさんの旦那様です。
若い頃に入っていた青年団が、歴史や文化に興味を持つようになったきっかけ。
昔から語り継がれていることを、先輩の団員からたくさん教えてもらったそうです。
他にも民俗芸能、文化財や古文書などいろいろなことを調べると、おもしろいことがたくさん出てきました。
そこから少しずつ勉強を始めて・・・今でも気になったことはすぐ調べます。

■まずは尾鷲市について

昭和29年に市町村合併があった際、『おわし』から『おわせ』に変わりました。
『おわし市』だと呼びにくいのと、『し』が『死』に通じるため、縁起をかついだんですね。

江戸時代、尾鷲には帆船がたくさん寄港して、とてもにぎわいました。
帆船でいろいろな船が入ってきたのは、あの時代では珍しかったのではないでしょうか。
江戸時代は、他の地域との行き来が、わりと制限されていた時代でしたからね。
それに加えて、山の方でも熊野古道で人の往来、流通があり、細々とですが、しっかりした行き来があったようです。




■『蟻の熊野古道詣』とは?

江戸時代にはたくさんの人々が『熊野古道』を訪れました。
『蟻の熊野古道詣』という言葉がありますが、人が連なって歩くさまを蟻の行列に例えられたほどの賑わいでした。
その行列ができたという場所は特定できませんでしたが、訪れた人数は、いろいろな文献を調べたところ、年間2万3千人ほどのようでした。
人口が3万5千人ほどだったことを考えると、その多さがわかりますね。


●三重県立熊野古道センター

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『熊野古道』について学ぶのなら、まず『三重県立熊野古道センター』へ。
体験学習や熊野古道に関する歴史や自然、文化などを学ぶことができます!

基本情報はこちら熊野古道センター



●くまの体験企画

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『くまの体験企画』は、熊野古道を旅する個人のお客さんを案内するガイドサービス。
「人と自然との関わり」をテーマに、さまざまなエコツアーを企画。
全長170kmにおよぶ熊野古道全エリアをカバーしています。

『女性一人旅応援プラン』『熊野古道で過ごすLOHASな一日』『紀伊半島みる観る探検隊』など、多彩なプランが用意されており、また、ツアーのオーダーメイドプランも用意できます。

基本情報はこちらくまの体験企画





■『尾鷲節』の歌詞から歌の舞台を推測

尾鷲節の歌詞から判断すると、天満浦の長浜と隣の脇浜が主体だったという感じですね。
尾鷲節に『右は桃頭島 左は佐波留 仲を取り持つ雀島』という歌詞が出てきます。
昔、七房遊園地があった場所に立つと、情景がまったく同じなんです。
この辺りから見た風景を歌ったと思われます。
それから『八幡山越え 汐鼻越えて』という歌詞も天満側から見たもの。
ほとんど天満側から読まれた歌詞なんですね。
歌詞を読み解くと、どの位置から見ているかわかります。


●天満荘

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大正14年に建築された、天満浦のシンボル『天満荘』。
『カフェ天満荘』では、コーヒーや季節の飲み物をいただきながら、ゆったりとした時間を送ることができます。
その他、文化講座や体験活動なども行っています。

基本情報はこちら天満浦百人会





■神様が集まる場所『岬』

昔、岬は神様のいる場所だと言われ、岬のことを『岬様』と言っていました。
『岬』は、神の使いである『御先』という言葉に由来していたんです。
突き出た『御先(岬)』様が神様としておわし、航海していても目印になります。
それから岬のそばは、必ず砂浜のような『湾』になっているでしょう。
外国との交流がまだなかった時代、そこに珍しいもや不思議なものが漂着してきたんですね。
お人形さんとかが流れてくると神様であると思ったり。
九鬼にはまだ岬信仰が残っていて、『岬神社』というのもあります。
岬のところには海からの恵みが集まるということで、信仰の対称となっていったんですね。
大曽根のカラカマの浜も岬になっているでしょう。
尾鷲神社の神宝である『獅子頭』が流れ着いたのも、カラカマの浜とされています。


●尾鷲神社

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スサノオノミコトを祀る神社。
境内には樹齢1000年以上と言われている夫婦の楠があり、歴史の香りが漂います。
また毎年2月1日~5日には、奇祭『ヤーヤ祭り』の舞台となります。





■漁師文化・海洋文化が発達していた紀州

江戸時代の1670年代頃から、紀州の漁師はカツオの一本釣り漁で宮城県の気仙沼まで行っているんです。
気仙沼の唐桑半島に『鮪立(しびたち)』という集落があり、そこが東北のカツオの一本釣り漁発祥の地と言われているんですが、それは紀州の漁師から教わったもの。
海洋文化が広がっていたんですね。

またイワシ漁も、紀州の漁師が房総半島の漁師に教えたと伝えられています。
熊野のサンマ漁は、二木島などの湾になったところに船をつけます。
必要は開発の母で、サンマ網が開発されるなど、漁業文化は紀州が大変発達していたんですね。
ここから離れた宮城や千葉に、紀州の人の名が残っているのは誇らしいです。


●おわせお魚いちば おとと
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尾鷲といえば魚!
毎日開催されている『朝とれお魚市』では尾鷲湾直送の旬の魚介類や、地元農家さんの朝とれ野菜が産地価格で購入できます。
また、マグロ延縄船『良栄丸』が水揚げを行う際には、試食・即売会などイベントを開催しています!

基本情報はこちらおわせお魚いちば おとと



さらに尾鷲を楽しむのなら・・・


●夢古道おわせ

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『お母ちゃんのランチバイキング』が大人気の、『夢古道おわせ』へ。
ランチバイキングでは、地元のお母さんグループが作る、身体に優しい料理の数々を味わうことができますよ。


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また、『夢古道の湯』では、保湿と保温効果の高い、『海洋深層水』のお風呂を楽しむことができます。

基本情報はこちら夢古道おわせ